第7話 「んじゃっ、ボクはこの辺で!」
命は闇夜を恐れる。先が見えないから。自分がどうなるか分からないから。漠然とした不安が漂っているから。だが明日死ぬかもしれない闇夜の中に命は生まれる。自分を縛り付けている闇。そこから解放されることを命は望んでいる。陽陰改たちは無意識下にそんなことを考えている。
誰ひとりとしていない寂れた夜の住宅街。その真ん中を八咫烏(やたがらす)は優雅に堂々歩いていた。そんな彼女の目の前に、電灯に背を付けている黒いローブの怪しい人物が待ち構えていた。フードを深く被るその人物は、目を隠すように仮面を付けていた。どう考えても只者ではないオーラがそこから感じられた。無視して通り過ぎようとする八咫烏(やたがらす)。そこを仮面の者が呼び止めた。
「ねぇ?」
「なんだ?」
声色的に仮面の者は女性らしい。八咫烏(やたがらす)は立ち止まった。
「あなたこの前、夜叉(やしゃ)ちゃんにちょっかいかけてたわよね?」
「ちょっかい? なんのことだ?」
「変な物を送って。挙句の果てには勝手に戦って。」
「勝手ではない。こちらからの挑戦状をあちらが呑み込んだだけだ。」
仮面の者が近づいてくる。
「これ以上夜叉(やしゃ)ちゃんに近づかないで欲しいんだけど。」
「断る。」
「そう。まぁ、断るのは自由よ。ただ……」
仮面の者は、すれ違いざまに八咫烏(やたがらす)に囁いた。
「夜叉(やしゃ)ちゃんの相手は私だけ。覚えておくことね。」
その一瞬、八咫烏(やたがらす)は彼女が陽陰改(ようかい)であることと、今までに感じたことのない憎悪と嫉妬の念を自身に抱いていると感じ取った。振り向くと既に仮面の者はいなくなっていた。いなくなった、というより一瞬で消えたとしか思えなかった。
「なんだ……?」
八咫烏(やたがらす)は少しの間、訝しげな顔で立ち尽くしていたがそのまま立っていてもしょうがないと考え、先ほどまでのことを忘れるように歩を進めた。
巨大なドームに囲まれた、風ひとつない砂地の戦場に2人の陽陰改(ようかい)が立っていた。共に戦闘の構えに入ったまま微動だにせず、付かず離れずの間合いを保っている。黒髪ショートカットの方は余裕の笑みを見せつつも息を切らし、もう片方の陽陰改(ようかい)は息を切らさずとも刺すぐらいの鋭い眼差しを目前の標的に向けていた。
「両者睨み合いに入る! どちらが先に動くのか!?」
女性実況者の声と共に観客の熱量も上がってくる。場にいる人々、その全てが一体となり痺れるような緊張感と奥底にある熱を抑えられなくなっていた。そして遂に緊張が乱される瞬間が訪れた。
「最初に動いたのは……寧々子(ねねこ)だァ!」
始めに動いたのは余裕の笑みを見せていた方……寧々子(ねねこ)。彼女は透明な小型円盤『アクター』を宙に生成して周囲に浮かばせ、眼前の相手に一斉に放つ。アクターの1つ1つが八方から取りつき、生きているかのような動きで追尾し突進していく。しかし、一枚上手な相手はそれら全ての挙動を的確に読んで容易く回避。アクターはみな地面や障壁に衝突して消失、或いは互いにぶつかり合い相殺されて消滅してしまった。
寧々子(ねねこ)は左方に回り込みつつ続けざまにアクターを投げつける。相手の陽陰改(ようかい)が後方へとジャンプで回避したところで転機は訪れた。相手が1発を躱し損ねた。相手の顔面にアクターが近づく。相手は即座に回避出来ないと判断し右手から光の球を射出。無事掻き消した……と思った一瞬、視界には勝ち誇った笑みを浮かべる寧々子(ねねこ)が見えた。光球が円盤に命中した瞬間、円盤が破裂し、視界を完全に覆った。
「かかった!」
寧々子(ねねこ)は目を閉じ左手を後方に回し意識を集中させる。左掌に今までとは比にならない巨大円盤が生成され、目を見開くと同時に巨大円盤が相手に放たれた。
「水車(みずぐるま)!」
寧々子(ねねこ)が技の名を叫ぶ。普段ならこれで決まる。今回もこれで決着はつく……はずだった。
