潮崎⑨
渡部さんは飯田先生に会いたくてあそこへ赴いたなんてことはないだろう。あるとすれば、先生が代々木の家に行くとどこかで知って様子を見にいった、じゃなければ、二人は偶然同じ時間帯に同じように代々木を心配して足を運んだ。
ただ、飯田先生のほうは、渡部さん同様に人間性を考えれば理解できるけれど、疑問もある。不登校が対処すべき問題とはいえ、うちのクラスの面談をやるので負担は増えているに違いないし、そうでなくてもまずはうちのクラスを良くすることに集中すべきだろうに、他のクラスの生徒の対応までやるか? たしか飯田先生は代々木の一年生のときの担任でもなかったはずで、強いつながりがあるわけでもないだろう。他の先生が大人たちからの評価が低い飯田先生に頼むはずはないし、先生自ら汚名返上を狙って手を挙げたとも考えづらい。仮にそうしたところで、「わかりました、任せましょう。お願いしますね」なんてことにはならないんじゃないかな。
結局、飯田先生のことだから、純粋に代々木を心配してやってきたんだろう。仕事をしていただけかもしれないが、先生も行ったのがあんな時間だったのは、別のクラスの生徒の問題に首を突っ込むのはむしろ良く思われないことで、他の先生には内緒で勝手に訪問したから、バレないようにというのが正解じゃないか?
大変なうえに、得にもならなくても。そういう、生き方が不器用な感じの人だし、だからこそ親や他の先生たちに評判が悪いんだろう。
だけど、やみくもな行動でもなくて、不登校の生徒、それもあの何を考えてるんだかわからない代々木の相手をすることが、訓練じゃないけれど、うちのクラスの問題の対処や面談のプラスにもなるという計算が、もしかしたらあるのかもな。
そうか。だったらあの日が初めてじゃなくて、すでに何回も代々木の家に行っていたのかもしれない。代々木と話したのが先で、手応えを得て、うちのクラスの面談を始めたという可能性もある。
そして渡部さんは飯田先生が代々木のために家を訪れているというのをどこかで知って、興味や応援する気持ちで様子を見にいったのかもしれないよな。だから足を運んだのが塾終わりのあんな時間で、チャイムを押そうとしているようにも見えたけれど、代々木に会う気はまったくなかったんじゃないか?
「ねえ、充ちゃんさ、最近ちょっと元気なくない?」
「だよねー。私も思ってた。面談始めてから生き生きした感じだったのに、疲れてんのかなー?」
休み時間にクラスの女子がそう話しているのを耳にした。充というのは飯田先生の下の名前だ。
その、元気がない理由を僕は知っている。といっても、それも生徒がしゃべっているのを聞いただけだけど。飯田先生が他の先生から説教を食らったのだ。どうやらその現場を見たか声を聞いたかした人がいるようで、本当っぽい。そしてその叱責の内容は「他のクラス」や「生徒」がどうだとかいったものらしく、先生が代々木の家に行っていたことに違いない。
飯田先生は気が弱そうではあるが、おそらく叱られたから落ち込んでいるんじゃなくて、バレたことで代々木の家をもう訪れられなくなり、学校に戻れるようにまでしてやれなかったから落胆しているんだろう。
でも、今後もあいつん家へ行き続けられても結果は同じだと思う。代々木はとてもじゃないけど一筋縄でいくような奴じゃないのだ。おとなしいから一見思い通りにするのは簡単そうだが、他の人とは別の世界で生きている感じで、扱いづらさが半端じゃない。ちょっとうちのクラスの面々を良く変えてやるのとは訳が違う。バレて、訪問できなくなって、よかったと思うくらいのほうがいいのだ。
健康も考えて、もう理想を追い求め過ぎずにうちのクラスを良くすることに専念するといいよ。次の僕の面談のとき、「先生はよくやっている」と言ってあげようか。
そんな馬鹿な。
代々木が学校に戻ってきた。あいつらしいけれども、保健室登校や短時間だけといった段階は踏まず、まるでずっと普通に来ていたように何事もなかった様子で、また通いだしたのだ。伝え聞いた話だと、学校に行かなくなった理由も戻ってきた理由もわからないらしい。
飯田先生があいつの家を訪れていたのがバレてからわずかしか経っておらず、その影響は絶対にあるだろう。先生は代々木が学校に戻れる状態にしてやる目的が道半ばでついえてしまったから落ち込んでいたわけじゃなかったのか?
まあ、代々木のことだから、来なくなった初日から学校に行こうと思えばいつでもできた可能性は大だし、先生とは認識の違いがあったのかもしれない。
何にしても、飯田先生に心を動かされて戻ってきたっぽいけれど、本当にそうならすごいことだぞ。あの代々木をそんなふうにしただなんて。今後うちのクラスを良くするのなんて朝飯前だろうという考えになるのは僕だけじゃないはずだ。
飯田先生は代々木が学校に戻ってくるとは予想してなかったんじゃないかと思うし、とにかく二人は接触するだろう。そうにらんで注視していたら、やっぱりそのときは訪れた。
代々木がいきなり学校に復帰して、ちょっとした騒ぎになったものの、来なくなる前とまったく変わらず、あいつがどういう人間かだいたいわかっていて、これ以上注目したところで何も出てこないと悟ったうちの学校の生徒たちは早々に気にしなくなり、一週間ほど経った休み時間。あいつが一人で廊下のひとけのないところを歩いていると、先生が小走りで近づいてきた。
「代々木くん」
代々木は無表情のまま飯田先生に顔を向けた。僕は少し離れた、姿を見られない位置から、二人の会話に耳を傾けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます