潮崎③

 瀬尾たちが話していた面談を、僕が行う日になった。

 漏れ聞いた情報によると、悩みはないか訊かれるらしい。いじめもあれば知りたいみたいだが、その調査が目的ではなく、クラスを良くするために一人ずつと話をしたいということのようだ。

 そんなところじゃないかと僕は最初から思っていた。たしか三人のなかの一人の山本が、口裏を合わせられないように、いじめの調査なのにそう告げなかったんだろうと言っていたけれど、一日でクラス全員が面談をやるんじゃないんだから、初日の人以外は話を合わせられるんだし。

 その面談を行う、担任の飯田先生は、二十八か九歳だと耳にした覚えがあるが、とにかく若い男の先生だ。それでも普通に大学を卒業して働きだしたんなら六、七年経っている計算になるけれど、いまだに学生の雰囲気を漂わせている。つまり、若いといっても、老けてないという肯定的なニュアンスよりも、教師、もっと言えば社会人になりきれていない未熟な印象から出てくる言葉なのだ。今が教師一年目だと口にしてもまったく違和感はない。しかしそれは一方で飯田先生が、生徒に対して権力者的な多くの先生たちとは異なり、生徒の気持ちを忘れていないイメージがあるというプラスの意味合いもある。

 先生は生徒を叱ることがなく、もし怒っても怖くなさそうなため、なめた態度をとる奴が多い。授業中の私語は当たり前で、本当にうるさい状態になることもしばしばだ。だから宮坂が宣言していたように、何について話すのかわからず、一応出ておこうと通常は思うだろう面談をサボるのも、平気でやれるのだ。

 先生は方針として叱らないのかもしれないけれど、それ以前に怒れない性格だと思う。生徒の反発を恐れているとかではなく、怒りのスイッチが備わっていないのだ。そうして叱らないうえに優しくて、「今どきの生徒は」などの否定的な眼で僕らを見ていないというのがわかるから、散々迷惑をかけたり、仲間内で軽く馬鹿にするようなことはあっても、本気で嫌っている生徒は皆無に近いと思う。

 だけど、親や他の先生たちの評価は低いようだ。そうした大人たちからすれば、生徒を叱るべきときはちゃんと叱る、頼もしい先生が良い先生なんだろう。加えて、生徒に嫌われてなくても授業をはじめとするクラス運営がうまくいっていると言えないのは明らかで、先生自身そのことで悩んでいる感じがにじみでているため、どこからか先生が教師を辞めるらしいという噂が立って、広まった。転職するなら年齢的に今のタイミングを逃すと難しくなるからとの信憑性がありそうな話も聞いたが、ほとんどの生徒はその噂を冗談でしているだけで、本当だとは思っていない。

 とにかく、悩んでいるには違いない飯田先生だから、述べているようにクラスを良くするために、生徒とのコミュニケーションを増やそうとでも考えて、面談をやることにしたんだろう。

 面談は、先生と生徒それぞれの都合で変更できたりとアバウトだが、おおむね一日三人ずつ、他の生徒が出ていった放課後の教室で二人で行う。

 悩みについて話すならデリケートな内容もあるだろうし、廊下から誰かに聞かれかねない教室じゃなくて、別の場所がいいんじゃないだろうかと思った。でも、それならどこがいい? 職員室だと二人きりは無理だし、他の先生に聞かれたら嫌な人もいるだろうし、どこか別の教室にしても、聞かれるリスクは一緒か。ドアを閉めて大声で話さなければ、そんなに外には漏れないか。積極的に盗み聞きをしようなんて奴も、中学生にもなっていないよな、きっと。

 そんなことを考えながら一人教室で待っていたら、先生がやってきた。

「待った? ごめんね。さっそく始めようか」

 先生の指示で、僕たちは窓近くの一番前と二列目の一つずつの机を向かい合わせにくっつけ、先生が前で僕が二列目のほうの椅子にそれぞれ座った。

 僕は飯田先生と、他の先生とも、授業中以外で話をすることはめったにない。教師からすると、やんちゃなタイプよりも、黙って自分たちを観察しているような僕みたいな生徒のほうが、何を考えているかわからないし、扱いづらいという気持ちなんじゃないかと思う。

 まさに今そういった話しにくそうな雰囲気で軽くせき払いをしてから、先生はしゃべり始めた。

「この面談は、ほら、うちのクラスって他の先生からよく『落ち着きがない』とか注意されちゃうよね? それは、みんなの気持ちをつかめていない、担任の僕の落ち度が大きいし、どうにかしなきゃなと思ってて。それで、みんなと一対一で話す必要があるって考えたんだ。みんなが思っていて言いたいこと、僕への不満やこうしてほしいという要望だとか、他のコがいると話しづらい悩みなんかもあるかもしれない。他にも何でも、あればぜひ聞かせてもらいたいんだ」

「はあ」

 ほぼ、というか、想定していたまんまのようだ。

「そんなことを言われても、悩みとか、僕なんかに話しても無駄だと思うかもしれないね。そして実際に満足のいく回答や対応とはほど遠いことしかできないかもしれない。だけど、どうすればいいか一緒に考えるから、少しは解決や改善に近づけるんじゃないかと思うし、口にするだけでも気持ちが楽になったりすると思うんだ。誰かに伝えてほしいというのでなければ、ここでの話は他の人には絶対にしゃべらないから、何でも気軽に話してくれていいよ。そういうことだけど、言いたいこと、何かあるかな?」

「……いえ、何もないです」

「そう。急に訊かれても、ぱっとは出てこないかもしれないね。少し待つから、何かないか考えていいよ」

「……はあ」

 そんなことしても意味ないのにと思いつつ、少し考えるふりをして、一分くらいだろうか、沈黙の時間が流れた。

「どう? 見つかった?」

 先生は尋ねた。

「いえ、やっぱりありません」

「そっか。もちろんなくてもいいよ。無理に何か言う必要はないからね」

 僕と同じ受け答えをした人も多分いただろう。先生は困った様子などはなく、続けた。

「今のところこの面談はずっと継続するつもりなんだ。全員やったら、また最初の人からっていうかたちでね。話したいことを思いついたら、急がなければ次回に言ってくれればいいから、構わないなら今日はこれで終わりにするけど、大丈夫かな?」

 え? 終わり?

「……はい」

 そうして面談は終了した。

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