「小癪な! 見えないぐらいで!」
寧々子(ねねこ)の当たるという確信とは裏腹に、相手は目潰しを物ともせず上空に飛び上がって回避。そして流れるように空中から拳を打ち落としてきた。
「えぇ!?」
「寧々子の伝家の宝刀、水車(みずぐるま)がよけられてしまったァ!?」
実況の驚嘆の声。一瞬驚く寧々子(ねねこ)。が、即座に行動を回避に転じさせる。続けざまに相手は着地時の下半身のバネを利用し、さらなる拳と蹴りの連打を仕掛けてきた。寧々子(ねねこ)はただ相手の行動を裁き切るのに気力を使わざるを得ない。少し前まで有利に立ち回れていた寧々子(ねねこ)であったが、たった一つの判断ミスが自身にとって不利な状況を招いてしまっていた。
「一気に形成逆転だぁ!」
実況が叫ぶ。猛攻を避け続け逆転の機会を待つ寧々子(ねねこ)。だが、既に余裕が無くなっているのか、少しずつ攻撃が頬や脇を掠めていくようになっている。それを相手は動揺していると見て、今までの牽制から一転させて一気に勝負を決めにかかった。右拳に光を集めて勢いのまま繰り出した正拳突き。両肘で防御した寧々子(ねねこ)であったがあまりの威力に両腕が弾かれて完全な隙が空いてしまう。好機と見た相手は間髪入れず2発目の突きを撃つ。完全に命中した、と誰もがそう思った。
「一体どういうことでしょうか!? 寧々子(ねねこ)に拳が届いていない!? それどころか赤滅流(あかへる)に拳が命中している!?」
相手陽陰改・赤滅流(あかへる)の腹部に鋭い痛みが刺さる。寧々子(ねねこ)は再びニヤりと笑みを浮かべて逃さずに追撃をかける。何とかこれを首の皮一枚で躱す赤滅流(あかへる)だったが、次の一手まで回避する余裕は持ち合わせていなかった。再び寧々子(ねねこ)の水車(みずぐるま)を目にした瞬間、赤滅流(あかへる)は自身の敗北を悟った。
試合終了後、寧々子(ねねこ)の目の前には多くの記者が集まっていた。
「寧々子(ねねこ)さん、本日の試合の調子はー?」
「最高!」
「今日の試合について何か一言!」
「余裕余裕! ま、アレはちょっとびっくりしちゃったけどね!」
「階級戦については……」
「階級戦もそのうち!」
多くのマイクに囲まれる中、威勢良く答え続ける寧々子(ねねこ)。インタビュアーが次々と駆け寄ってくるが、「そろそろお時間ですのでー……」というスタッフの声の後、寧々子(ねねこ)は「んじゃっ、ボクはこの辺で! じゃあね!」と笑顔で手を振りながら退室した。
退室後、スタッフによって控え室へと通された寧々子(ねねこ)。室内には召喚士の狩谷(かりや)が待っていた。
「お疲れ。」
「お疲れー!」
狩谷(かりや)に小走りで近寄る寧々子(ねねこ)。
「いやぁ技を破られた時はヒヤッとしたよー。」
「そうだな。俺もここでその瞬間を見た時はどうなるかと思ったよ。まぁ、寧々子(ねねこ)なら何とか出来ると思ってたけど。」
「当然当然!」
寧々子(ねねこ)は控え室内をぐるっと歩き回った後、背もたれが前になる形で椅子に座った。
「……にしても、銀階級でもあそこまで戦えるやつがいるとはな。」
「そうだねー。」
呑気にしている寧々子(ねねこ)とは対照的に、狩谷(かりや)は複雑そうな顔をしていた。
「なぁ、そろそろ階級戦をする気はないか?」
「その内ね!」
「……なぁ、階級戦をやらなくなってもう1年経ったぞ。」
狩谷(かりや)は言葉を選ぶように喋る。それを聞いて寧々子(ねねこ)の表情が陰った。
「……だから?」
露骨に声のトーンが下がる寧々子(ねねこ)。
「あ、あぁ、だから、そろそろ階級戦も、だな……世間からも白金級挑戦を期待されてるんだしな……それに。」
「それに?」
寧々子(ねねこ)が声だけで威圧する。狩谷(かりや)が話し始める前に寧々子(ねねこ)が再び口を開いた。
「ボクが雑魚狩りしかしてないって言いたいんだ?」
「い、いや」
「言いたいんだね。格下にばかり目をつけて指名戦ふっかけてるって。」
狩谷(かりや)が何かを言いかけたところで寧々子(ねねこ)が遮る。狩谷(かりや)が俯くと、途端に寧々子(ねねこ)は先ほどとは打って変わって笑顔に戻り、明るく振舞い始めた。
「冗談だよ冗談! 階級戦もその内やるって!」
寧々子(ねねこ)の大笑いが控え室内に広がる。
「そうか! そうだよな!」
狩谷(かりや)は必死に作り笑いを見せた。
温暖な昼の陽の下、夜叉(やしゃ)と烏天狗(からすてんぐ)は土手で小石を川に投げ合う、所謂、水切りというやつをしていた。
「あの地面から出るやつ、いつ考えたん?」
「あの時、咄嗟に思いついた。」
「なるほど、な。」
烏天狗(からすてんぐ)が足元の平たい石を拾い、投げる。3回飛び跳ねて石は沈む。
「最後のアレもせやけど、ようそんなにアドリブで立ち回れるな。」
夜叉(やしゃ)も同様に投げる。4回飛び跳ねて沈んだ。
「まぁ、結構感覚で動いてるところあるから、あんまり思いつきっていう実感はないけどね。とにかく今の目の前だけを見てる。」
「感覚、かぁ。」
続けて2人は石を投げ続ける。烏天狗(からすてんぐ)と夜叉(やしゃ)、共に4回、石が水面を跳ねる。
「なぁ、この前、陽陰改(ようかい)がどこへ行くのかが分からんって話したやんか。」
「うん。そんなこと言ってたね。」
烏天狗(からすてんぐ)5回、夜叉(やしゃ)4回。
「不安だったんや。生まれた時から勝手に跡継ぎがどうとか階級がどうとか言われてな。柏原(かしはら)はめっちゃええやつやけどな。けど、やっぱウチが縛られてる感はあった。だから本当は今の今まで弱気になっとったんや。けどな、今の夜叉の話聞いて、取り敢えずは今のことに集中するのもええんかなって。」
「そう……だったんだ。」
「そしたら、強く生きれるんやないか。」
「ま、アタシの考えにそんな深い意味は無いけどね。」
「ええやんそんなこと。」
烏天狗(からすてんぐ)5回。夜叉(やしゃ)6回。烏天狗(からすてんぐ)からすれば、夜叉(やしゃ)は見えない将来に対し今出来ることに全力を注いでいるように見えていた。だから、戦いを切り抜けられるのだと。
だが、夜叉(やしゃ)としては今出来ることをやれたとして、それで将来への、自分自身への不安が解けるとは毛頭思っていなかった。
「けどどこまで、どれだけ強くなれればいいんだろうね、本当……。」
夜叉(やしゃ)が石を投げる。7回跳ねそうになった寸前で水上に飛び出ている岩と衝突し、ぽちゃんと水中へ落ちた。
「似たもん同士やな、ウチら。時の迷い人。」
同時に、夜叉(やしゃ)の肩掛け鞄の中から着信音が鳴った。すぐさま取り出す。水木からの電話だった。
「もしもし、夜叉(やしゃ)、次の試合決まったよ。」
「次? 階級戦はまだでしょ?」
「また指名戦。」
「うわ。」
またもや勝手に試合を組まされてしまった。もうこれについてはしょうがないと割り切るしかない。
「報連相ぐらいしっかりしときや……。」
その様子を烏天狗(からすてんぐ)は呆れた顔で見ながら呟いた。
「で、対戦相手は?」
「それがだな。聞いて驚くなよ? ……あの、寧々子(ねねこ)だ。」
「……え? え!?」
夜叉(やしゃ)は電話を片手に驚きを隠せなくなっていた。
「これは夜叉(やしゃ)の知名度を上げるチャンスでもあると思って、快諾しちゃった。ま、八咫烏(やたがらす)相手にかなり戦えてたんだからいけるよきっと。」
「いやむしろ嬉しいよ。そんな機会、滅多にないだろうから。」
ぼんやりとではあるが、丁度寧々子(ねねこ)と戦ってみたいと思っていた夜叉(やしゃ)にとって今回のは大きな朗報だった。水木陽陰堂(みずきようんどう)にまた新たな風が吹いた。
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