潮崎⑩

「どういうこと?」

「考えて、学校に通うことにしました」

「だって……」

 先生は、周辺に誰もいないのに警戒した様子になって、声を潜めて何か言った。僕に気づいたのではないのは間違いなさそうだが、とにかくその一言は聞き取れなかった。

「もちろん不安でしたし、今もそうです。でも、先生お忙しいはずなのに僕のために頑張ってくださって、このまま助けてもらってばかりでいいのかなって思ったんです。そして、僕自身も頑張って、いじめに負けずに学校に行きたいって気持ちになりまして」

 え? いじめ? あいつ、いじめが原因で学校に来れなかったのか?

「そっか」

 先生は納得した顔になった。

 代々木は続けた。

「それでですね、こうして学校に来れるようにはなりましたけど、まだ解決したわけじゃないですし、できればこれまで通り継続してもらえたらって思っているのですが、お願いできますか?」

「もちろんだよ。もしかして、よりスムーズに広められるように、わざわざ職員室まで来て、他の先生の前で僕にお礼を言ったのかい?」

「それもないことはありませんが、あのとき口にした感謝の言葉は純粋な僕の気持ちです」

「そうか。ありがとう。先生たち驚いてたし、珍しく褒められちゃったよ。ただ、頑張るって言ったけれど、いじめだけじゃなくて、しばらく学校に来ていなかったことによるいろいろな不安や、久々の今の生活リズムでの疲れもあるだろうから、くれぐれも無理はしないようにね。学校で話すぶんには苦情も来ないと思うし、何かあったらすぐに僕に相談するんだよ」

「はい。何から何まで本当にありがとうございます」

 代々木はきちんとした態度で頭を下げた。

「じゃあね」

 そう言うと、先生はすっきりした感じで去っていった。

 それを見送るように動かずにいた代々木も、少しすると自分のクラスの教室のほうへと歩いていった。

 代々木があんなに積極的にベラベラしゃべるところを初めて見た。同様に、あんなに心がある感じで礼儀正しい姿も。

 それほど飯田先生に助けられたということか。改めて、あいつにそこまで影響を与えたなんてすごいの一言だ。他の先生たちが驚いて褒めたと言っていたけれど当然だろう。学校に戻らせただけでも立派なんだから。勝手に家を訪れていたことがチャラどころか、飯田先生に対する他の先生たちの評価は上昇したはずだ。

 だけど、先生が言っていた「よりスムーズに広められるように」ってのは何なんだ? 「広められるように、他の先生たちの前でお礼を言ったのかい?」とか口にしてたよな。

 その直前に代々木が「これまで通り継続してもらいたい」と頼んでいたのは、おそらく先生はあいつの家でうちのクラスでの面談と同じようなことをやっていて、そのことを言ってたんだろうけれど、それを他のクラスにも広めようとしているってことか?

 不登校の生徒が学校に戻り、あんなに感謝している。しかもそれがあの代々木だとなれば一層、どうやったのかという話になって、あの面談の中身を自分も取り入れようと多くの先生が考えるだろう。そういうことか? だとして、なんで他のクラスまで広める必要があるんだ?

 わかったぞ。今までの面談でいじめに絡めた話は多かったし、いじめられるほうよりもいじめる側に重点が置かれていたんだから、代々木をいじめる奴にもその内容が伝わるようにして、いじめをやめさせたいということじゃないか。

 とすると、待てよ。まさかうちのクラスの面談も、実は代々木へのいじめをなくすために、あの内容を広める一環でやっていたんじゃないか? 代々木をいじめる生徒のクラスだけでああいう話をしたら、いじめる奴は代々木がチクったと気づきかねない。だから先生はまずうちの組でやって、クラスを良くしたという実績で他の組に広まるようにして、いじめる人間に聞かせても代々木のためだとは思われないようにしたとか。

 いや、それは考え過ぎか。うちのクラスは良くしようと努力するのに値するひどい状態だったんだし、いくら人が善い飯田先生でも代々木一人にそこまでやるなんて無理がある。

 でも、不登校になるほどのいじめだから、代々木が自殺まで頭をかすめるくらいだったんなら、あり得るか。だからあいつはあんなにも感謝してたんだって考えれば、まったくない話じゃない。

 ただ僕たちへの面談も代々木のついでという軽い感じではやっていないし、両方の助けになれる良い方法を見つけたということなのかもな。

 しかし、そもそもあいつがいじめられていた、そして現在もいじめられているってのは、本当なのか? 事実ならどこからか耳に入ってきそうな話だが、聞いたことも見たことも皆無だ。

 あいつをいじめれば目立つから、相当周到に隠れてやってるってことか? 学校に戻ってきて以降あいつをずっと気にして、いじめが行われている感じはなかったけれど、いじめてた奴は様子を見ているのかもしれない。

 そんなタチの悪そうないじめを目撃しちゃって、それをいじめてる奴に気づかれでもしたらやばいから、あいつに注目するのはもうやめにしとくかな。

 やっぱり代々木と渡部さんは付き合ってなんかいないみたいだし、友達ですらないようだし。

 渡部さんのほうはあいつを気にかけている様子のときもあったけれど、好意を寄せている雰囲気ではなかったし、僕の想像通りの善い人で、心配してって感じだろう。

 代々木が学校に帰ってきて、渡部さんはだいぶ安心しただろうな。

 それはよかった。本当によかった。

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