第3話

第3話



交番から帰った小林直哉は、気付かぬうちに足早になり、筋肉痛で棒の様になってしまった足を庇いながら玄関前に立つ。続けて、一呼吸置いてから扉を開き、いつものように帰宅の知らせを送る。

「...ただいまー」

「...ぁえり......」

先に帰っていた妹の紗綾が出迎えてくれる。

彼女は小さい頃から無口...というより、かなり人付き合いが苦手な子だ。その上、唯一心を許していた母親は2年前に行方不明になってしまった。最近こそ受け答えしてくれるが、少し前までは話しかけても無視されていた。無視はちょっと言い過ぎかもしれないけど、まぁ、返答はしてくれなかった。

これも俺の地道な努力の結晶といえようか。

毎日、朝の弱いさあを起こし、朝食を作って食べさせる。「まあまあ」と酷評されて悲しむのは後回し。時間になったら部屋に押し戻し制服に着替えさせる。事故を起こすわけにはいかないので、遅かったらノックして急かす。大抵はこの辺で意識がはっきりしてくるので、顔を洗ったり、髪をといたり、歯を磨いたりは自分でやってもらう。

「こう思うとやっぱ大変だったな...」

「ん...?」

「いや、何でもない。」

「...」


部屋に戻って着替えを済ませ、学校の課題を取り出し机に置く。忘れっぽい性格故に、こうして直ぐにはやらないにしても、提出期限が迫っている課題は机上に並べておく癖をつけている。

「はぁ〜」

ふと、交番での一件を思い出し、自然と大きなため息が出る。

「なんやったんかね、あれ...」

(...えーっと、確か......)

まず、誘拐されてた疑惑のある幼女がいて、彼女の保護者を名乗る怪しい男が登場。からの、男に言いくるめられて”ご協力ありがとうございましたbot”と化す警官、と言ったところだろうか。

「.........はぁ〜、わかんねー。」

コンコン

急なノックの音で別に何も悪いことはしていないのに、ビクッと肩を震わせて驚き、背もたれに預け切っていた腰を起こす。

「...ご...んで......よ......」

よく知る声に落ち着きを取り戻し答える。

「おー、さあ。ご飯できたのか?」

「...うん......」

「ありがとな、今行く。」

「...」

掠れているというか、小さすぎて聞こえない声だが、いつものことなのでもう慣れた。こういうこと言うと少しキモいかもしれないが、普段無口で可能な限り人と話したくない系女子のさあが頑張って声を出して呼びにきてくれるのが愛しくてたまらな...やっぱなしだ、忘れてくれ。

「て、誰も聞いていないんだけど...ははは」

自室に1人、華麗なセルフツッコミを決める中、階段を降りる妹の足音が余韻の様に響く。



「おー、うまそー。え、これも作ったのか?」

「...うん。」

何となくいつもより自信のこもった「うん」だった気がする。多分他の人にはわからない誤差だけど、これも兄貴の特権か。

「...ん......?」

そんなことを考え、無意識に出てしまったニヤけ顔を見られ変な目で見られる。



「ごちそうさま、美味しかった。いつもありがとうな。」

「...んっ♪」

「うんうんっ♪」

「...ん...?」

「ううん、何でもない、なんでもない。」

あぶないあぶない、直近で一番感情的なさあを見れて限界化しかけた。


「さあ?」

「...ん?」

「風呂先入ってきな、俺皿洗っとくから。」

「...っ、んぅん......」

「ん?どした?」

「...ん...!」

そう頷きながら、右手人差し指をキッチンへ向ける。

手伝ってくれると言うことだろうか?

「いいよ、お前は作ってくれただろ?それにいつものことだし。」

「...んっ...!」

紗綾は変わらず指を差して主張する。

どうしようかと考えた結果。

「あー、じゃあ。洗濯を手伝ってもらおうかな...?」

「ぅんっ...。」

「おけおけ。じゃあ、あとで洗濯機の使い方教えるわ。とりあえず、さあは先に入っといで。」

「...ぅん...」

完璧に了としたのか、少し控えめではあったが、返事と同時に綺麗な黒髪を揺らしながらニコッと笑顔を見せてくれた。

うん、可愛い。


皿洗いと言っても所詮2人分だし、その上さあはできるだけ皿の量を減らすように盛り付けてくれるので、いつも皿と茶碗4、5個と箸だけとかなのでそれほど負担にならない。

10分もかからず洗い終わり、ソファに寝転んでスマホをいじる。


暫くしてダボダボの部屋着に着替え、髪にタオルを巻いたさあが戻ってきた。

時計を見るとあれから30分。

スマホをいじっていると時間感覚がおかしくなるから気をつけないといけない。

「おっ、さあ、ゆっくりできたか?」

「...ぅん...」

「ほんじゃ、行くか。」

「...ぅん」


脱衣所に着くと、さあに大まかな洗濯機の使い方と、洗濯する時の注意点を伝えた。

その後、一度脱衣所を出てもらい俺は風呂に入る。

「オッケー、もういいぞー。なんかあったら言ってくれー。」

返事は聞こえなかったが、大丈夫だろう。防水加工された風呂場の扉と、脱衣所の扉越しなら、普通にしてても聞こえないさあの声は聞こえなくても仕方がない。

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