もっとも公平な、そして純粋な喜びの一つは、体育の後の昼休みである。
互いのデッサンを描き終えたのは五月の上旬、いわゆるゴールデンウィーク明けだった。そんな青葉の折、わたしたちは新たな問題に直面したのだった。それは……そう、体育の授業だ。
「それぞれ適当にバディを組め」
バディはいわゆる二人組……なんだかんだ卯花さん以外とは喋ることが出来ていないわたしは縋るような視線を彼女に向ける。体育の授業中は出席番号順じゃなく背の順だから彼女はわたしよりけっこう後ろにいる。
「こっちへきなさい」
言われるがまま卯花さんの隣へ移動し、二人して座る。にしても、どうしてわざわざ適当に組ませるのだろう。体育の教師になるような人種に、わたしたちみたいな余り者の気持ちなんて分からないんだ。……もっとも、背の順二列の隣同士で組まされたらわたしはクラスでもかなり陽の塊みたいな人物と組むことになっていたから、それを回避できて僥倖ではあるのだけれど。
大ピンチを回避して余裕が出来たから周囲をきょろきょろと見渡す。どうやらわたし同様に陰の者があぶれて困惑しているようだ。うちのクラスは確か女子が23人だったはず。余るのは必定だ。わたしじゃなくて良かった……。
結局、彼女は合同で体育をする三組の余りとペアを組んだ。自分のクラスの人とすらろくに話せないというのに、いわんや他のクラスの人よ。先月は集団行動で誰とも会話せずただただ行進や方向転換で済んだというのに……なぜこれから体力テストなぞしなければならないのか……。
「それじゃまず女子はグラウンド種目からやるぞ。三組は50メートル走、四組は幅跳びだ」
体育は週に二回、ひとまず今日は50メートル走や幅跳び、ボール投げと握力測定をするらしい。次回が体育館で上体起し、反復横跳び、長座体前屈、そしてシャトルランのようだ。
「はぁ……」
「あら、猪俣さんは運動が苦手かしら?」
「……まぁ、口が滑っても得意とは言えないわ。卯花さんは?」
「私は……そうね、普通かしら」
しばしば高慢な物言いをする彼女が珍しく謙遜した、そんな風に受け取ったわたしだったが……卯花さんの結果は言葉通りの普通だった。いや、わたしからすれば凄い記録ばかりなのだけれど、点数で見れば7点という結果が多い。完璧な人なんていないのだと思った。けれど5点以下の多いわたしからすれば、欠点というか……隙の無い人だなという印象を強めるばかりだった。
「言ったじゃない。普通だって」
「……確かに。でも、ちょっと意外。卯花さんなら何でも完璧かと思ってた」
「夢見すぎよ。にしても……猪俣さんは勉強しか出来ないのね」
ぐさっと心に突き刺さる一言をくらってしまった。そりゃ、足も遅いし非力だし……結果は散々だったけど。
「体育館種目には得意なものもあるのよ? 楽しみにしておきなさい」
やっぱり彼女には強気な物言いが似合ってる。そんなことを思った。
そして後日、今度は体育館での体力テストとなった。準備運動の後はまずシャトルラン。週の二回目、金曜日の体育は四時限目。空腹がひどくならないうちに走ってしまおうということらしい。わたしはとにかくこれが一番苦手。2点くらいの回数でギブアップし、壁際にへたり込む。卯花さんは7点のタイミングで抜けてきた。息が切れている姿がちょっと艶めかしいが、どうやらちゃんと全力らしいし、得意なのはこれじゃないようだ。
「貴女、いつからそこに……?」
「結構前から。これ苦手で……」
全員がシャトルランを終えるまでおしゃべり……なんて思ったけれど、話題なんてなくて静かに終わってしまった。それから残った種目をこなしていき、
「ちゃんと測るのよ」
「分かってるよ。始めていいよ」
どうやら卯花さんが得意なのは長座体前屈らしい。胸がつかえそうだというわたしの心配を余所に、なんと彼女は10点を叩き出した。
「やらか……」
「ふふ、柔軟性には自信があるのよ。ほら」
そう言って卯花さんは脚を180度開脚して見せた。内腿の白さが眩い。普段は大人びた印象のくせに、ちょっと得意げでちょっと子供っぽい表情を浮かべる彼女に、ますます惹きつけられる。
……なお、わたしの結果は4点だった。
「礼! 直れ!」
やっと四時間目が終わり、お昼休みの時間となった。
他のどの授業より体育の後の昼休みというのは気が楽になる。もっとも、着替える時間のせいで少し短くなってしまうのだが。
「そういえば貴女、着替える時に私の下着をよく見ているわよね?」
更衣室へ戻る道すがら、卯花さんからまたも爆弾発言が飛び出した。わたしは思わず首を横に振ってから……自分の所作を思い出して項垂れた。
「いや、その……高そうだなあって。他意は無いというか、どこに視線をやっていいか分からなくて」
「ふぅん。まぁ、いいけれど」
さっきの子供っぽい表情から一転、大人びた表情を見せる卯花さん。
まだ五月だというのに……暑くて、熱くて。気は休まりそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます