滝沢①
私が通う中学校で、同じクラスに、代々木拓実という名の男子がいる。
すごく地味で、地味過ぎて反対に目立つ、珍しい人だ。私は、一緒のクラスになって二カ月以上経った現在でもまともに言葉を交わしたことがない状態だけれど、嫌っているわけではない。少しやる気を出せば、無理なく友達くらいの関係にはなれると思う。それどころか、相当馬が合ったりするかもしれない。
ただ、問題があって、それは代々木が他の生徒みんなから見下されているような立場であるという点だ。はっきりといじめに遭ったりしていれば、勇気を奮ってかばうとか、自分は味方だと本人に伝えたりできると思うが、小馬鹿にされている代々木みたいな人にどう接したらいいのかわからず、困ってしまうのだ。
会話のなかで誰かやみんなが見下した発言をした場合、やめたほうがいいと注意をしようと思えばできるけれど、そんなに悪口を言っている感覚がおそらくないから、シラケた雰囲気になるだけだろうし、その発言を耳にした代々木に慰めるような言葉をかけたら、惨めな気持ちにさせて、余計に傷つける結果になってしまうおそれがある。
だからといって何もしないのはやっぱり善くないと思うし、だけどそう考えるのは自分は悪い人間ではないと思いたいだけかもとも思うし、いろいろ考え過ぎて疲れることもあって、代々木にはできるだけ関わりたくないというのが本音だった。
そんな折、ある日突然代々木が地味過ぎるのから平凡な見た目へと姿を変えた。これでみんなの扱いも、少なくとも今までよりは良いほうへ変わるだろうと思い、多くのコがその変化の訳がわからず難しい顔をしているのに、心の中でだけれども笑っていた。
とはいえ、代々木が変わったのが見た目だけで、無口でみんなとの交流がほとんどなかった、内面や言動がそれまでとまるっきり一緒なら、期待通りには運ばないだろうし、願う方向へ進むにしても、なじむまでそれなりの時間を要するに違いない。だから、どういうふうになっていくのか様子を見たいと思っていたのだが、そのさなかに代々木と関わる状況になってしまった。
代々木の姿が変化したのは、同じくクラスメイトで私と仲が良い渡部志帆というコとの会話がどうやらきっかけらしく、代々木は生徒が日常生活のいろいろなありがたみを先々実感できるように学校がわざとひどい環境にしていると思っていて、だからそれを受け入れる意図で地味にしていたのが、志帆との会話で誤りだと気づいて普通の格好になったものの、だとすると今まで無意味にひどいことをされていたという判断のもと、恨みの感情から学校で危険な行いをする気かもしれないと志帆は話したのだ。代々木のノートにそう思わせる記述があるのを偶然目にしたという。
代々木が本当に危ないことをすると決まったわけではないし、やらない確率のほうが高いと思う。だけど念のため、私と志帆、それに一緒に志帆から話を聞いた、クラスの男子の沖原の三人で、気づかれないように代々木の様子をできるだけ頻繁にうかがうことにしたのである。
そうしてけっこうな日数が過ぎたが、代々木の態度に不審なところはない。私たちに見られていることに気がついて、平静を装っている感じもない。やはりおかしなことを考えたりはしていないんじゃないだろうか。疑う根拠となるのは代々木のノートに書かれていたというそれらしい言葉だけなのだ。いくら万が一のためと言い訳できるとしても、他人がやっているのに対してあれだけ否定的だった、代々木をマイナスの視点で見るのはどうかとも思うし、もうやめにしようかという気持ちがたびたびわいてくる。
それでも決断できないのは、ノートに記されていた内容がよほど実際の行動を予感させるものだったのかもというのと、それ以上に、志帆が勘の鋭いコだからだ。
女性はいわゆる第六感が優れていて、例えば付き合っている男の人が浮気をしたら、立場が反対の場合に比べて圧倒的に気づく割合が高いという話を聞いたことがあるけれど、私は鈍いから、もし将来自分がそういった状況になったとき、気がつけるか自信がない。一方で、志帆は絶対に見抜くと断言できるくらい、ちゃんと違和感を感じ取れるタイプなのだ。その志帆が外見にとまどらない代々木の変化らしきものを感じている様子だから、代々木の内面が過去はなかった新しい方向へ行っているのは間違いないかもしれない。
しかし、志帆の勘が鋭いといっても当然すべてを察知できるわけじゃないんだから、それが心配している通りの悪い行為をする気だとは限らないはずだ。ノートを目にしたから実際に代々木がそういうことをしそうに見えるだけかもと志帆自身話していたし、志帆と沖原にも言ったが、本気で善くないことをするつもりなら、そんなノートを学校に置いて帰ったり、他人の目に触れるかもしれない状態にはしておかないだろう。代々木はとにかくよくわからない人だけれど、そんなヘマをする感じはしない。
一つの可能性として、代々木の見た目が変わったときに誰かに恋をしたんじゃないかとクラスで噂になったが、もしかしたらその噂は当たっていて、好きな相手というのは志帆で、気を引きたいけれどどうしたらいいかわからず、意味ありげなことを書いたノートを志帆に見られるように自ら床に置いたというのは無きにしも非ずじゃないだろうか。志帆に気があるのを匂わせる内容だと嫌がられるかもしれないし、インパクトがある中身じゃないとただ拾われたりしておしまいだし、どういうことか訊かれたら本気じゃないなどと答えるつもりで、とりあえず自分に意識が向くようにしたとか。変わり者な感じの代々木ならば。
そうだ。そのさらに以前の放課後に、代々木と志帆は教室で偶然二人だけになったらしいけれど、志帆が委員会で遅くに戻ってくるのがわかっていて、だから代々木は教室に残っていたと考えれば、ぐっと現実味を帯びてくる。とすると代々木が企てているのは、志帆にどう告白しようかとか、そういうことなのかもしれない。そして、志帆のほうは代々木に気持ちはないから、それを悪い予感として感じ取っているんじゃないのかな。
確かめたい。でも、どうやればできるだろう? 姿が変わった直後、その理由を尋ねた人たちに代々木は満足といえる回答をしなかったらしいし、ろくにしゃべったこともない私が訊いたところで正直に話さないだろうしな。
だったら、代々木はそのノートについて問われることで志帆と会話するのを期待しているかもしれないから、志帆に「やっぱりノートのことを訊いてみれば?」と促そうか。
だけど、志帆は「なんで?」と返すだろうな。志帆に気があるかもしれないからそれを確かめるためと伝えたら、嫌だと言うばかりか、「文香ひどい」となってしまうかもしれない。
それに、そもそもそのノートが志帆の気を引くためというのは、代々木が危険なことをしないでほしい気持ちによる都合の良い考えで、無理があるだろうか。
そんなこんなとさまざま考えつつ、とりあえず代々木を見るのを続けていたら、ちょっとした事件が起こった。
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