第3話 「どうした? 貴様の力はそんな程度ではないはずだろう?」

 翌日。夜叉(やしゃ)は朝早くにある場所へと向かった。向かった先は水木陽陰堂(みずきようんどう)から2駅ほど離れた所にある高層ビル。裏口の壁にある認証機械に手を当てると自動ドアが開く。そのまま中の廊下を進みエレベーターへと入りボタンを押す。押したボタンは「B99」、地下99階。数十秒の後に扉が開くと、横長のガラス窓を両脇とした廊下が伸びているのが見える。そこを突き進み左奥にある扉を開くと、中に長机に置かれた複雑な機械を弄っている水木(みずき)がいた。夜叉(やしゃ)が入ってきたことに水木(みずき)はすぐに気づいた。


 「お、ついたか。」


 「今日はアタシのが遅かったね。」


 苦笑する夜叉(やしゃ)。水木(みずき)は準備のためにいち早くここに訪れる必要があるのだが、だらしないので普段は大体夜叉(やしゃ)より遅れて到着していた。が、この通り今日はちゃんと先に来れていたようである。おかげで夜叉(やしゃ)が暇になる時間が無くなった。

 水木(みずき)は少し伸びてから「始めるか。」と夜叉(やしゃ)に伝えた。夜叉(やしゃ)は頷いて、機械の左脇にある二重扉を開いた。そこは、真白の何もない広大な空間だった。ここは陽陰改(ようかい)専用のトレーニングルーム。召喚士を取り纏める組織・陽陰改協会(ようかいきょうかい)はこうしたトレーニングルームを数多く所有している。それを召喚士たちはレンタルすることが出来、水木も借りていた。

 夜叉(やしゃ)がトレーニングルームの中央に立つ。と同時に扉からカチリと鍵の閉まる音がする。それを合図に解放する。


 「逢魔解放。」


 解放した直後、目の前には3体ほどの黒い人型の影が現れた。人影はそれぞれ構えを取った。これが、陽陰改(ようかい)のトレーニング用の動くサンドバックとなる。


 「まずはいつも通り肩慣らしからいこう。」


 ルーム内に水木(みずき)の声がスピーカーのように響く。と、3体の人影がほぼ同時に襲い掛かってくる。夜叉(やしゃ)はバックステップで避け、手から放つ光弾を連射し3体全てに命中させる。影は光弾に引き裂かれてすぐに消えた。


 「よし。じゃあ次行くぞ。」


 水木(みずき)の声の後、今度は夜叉(やしゃ)の倍以上はある影が現れた。夜叉(やしゃ)が見上げると同時に影は巨大な拳で叩きつけようとしてくる。が、それを影の頭上まで高く飛ぶことでで難なく回避。そして、逆に影が夜叉(やしゃ)を見上げたのを見て眩い光線を放つ。


 「羅掌紋(らしょうもん)ッ!」


 一筋の光線に灼かれて影は消滅した。


 「体力の方はどうだ?」


 「まだ全然。羅掌紋(らしょうもん)を撃っても余裕あるよ。」


 「オーケー。じゃ、本番いこう。」


 そう言うと、水木(みずき)は視線を機械へと戻した。少しすると、夜叉(やしゃ)の目の前に再び人型の影が現れた。だがそれは、今までのものとは全く異なる姿をしていた。その影は、夜叉(やしゃ)と瓜二つだった。


 「この前の試合を元にして作り直した最新版の夜叉のデータ、それを影に落とし込んだ。」


 「他の陽陰改(ようかい)のデータは使えないの?」


 「あぁ……他の陽陰改そっくりなのをそのまま正確にってなると難しいからね。企業秘密は奪えないし。」


 機械に付いているキーボードにデータを打ち込みながら水木(みずき)は喋る。


 「ただ、今回のは前より少し強めに調整してあるよ。推測も入ってるけどスピードもなるべく八咫烏(やたがらす)に近くなるように設定してある。……じゃ、準備はいいか? それじゃ行くぞー。」


 水木(みずき)の合図が入ってから影がゆらりと動き始め、構えを取ったのを見て夜叉(やしゃ)自身も構えを取った。

 緊張の中、初めに動いたのは夜叉(やしゃ)の方だった。夜叉(やしゃ)は手始めにとジャブとストレートを交互に撃ち続けた。影はそれを下がりながら回避。


 「そう動くのは分かってる!」


 回避先を読んで夜叉(やしゃ)は右から回し蹴りを差し込む。だが、影のバックステップの方が速く、掠りもしない。下がり続ける影を追うようにすかさず同方向からの回し蹴りを何度も繰り返し放っていくが、それでも尚、影には当たらない。当たらないどころか逆に最終段で上段を狙った蹴りが災いし、間合いへと入り込まれてしまう。そのまま影はアッパーを狙ってきた。


 「おおっと!」


 即座に夜叉(やしゃ)は地面に光弾を当ててその勢いで後ろに飛んで離脱。地面に接地するところで後転して受け身を取り、立ってから構え直した。構え直したと同時に次は拳の連打を仕掛にいった。しかし、それも全て避けられてしまう。八咫烏(やたがらす)と自身のデータを組み込まれた影は、夜叉(やしゃ)の思っている以上に速かった。

