沖原②

 ただ、様子がおかしいのは代々木じゃなく、渡部だ。「わたべ」ではなく「わたなべ」と読む、フルネームは渡部志帆という女子で、ちょっと離れた位置から代々木を気にして見ている感じの場面を目にするのである。

 渡部は、活発かおとなしいかに分けるなら、ギリギリおとなしいほうに入り、大柄か小柄かで分けるなら、これまたギリギリで小柄なほうに入る、といった人間で、誰もがそうだと言えるが、代々木と親しくはないと思う。

 元々得体の知れない存在だった代々木にはみんな話しかけにくかったから、普通になったとはいえ、それに急な変貌ぶりにかえって気味の悪さが増した奴もいるかもしれないし、係や委員会など用事があるのに声をかけられずにいるのかと思ったけれど、近づこうとする気配が微塵もないのでおそらく違う。ならば、あいつの変化がまだ気になっているだけの確率が高いが、渡部の様子が真剣、もっと言うと、深刻そうなのが引っかかる。

 代々木の側が気にしているのなら、意中の相手は渡部だったんだなってことで納得できるが、渡部が代々木に恋心を抱いているとは考えづらい。見た目が普通になったことでそういう感情が芽生えた可能性はあるものの、あの表情や雰囲気ではそれも当たっていないだろう。

 渡部の不可解な状態はしばらくの期間続き、次第に渡部が代々木を気にするよりも、俺がその渡部が気になる度合いのほうが強くなっている感じがしてきた。

 それで理由を訊こうと決意し、とある休み時間、教室のほぼ中央にある自らの席に座っている代々木を、後ろのドア付近からいつも通りの何気ない態度で見ている様子の渡部のもとに、前のドアから教室を出て、廊下を歩いて近づいていって、声をかけた。

「なあ」

「え?」

 渡部はビクッとした。

「どうかした?」

 俺は、渡部が深刻な雰囲気だからといってそれに合わせることはなく、軽い調子で尋ねた。そっちのほうが渡部がしゃべりやすかったり、いいだろうと思ったのだ。

「……何が?」

「代々木のことを気にしてるみたいだけど?」

「……別に……」

 渡部は伏し目がちになった。代々木を気にしていたのは図星で、そのことについて話したくないといった感じだ。とすると、やはり代々木が変化したことへの興味や関心がいまだに続いていただけではないのだろう。

 しかし、どうしよっかな。しつこく追及するのもなんだし、ここで引き下がるべきか? だけど、俺は別に善い奴ではないが、述べているように渡部の代々木を見る様子は妙な緊張感があり、ちと心配にもなる。果たして、ほっといていいものか。

「ちょっと、沖原」

 誰かが俺の名前を呼んだ。目を向けると、廊下にいた滝沢という女子がこっちにやってくる。滝沢も俺たちと同じクラスで、一言でどんなタイプか説明すると「優等生」だ。

「ねえ、志帆に何かしたの?」

 滝沢は真顔で俺に訊いた。

「え?」

「志帆、最近様子がおかしい感じがしてたんだけど、沖原が原因?」

「いや……」

 そんなに詳しくは知らないけれど、滝沢と渡部の仲がいいのは間違いない。そして、今の俺と渡部のやりとりを、声は聞かずに見るだけしたら、俺が嫌なことを言ったりしていたように思ってもおかしくはないだろう。

「違うよ」

 渡部が首を横に振って答えた。

「本当? 何かひどいことをしたんじゃないの?」

 滝沢はおそらくまだ疑っているけれど、渡部の否定がきっぱりとしたものだったから、トーンダウンした冗談っぽい口調になって俺に言った。

「だから違うって」

 またもや渡部が、そう返事をした。俺としてはちゃんと否定してくれて本来助かるはずだが、渡部の表情が暗くて重い雰囲気で、正直に言えないくらいひどいことをされた感じになってしまっている。それに気づいてねえのか? 勘弁してくれよ。

「渡部がさ、何だか代々木のことを気にしてるみたいだったから、訊いてたんだ俺」

 俺は滝沢に告げた。

「え?」

 滝沢はそれを受けて、どういうことか尋ねる面持ちで渡部に視線を向けた。俺は続けてしゃべった。

「あいつの変化の真相だとかがまだ気になってんのかと思ったけど、そういう好奇心って感じじゃなくて、神妙ってな雰囲気だったから、何なのかと思ってさ。心配したって言ったら大げさだけど」

 滝沢は単なる真面目ではなく、信頼できる人間だと思う。渡部は代々木を見ていたことを話したくなさそうだったが、滝沢にだったら言っても問題ないんじゃないか、むしろ伝えたほうがいいんじゃないか、と思ったのだ。もちろん俺の誤解をきちんと解消したかったのもある。

「志帆、どうかしたの? なんで気にしてたの?」

「そうだよ。なんでだよ?」

 滝沢の後を畳みかけるように俺も問いかけた。そもそもそれを知りたかったんだし。

「うん……」

 渡部はなおも訳を口にするのを躊躇している。

 滝沢がはっとしたような顔つきになり、渡部に耳打ちをした。

「違うよ」

 渡部は即座にそう答えた。代々木を好きなのかみたいなことを滝沢は訊いたんじゃないかと思う。だとすれば俺の推測通り、それが理由じゃなかったということだ。

「もしかして、代々木に何かひどいことをされたの?」

 滝沢が今度は普通に声を出して尋ねた。それはないと思うが、滝沢も一応という気持ちで問うたんだろう。

 渡部は首を大きく横に振って否定すると、口を開いた。

「わかった。説明するけど、ちょっと話が長くなると思うから、後でね」

「俺も聞いていいの?」

 渡部は俺にも視線を向けて言ったが、確認したくて訊いた。

「うん。しょうがないし。でもその代わり、聞いたことを誰にもしゃべらないでくれる?」

「ああ。わかった、約束する」

 よかった。こんな寸前でのけ者にされて、あいつを見ていた理由を知れなかったら、気になって夜も満足に眠れなくなるかもしれないからな。

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