第8話

第8話



土下裕樹は我慢できずに自販機で購入した缶コーヒーを片手に、目的地へ向かって歩いていた。

通行人とすれ違うたび、自慢するように新調した短ランをはためかせながら自分の世界に浸っている。

「あぁ...?」

マナーモードで振動するスマホをポケットから取り出し、通知内容を確認する。

組織から支給されたスマートフォンには、専用のチャットアプリがインストールされており、それを通して組織からの指令を受けたり、事後報告などをしている。


S『【緊急連絡】以前の指令に関して、新たな人質の確保が確認されたため、直ちに遂行してください。』

UnderGround『”新たな”って、どういうことだ?前の人質はどうなったんだ?』

S『現状、把握出来ていません。そちらも含めて調査をお願いします。また、確認出来次第こちらからも追って連絡します。』

UnderGround『了解』


「人質が増えた...かは分からねーけど、めんどくせー...。”直ちに”ね...急ぐかぁ...。」

気怠げにそう呟くと、裕樹は運動靴を地面と擦らせながらクラウチングスタートのような体勢をとる。一呼吸置いた後、前方に体重を落としながら、後方の足で一気に蹴り出した。

ダッ!!という音と共に彼の体は弾丸の如く勢いで押し出され、一拍遅れて周囲の空気が暴風と化す。その余波によって、街路樹のイチョウは燦然と葉を散らせ、乱立する看板や交通表示パネルを揺らす。どこぞの民家からも、季節外れの風鈴が清涼に響いてくる。



「う”ぅ”ー、風寒みィー!あーここ右ね...いやぁー寒いっ!あっ、次左かっ...。」

常人離れ、というレベルではない速度で街を疾走する異能系スタイリッシュ青年土下裕樹は、あっという間に目的の地へ到着した。

そこは、数年前の土地開発で建てられた小規模マンション4棟組みの集合住宅地だった。

「さァて、ちゃちゃっと終わらせますかっ!」

軽く意気込み、敷地に足を踏み入れる。

「たしか...部屋は”3-501”だったよな...”3-”ってことは、第3棟か...。で、5階の1号室ね...。」

裕樹は、送られてきた情報をスマホの画面で確認しながら、さも全て覚えているかの様に独り言を吐いていた。


「あァ...?」

各棟側面の表記を眺めながら敷地内を進み、第3棟へ辿り着くと1人の大柄な男性が話しかけてきた。

「あぁあ、こんにちはぁ。お初にお目にかかりますねぇ。うちの入居者様のお知り合いの方でしょうかぁ?」

見掛けは30代後半の男性。ツンと鼻につく体臭、顎を覆う青髭、小太り気味であまり清潔感を感じない。

組織からは『可能な限り一般人を巻き込むな。』としょっちゅう忠告を受けている。これまで何度かそれでお叱りを受けたばかりだ。それ抜きでも実際、一般人の目があると、能力に関することだとか色々面倒なことも増えるだろう。

(パンピーにはご退場願おうか...。)

普通に考えて、新聞配達だとか、セールスだとか言うのが無難と考えるかもしれないが、こういう集合住宅とか団地みたいな場所では、外様は倦厭される節がある。

だから変に嘘をつかず、住民の友人とでも言うのが最適だろう。

「あっははー、こんにちはー。そっそうですね!...俺ェ”秋篠”さんの友人でしてー...それd。」

「あぁーあ!そうですかぁ!」

青髭小太りの男性は、こちらが言い終える間もなく少々食い気味な様子でそう返答した。

話を遮られたことで一瞬思考が止まる中、男は不気味な笑顔をこちらに向けながらこう続けた。

「あきしのさぁんのご友人でしたら心配いりませんねぇ!どうぞどうぞ、確かあきしのさんは、こちらの第3棟でしたよねぇ?」

「は、はぁ...。そうですね...。あ、ありがとうございます。」

男が向ける笑顔が不気味で、妙な気持ち悪さを感じるが、それだけでどうこう出来るような権利も道理も持ってはいないし、それ以前に、今は組織からの指令の方が優先事項だ。

「いぃえ!いぃえ!!こぉぅちらこそ、お急ぎでしたかね?お邪魔しちゃってすいませんでしたぁ...。」

「そんなそんな、あはははー」

男は「では...」とだけ告げると、住宅地の入り口の方向へ向かって歩いて行った。


「っうし...」

青髭の男が見えなくなるのを確認し、目の前に聳えるマンションの正面玄関へ歩き始める。

正面玄関に扉はなく、中央がくり抜かれた様な形で階段が設けられた一般的なマンションだ。入ると、すぐ右手の壁に住民が利用する集合ポストがあった。表記された部屋番号から、5階建てに1階あたり6部屋の計30部屋あることが見て取れる。

情報収集がてら”例の一室”を探してみることにした。

(えーと、ごぉー...のっ、と......お、あった、ん...?)

”3-501”と表記されたポストを発見はしたものの、不意に向けた視線を先の床にあったのは、

「んだこれ?...メモか?」

落ちていたのは、少しシワのある四つ折りにされた白い小さなメモ用紙だった。

疑心しながらも好奇心が勝ち、しゃがみ込んでメモ帳を拾い上げる。よく見ると少しシワが付いており、そのシワの付き方から強く握り込んだ様な形跡も確認できた。

メモの折り目を開いてみると、弱々しく細い線でこう書かれていた。

『3-501号室に監禁されています。助けてください。犯人は髭の生えた小太りのおじさんです。』

(ん...?髭に...小太り......さっきのおっさんじゃねーか?!いや待て、”指令”によると能力者は”秋篠綺捺”とかいう女だったくねーか...?)


表情筋を豊かに働かせながら考察に花を咲かせていた裕樹に忍び寄る一つの影があった。

一歩、また一歩と、その影はゆっくりと、ただ着実に彼の元へ距離を詰めていく。

そして、影はとうとう彼の背に手が届く距離までたどり着いた。メモに夢中で振り向くこともなく、依然不動を貫いていた裕樹に、その影はゆっくりと手を伸ばす。

「っ!!」

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