第4話 七緒少年の密やかな契約


「ナナオ、もっとチーズを切ってちょうだい」

「お師さま、このチーズ塩気が強いんですから、あんまり食べると体に悪いですよ」


「どう悪いのか、私の体で試してあげるわ」

「んもうっ」


お師さまは「起きたばかりで食べられない」と言っていたけど、ぼくの頭ほどもある、硬くて重い丸パンを2つも平らげた。

ぼくがスライスしたパンを2枚食べ終わる間に、丸パンを指で易々と引きちぎっては、チーズを乗っけたりベーコンを乗っけたり、魚のスープに浸したりしてペロリだ。


ぼくとお師さまが食べている横で、朝食を用意したフーリーさんは、自分専用のドリンクをちゅーちゅー吸っていた。

食事を終えるとお師さまは作業場に引っ込み、ぼくは朝の日課である掃除を始める。


「洗い物は、私がやっておく」

「ありがとうございます、フーリーさん」


岬の先っぽにあるお師さまの家は、結構な広さを持つ石造りのゴツイ修道院だった。

お師さまは修道女でもないのに、なぜだか“五教会修道院長”の肩書を持っていて、ここに住んでいる。


修道院は信者たちが俗世を捨てて出家し、集団生活をおくる場のはずだけど、

ここに住んでいるのは、お師さま、フーリーさん、ぼくの3人だけ。

思い切り名ばかりの修道院だった。


そんな修道院の部屋数は軽く30を超えて、これに地下室を加えたらとんでもない数になる。

とてもぼくだけで掃除しきれるものじゃない。


なのでそこは無理せずに、主に使用する1階を重点的に掃除していた。

1階だけでも大変だけど、ぼくには強力な助っ人たちがいるのだ。


「まずは、礼拝所から」


全く使っていないんだけど、ここが汚いと何だか気持ちが悪い。

礼拝所は教会のようなベンチはなくて、がらんとした空間だった。


祭壇には五芒星“☆”と、それにまつわる神々のレリーフが刻み込まれている。

必要最低限の飾りだけで、教会のように華美な装飾はなく簡素なものだった。


そんな聖域を、ぼくはほうきで掃いていく。

くとははらい清める意も含まれているから、やっていて気持ちが良い。


「お出かけですか、ふんふん、ふ~ん♪」


掃きながらぼくは、周囲で白銀にきらめく気脈(魔力)の流れを見つめた。

こちらの世界に来て少し驚いたのが、お師さまやフーリーさんには、気脈が見えないらしい。


気脈(魔力)とは見るものではなく感じるもの。

魔導の秘術によってしゅを唱えたとき、魔力が一点集中してそ、こで初めて視認レベルにまで達するのだと言う。


なのでぼくが「いっつも見えます」と言ったら、逆に驚かれた。

その時、お師さまが唸って――


「う~ん……これもナナオが、異界から転生した妖狐だからかしら?

それにナナオはあっちで、神使しんしでもあったのでしょう?

何かそこら辺のせいよね、きっと」


などと首を傾げつつも、お師さまが納得していたのをぼくは覚えている。

ぼく自身も、まあそこら辺なのだろうと思った。


そんなぼくが気脈を見つめて鼻歌まじりに掃いていると、灯りのない暗い礼拝所の中に、どこからともなくローブ姿のゴーストが現れ始める。


過去において、この修道院で死亡した修道女たちだ。

一人二人と増えていき、ぼくの周りに集まってくる。


ヒノモトで“お稲荷さん”だったぼくにとって、ゴーストなんて朝に見かけるすずめみたいなもの。

ぼくはゴーストたちに軽く挨拶あいさつすると、地や宙に流れる白銀の気脈(魔力)に触れ、それを水飴のように伸ばしてゴーストたちの首筋に繋げていった。


これをやると霊たちが喜ぶ。


気力がみなぎってくるようで、繋げたお礼に掃除を手伝ってくれたりする。

気脈の力でハタキを作り、ぼくの背では届かない所をハタいてくれる。


礼拝所が終わるとぼくは修道女たちと共に、中庭をぐるりと取り囲む“回廊かいろう”へと向かった。

回廊とは修道女が、日々歩きながら神にまつわる書物を読み、思索にふけっていた廊下のこと。


ここも全く使っていないけど、やっぱり掃いておかないと気持ちが悪い。

回廊を皆で掃いていると、回廊に接する部屋から赤子のゴーストが滲み出てくる。


修道女たちと同じように白銀の気脈を繋げてやると、声は聞こえないけれど、赤子たちが元気に泣いたり笑ったりし始める。


赤ん坊たちは、良く修道女たちに抱かれたがった。

そして修道女たちも、赤ん坊を抱きたがった。


なぜ女性だけの修道院に、赤子のゴーストが多くいるのか?

ぼくは赤ちゃんを抱く修道女を見るたびに、しみじみと思う。


「そりゃあねえ……修道院にも、色々とあるよねえ。

人の煩悩ぼんのうは古今東西、そうそう絶てるものじゃないって事だよねえ」


赤子を抱く修道女。


一見慈愛に満ちた光景だけど、両者ともヒノモト風に言えば、未だ成仏できていないという事。

赤子の霊がいるという事は、生まれて間もなく人知れず処分されたという事。

それを思うと、ぼくは少し寂しくなる。


「まっ……今さら言ってもしょうがない」


ぼくは気持ちを切り替えるように、尻尾をぶるぶる振ると、回廊から中庭へと出た。

中庭の隅っこには井戸があり、その井戸のフチに少女のゴーストが腰かけている。


朝日は中庭へ斜めに差し込んでいるけれど、隅っこはまだ薄暗い。

その中で少女が白銀に輝いていた。


ぼく少女の周りの気脈を見る。

気脈は少女の体から放射状に伸びていた。

それは少女が、気脈の根源だという事を意味している。


お師さまとフーリーさんには、内緒だけど――

ぼくはこの少女とこっそり、“神と神使”の契約を結んでいるのでした。

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