第4話

第4話



「...あっ、んー......(直哉にいの声。もういいのかな)」

脱衣所のそばの廊下に座り込んでいた紗綾は、広げた自分の右手の指を左手の人差し指でリズムよくトントンと順番に叩いて暇を潰していた。

待ち侘びた兄からの声に立ち上がった彼女は、背中を預けていた脱衣所の扉をゆっくり開けた。

脱衣所へ入ると、風呂場のすりガラスから内部の明かりが漏れ、シャワーの音がざーっと鳴り響き、時折、洗面器やらがぶつかる音も聞こえてくる。

「...おぉお......(よぉーっし、やるぞ〜)」

紗綾は先ほど兄からレクチャーされた洗濯の手順を丁寧に思い出しながら作業を始めた。

「...ぇえっと〜......(えっと、まずはっと...)」

”1、各衣類の洗濯表示を確認”

「...うん...(うん、大丈夫そう)」

”2、大きな汚れがないかの確認、色移りしそうなのは分ける”

「...ぉし...つぎは......(できたー...次はっと...)」

”3、デリケートな印刷、形を崩したくない衣類、糸くず付着が気になる衣類を洗濯ネットに入れる”

「...ん〜......(これは...どっちだろ...)」

「おーい、さあ?まだいるかー?」

少し楽しくなって集中していた所へ唐突に浴室から声をかけられたことでかなり驚いたが、兄が居たことを思い出し、すぐに冷静さを取り戻す。

「...っん?...(なにー?)」

毎度の如く掠れた小さな声で返事をする。

「...あーそっか...さあ?もし居たら扉をノックしてくれ。」

おそらく聞こえていなかったのだろうと理解し、少し強めに扉をノックする。

当人としてはちゃんと声を出していたつもりなので、その不服を込めた結果ノックする腕に力が入ってしまった。そんなことに気づくはずもなく、扉の向こうの声は着実に用件を告げる。

「あぁ、いたか!大事なことを言い忘れてて、ズボンとかパーカーのポケットにゴミとか入ってないか確認してくれ。ティッシュが入ってたらそりゃもう悲惨だからな〜。俺のは...大丈夫なはずだけど......一応見といてくれ。」

「...うんっ!......はぁはぁ...」

先ほど声が届かなかったことに腹が立った紗綾は、どうしても見返してやりたいという気持ちを抑えられず、頑張って普段より大きめの声を出してみた。

「お、おー、じゃあ頼んだ。」

思ったより反応が薄くてがっかりしたが、大きい声を出したらスッキリしたようで、作業を再開させることができた。

「...っと〜......(えっとなんだっけ...)」

”ポケットの中を確認する”だ。

言われた通り、順々に服のポケットの中を確認していく紗綾。


「...ん?...(なにこれ?)」

直哉の服のポケットから折り畳まれたメモのようなものが出てきた。紗綾は、プライバシーだうんぬんを思いつくより先に、好奇心でそのメモを開いてしまった。

「...え?」

メモの内容に唖然とし、不意に出た明瞭な声に「今じゃない!」と心の中でセルフツッコミを入れてみる。

開いたメモには大きな丸文字で”助けてください”という文言と謎の住所、それと”秋篠綺捺”という人物の名前が書かれていた。

「...?...(なにこれ...秋篠綺捺...?)」

…...聞いたことない名前、なにこの住所、それに”助けて”って?何か事件とか...じゃないよね?

……そういえば帰り道の女の子...いやでもあの子は"きなつ”って呼ばれてた様な......。

...なんでこんなメモが直哉にいのポケットから...?

.........直哉にい、悪いこと...してない...よね......?


疑念に苛まれながらも、言われた通りに洗濯作業を終わらせ、脱衣所を出る。

兄に一言伝えようかとも思ったが、”邪魔しちゃ悪い”やら”早く風呂をあがりたいかもしれない”やら適当に理由をつけて、脱衣所から逃げるように自室へ戻った。



しばらくすると階段を登ってくる音が聞こえた。”直哉にいに限ってそんなことはない”とは思いつつも、先ほどのメモを持っていることを知られたらどうなるかわからず少し怖かった。どうしても不安が拭えず、寝たふりで誤魔化すことにした。足音を殺し、扉横の照明のスイッチを押し、布団に滑り込む。

案の定、かもしくは、純粋にねぎらいの言葉を伝えに来たのかはわからないが、扉をノックされ、数秒経過した後扉が少し開いた。

扉の隙間から顔をのぞかせる兄は、部屋の明かりが消えていることと、私が布団に入っているのを確認すると、小さく「おやすみ」と呟くように言い、扉を閉めた。


それから自分の中で「ほらね直哉にいが悪いことするわけないよ」という面と「まだわからない、隠しているだけかもしれない」という面がせめぎ合い、論争を起こしていた。

...そういえば、あのメモ帳に住所書いてあったけど、あれうちのすぐ近くだったはず。明日休みだしちょっと見に行ってみようかな。いや危ないか...離れたところから覗くくらいなら大丈夫でしょ、そうだよ。よし明日行ってみよう。

「...ふっ(そうと決まったら、書いてあった住所調べよ)」

そうして、枕元にあったスマホの地図アプリを開き、書かれていた住所を入力する。

...へー、マンションかぁ、これだとどの部屋かわからないな......あ、そっか、確かメモに名前が書いてあったからそれで探せばいいんだ。マンションには入り口付近に集合ポストがあるはず、あぁ、でもそれだと近づかないといけないのか。

「...んー」

そうこう考えているうちに、”フリ”だったはずが、布団の暖かさでいつの間にか眠りについてしまっていた。

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