若林①

「どうしたの? 唯」

 そばから、そう言う藍子の声が聞こえた。いつものように、空いてる右隣の席に腰を下ろしたみたいだ。

「別に、どうもしてないけど」

 学校の休み時間。あたしは座っている自分の机の上に、これ以上は無理というくらい力を抜いて上半身を横たえている。

「ねえ」

 左側を向いていた己の顔を、藍子がいる右にひっくり返して、話しかけた。

「ん?」

「首藤さんって最近、学校休まなくなったよね?」

「あー、そういえば、そっか」

「保健委員のやつの効果かな?」

「かもねー」

 藍子は前髪をいじりながら興味なさそうに答えた。首藤さんと仲がいいわけじゃないからおかしくはない。あたしもそうだから、なんでそんな話をするんだろうと思っているかもしれない。でも、つまらないといった些細なことで機嫌を損ねたりはしない。藍子は見た感じ気が強そうで、初対面であまりいい印象を持たれない人だが、性格は悪くない。ていうか、めっちゃいいと言っていい。

 今あたしが口にした「保健委員のやつ」とは、うちの中学の文字通り保健委員会の人たちが、学校における生徒のさまざまな問題行動の多くは、心が不健康な状態にあることが関係しているという考えのもと、メンタルヘルスを良くして問題の減少も目指そうという取り組みだ。

 それくらいのことなら驚くほどではなく、全国探せば同じような取り組みをやっている学校はいくつもあるかもしれない。だけど、うちの保健委員会のは一味違うんじゃないかと思う。

 普通、学校の委員会でやることなんて、何かしら好ましいことをやりましょうというかけ声や、地味でお堅い活動で、多少役に立つことはあっても、ほとんどの生徒は関心を抱くことなんてないものだろう。

 しかし、うちの保健委員たちは、最初からとにかく生徒みんなに興味を持ってもらえるようにすることを強く意識していたみたいで、例えば「心と体はつながっているから、適度な運動で体を健康にすれば心にも良い影響がある」という真面目なフレーズを掲げてはいるものの、だから休み時間に外へ出て運動しましょう的な呼びかけや、効果はあるかもしれないけどそんなの誰もやらないといった体操メニューを勧めたりするのではなく、ちゃんと生徒目線で楽しそうなミニスポーツ大会を頻繁に開催したり、心の健康に良い食べ物を摂ろうという目的だけど、何をどれくらい食べましょうなどの説教くさい訴えはせず、摂取したほうがいい食材を使ったおいしそうでおしゃれなレシピを作って配布したりするのだ。そして、そうした活動の合間にさりげなく、そのことに関係する健康の話をする。長くなく、難しくなく、聞いていて嫌にならないように計算しているんだろうし、ただ情報を伝えるだけじゃなく、自分で管理できるようにする話もする。人によっては耳にした内容をいいと感じて続けようと思っても三日坊主になってしまうことが考えられるが、どうすれば長続きできるかアドバイスまでするわけだ。それには認知行動療法というものを参考にしているらしく、その療法について書かれた本を紹介もしている。

 さらに、ファッションや娯楽を楽しむのも心の健康に良いからと、それらがもっと学校で認められるように働きかけるということを打ちだしたために、生徒たちに圧倒的に支持され、その一方で先生や親たちから悪く思われないために「何をどこまで認めるべきか」や「授業の妨げになったりしないようにするにはどうするか」といったテーマの生徒たちによる真面目な話し合いを同時に行うという巧みさで、自由の幅を広げるのに成功したのだ。

 そうした結果、「今日は他に予定がないから保健委員会の活動に参加する」というのが珍しくなくなり、目的である問題行動に対してどのくらい効果が出ているのかはよくわからないが、その取り組みが生徒全般の気持ちを明るくして、心の健康を良くしていることに疑う余地はなく、委員会のイメージを変えたのもあって、「保健委員は革命を起こした」と表現する人さえいる。

 他の人もそうなのかもしれないけれど、あたしはいつの頃からか学校というのは退屈で仕方がない場所だと思うようになり、割りきったというのか、本当はそれほどでもないことでも、楽しい雰囲気の行事なんかのときはとにかく気持ちを盛り上げて関わるようにしてきた。そんな無理やりのハイテンションみたいなことをしている自分を時折馬鹿らしく思うときもあったが、暑い日に暑いと口にすると余計に暑く感じて嫌なのが増すように、面白くないからといって冷めた態度でいることで、つまらない気持ちが大きくなってしまうのを避けたかったのだ。

 そんなのもあって、今回の保健委員の行動には正直やられたと思った。ああいうふうにやればよかったんだ、どうして気がつかなかったんだろう、と。あの首藤さんまで元気にさせたみたいだし、すごいの一言だ。

 首藤さんとあたしは小学生から同じ学校で、現在、小学校で一度なって以来の一緒のクラスだ。小学生のときからずっと不登校気味の人で、家庭に問題があるだの、知らないところでいじめに遭っていただの、噂を耳にしたことがあるけれど、実際の学校を休みがちにさせていた原因はわからない。

 あたしは目立つほう、首藤さんは目立たないほうというポジションで、普段接することはほとんどない。だから周りの眼を気にして、などではなく、純粋にあの人には話しかけづらい。こんなことを言ったらみんなに大げさだと笑われてしまいそうだが、ちょっと変な刺激を与えたら壊れてしまうガラス細工みたいな感じがして、近寄らないほうがいいだろうという気持ちになるのである。ただ、繊細なイメージが強いのは誰もが認めるところで、学校に来たり来なかったりしたのははっきりした理由があるわけではなく性格的な問題かもしれない。

 何にせよ、そんな具合だったのが、近頃は休むことがめっきり減り、精神状態もかなり良さそうなのだ。保健委員の取り組みと時期が重なるから、それが影響しているのは間違いないと思う。

「だけどさ、なんで保健委員はあんなことを始めたのかな?」

 あたしは体を起こし、ほおづえをして藍子に訊いた。

「なんでって、いいと思ったからじゃないの?」

「そりゃそうだけど、きっかけとか、言いだしっぺは誰なわけ?」

「さあー? さよちゃんに訊けば?」

 さよちゃんはうちのクラスの保健委員だ。

「そうだね。訊けたら訊こ」

「でも、そんなこと知ってどうすんの?」

「んー、別に。ただなんとなく気になったから」

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