第19話 アルスラ・アズマ修道院長
岬の魔女は魚の方角を見て、旧市街の方を見て、また魚の方角を見る。
「う~、これもみんな教会が悪いっ。
初めから僧兵を、渋らずに出しておけば良かったのにっ。
何でこんな事まで、私が心配しなきゃならないの!?
ううん……大丈夫っ。
きっと出しているっ、流石に出しているでしょっ?
旧市街だって、見捨てるとかそこまではしない。
きっと僧兵を出してるっ、ねっ、そうでしょお願いっ!」
しかし事実は、魔女のお願いを嘲笑う。
岬の魔女の祈りとは裏腹に、旧市街はその城壁の門を固く閉ざしたままだった。
城壁門の前には、多くの群衆が集まっている。
皆、鉄の
「開けろっ、何やってんだっ、早く開けろおおっ!」
「ふざけるなテメエらっ、開けやがれええっ!」
「子供がいるのよっ、お願い子供だけでも中に入れてっ!」
城壁の上部通路に立つ守衛たちが、群衆の鬼気迫る叫び声に気おくれした。
「おい、これ本当に開けなくて良いのかよっ!?」
「知らねえよっ、上から開けるなと厳命が下ってんだっ。
俺たちに、どうしろってんだよっ」
「くそっ、早く朝になってくれえっ。
朝になったら何もかも、終わってるからよおっ」
ゾンビ化に40分。
その被害は倍々になって増えていく。
新興街は、ほぼ壊滅状態となるだろう。
しかし朝になれば、ゾンビたちの活動は急激に低下し、置物のようになる。
そうなれば後は、僧兵たちの聖属性魔法「ターンアンデッド」で何とでもなった。
そうなのだ。
城壁の門さえ開けなければ、旧市街は無傷で残る。
これは仕方ないんだと
だがその祈りは聞き届けられない。
守衛たちの立つ城壁の上部には、等間隔に
そこに闇夜から伸びた、黒い鎖がジャラリと絡みつく。
城壁から地上へと鎖が斜めに張られ、暗闇の向こうに消えている。
その上を綱渡りのように、歩く黒衣の女がいた。
女は凸の上に立ち、守衛たちを見下ろす。
「げえっ、岬さまっ!」
「なっ、岬さまっ!?」
岬に住む魔女は、旧市街区の守衛の間でも「岬さま」の名で通っていた。
やっぱり旧市街を信じ切れず、確かめに来てみたら案の定だ。
門が固く閉ざされている。
岬の魔女は、守衛たちをねめつけ怒鳴りつけた。
「はあ、何なのよこれ、ガッカリさせないでよっ。
何をしているのっ、早く門を開けなさいっ!」
「しかし、開けるなと命令がっ」
「あっそう……それじゃフーリーっ!」
「承知」
一緒に鎖を渡ってきたフーリーが、抱っこしていたナナオを下すと、さっと城壁の内側へ飛び降りた。
閉ざされた城壁の大門。
その前に集まっていた守衛らを、フーリーは完全に無視して、すたすたと大門へ近づいた。
高さ8mの巨大な木製の門。
表面には格子状に金属板が太い
両開きの大門には、男の人の胴よりも太いカンヌキが、横に3本通されている。
フーリーは門前で腰の愛刀を抜き放つと、
フーリーは刀を鞘に戻し、門に一礼すると、何事も無かったかのようにそこから離れていく。
あまりにも速い太刀筋に、守衛たちは何をされたのか分からなかった。
カンヌキも「私切れてませんよ?」って顔で、そこにある。
けれど守衛たちの前で、群衆に押された城壁門が、軋みながらゆっくりと内側へ開いていった。
守衛たちは何をされたのかはっきりと理解し、その場から猛ダッシュで逃げた。
ぼうっと立ってたら、押し寄せる群衆に踏み殺されてしまうから。
開かれた門より、群衆が濁流のように旧市街へなだれ込んだ。
*
旧市街区の中央に建つ、五教の教会。
その執務室で、静かに書き物をする男の手が止まった。
男の灰色の獣耳がピクリと動き、書面から視線を上げる。
すると正面に、黒衣の女が立っていた。
女は苛立たし気に、黒い尻尾を揺らしている。
全身腐肉まみれだが、その美しさは全く損なわれていない。
むしろその凄惨さが、女の妖しさを際立たせて、見る者の心を惑わす。
男はガラスペンを置き、ちらりと揺れるカーテンを見た後、親し気な笑みを浮かべた。
「これはこれは、アルスラ・アズマ修道院長。
元気なお方だ。できれば窓からではなく、ドアから入ってきて欲しいものですな。
今、お茶でも淹れますよ」
「結構よ、私がなぜ来たか分かるでしょ?
どうして僧兵を外へ出さないの、ヒューデルタ司祭。
ゾンビが街を、襲っていると言うのにっ」
アルスラの苛烈な紅い瞳が、ヒューデルタを見据えた。
ヒューデルタはとぼけた顔をしながら、思い出したかのように言う。
「……ああ、その件ですか。ご心配なく。
たった今、ゾンビが街を襲っていると知らせがありましたので、これから僧兵に指示を出す所だったのですよ」
「たった今?」
「そう、たった今です。
どこか行き違いで、私の元に情報が入るのが遅れてしまいました。
全く困ったものですよ。
ああ、言いたいことは分かりますよ。
お怒りはごもっとも。
指示が遅れたのは、否めませんから。
通常、海のスタンピードは、程度はあれ甲殻類のパレードのようなもの。
特異なゾンビだと知っていれば、もっと早く指示を出すところですよ」
嘆かわしいと言った風に、首を振る仕草がわざとらしい。
アルスラにはバレバレだとしても、それがどうしたと思っているのだ。
問い詰めても、何処までものらりくらりと白を切るだろう。
アルスラはこうした下らぬ時間を惜しんだ。
今は一刻を争う。
「なら早くしてっ!」
「もちろん」
ヒューデルタ司祭は大仰に
助祭司へ僧兵を出せと指示をだし、アルスラ・アズマが去ったあと、ヒューデルタは背もたれに深く寄りかかる。
「あの目……僧兵を断ったら、私を殺す気だったな……
さてはて岬の魔女は、あんなに情のある女だったか?
昔はもっと冷酷で、街の事など興味なかったはずだが。
ふむ……子育てすると、人情でも生まれるらしい」
ヒューデルタは怖い怖いと呟きながら、眠気覚ましの茶を
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