 乱戦の中、夜叉(やしゃ)は影から拳の一撃を顔面に食らってしまい、そのまま宙へ飛ばされた。宙で態勢を立て直すが、その時には既に影が迫ってきていた。完全に影のターンに入られていた。こうなっては防御に専念するしかない。

 守りを固めながら破る策を練る。が、中々思いつかない。一旦下がって離脱しようとするもすぐに追いつかれる。もう1人の自分が相手だというのに、下がり続けている本物の方が追い詰められていた。

 対処法が思い浮かばないまま「ビーッ!」とけたたましいブザー音が室内に鳴り響き、影が勝手に消えていった。夜叉(やしゃ)は地面にふわっと着地した。


 「時間切れ、か……。」


 夜叉(やしゃ)は静かに呟いた。影との戦いに1分の時間設定をしていたのだが、1分以内に倒すどころか優位に立つことすら出来なかった。夜叉(やしゃ)は唇を噛み締めた。

 現在、夜叉(やしゃ)の階級は銀。対して八咫烏(やたがらす)は金。ランク差がある。陽陰改(ようかい)同士では1ランク違うだけで天と地ほど差があると言われている。この練習からも分かる通り、今の夜叉(やしゃ)では八咫烏(やたがらす)に到底敵わないというのは自明の理だった。だが黙っていてもしょうがない。


 「さっきの、もう1回お願い。」

 

 ガラス越しにいる水木を見て人差し指でもう1回と合図を送る。


 「あいよ。」


 夜叉(やしゃ)の挑戦を水木(みずき)は迷わず快諾し再び機械を操作した。夜叉(やしゃ)の目の前に再び影が現れた。



 陽陰改(ようかい)に睡眠は不要である。生命を持ちながらも生命体を超越しているから、という風に人間側は認識しているらしい。だが、そんな理屈は陽陰改からすればどうでもいいことだった。それより、いきすぎた力を持て余してしまう方が大変だった。陽陰改たちにとって孤独で何も無い夜というのは退屈そのもの。だから夜叉(やしゃ)の場合、必要のないはずの睡眠という行為を水木(みずき)と同じようにとっていた。

 眠りの中で夜叉(やしゃ)は架空の現実をよく見た。さも現実のように現れ、目覚めると消える。水木から「それは『夢』だよ。」と教えられたこともあった。


 「『夢』? それって実現させたいもののことじゃないの?」


 と聞くと


 「そういう意味もある。けどそっちじゃない。」


 と答えていた。夜叉(やしゃ)は似たような夢をよく見る。水木(みずき)と出会う前に夜叉(やしゃ)が戦って完敗を喫した時の夢である。夜叉(やしゃ)を負かした相手の顔は夢には出てこない。確か、赤髪ロングの陽陰改(よういんかい)だったはずだ。毎回決まって、敗北する直前、意識が朦朧としてきた時にある言葉を投げかけられて目が覚めていた。


 「まだまだ足んないねぇ、何もかも。」




 あのトレーニングルームのでの猛特訓から1ヶ月近くが経った。


 「いよいよ始まります、夜叉(やしゃ) VS 八咫烏(やたがらす)! 金階級陽陰改(ようかい)がまさかの銀階級のルーキーに宣戦布告! ランク差は覆せるのか!? いよいよ試合開始です!」


 実況の叫びと共に会場内のボルテージも最高潮に達する。得意げに夜叉(やしゃ)を見下ろす八咫烏(やたがらす)、対して静かにニヤリとした笑みを浮かべる夜叉(やしゃ)。睨み合いの時点で既に試合は始まっているようなものだった。


 「あれから随分と鍛え直したようだな。良い心がけだ。」


 「アンタこそ、前に見た時とは随分雰囲気が変わったんじゃない?」


 試合前ではあるが、八咫烏(やたがらす)からは金階級らしい強大なプレッシャーが感じられた。そのプレッシャーは観客席の後ろにいる魍魎(もうりょう)と水木(みずき)にまで届いていた。


 「水木(みずき)さん、本当にアイツ勝てんのか?」


 「さぁね。」


 不安げに喋る魍魎(もうりょう)に見向きもせず水木(みずき)は腕を組みながら喋る。


「この前、八咫烏(やたがらす)の試合映像見たけどよ、隙なんて一切無いようなモンだったぜ? アタシだったら絶対勝てねぇよ。」


 「ま、見てなって。」


 そう言って水木(みずき)は笑う。その顔は、戦場の中心にいる夜叉と似ていた。そうこうしている内に、試合開始の合図が始まった。


 「レギュレーション、ステージ、デフォルト! オールクリア!」


 「逢魔解放(おうまかいほう)ッ!!」


 熱気の中、2人の陽陰改(ようかい)が内なる姿を解放した。今回は互いにぶつかり合わずに一度下がり間合いを取ってから構えた。八咫烏(やたがらす)の両手には特徴的な2本の剣が握られていた。それを見て夜叉(やしゃ)は考えた。


 (武器は両手に握っているあの黒い双剣と、あとは肩から生えている大翼……さて、どうするか……。)


 夜叉(やしゃ)が警戒する中、八咫烏(やたがらす)が口を開く。


 「では、まずは小手調べと行こうか。」


 その一言と同時に八咫烏(やたがらす)は一瞬で間合いをつめてきた。夜叉(やしゃ)は構えを固め、防御を保ちながら半歩ずつ下がろうとする。が、あまりの突進の速さに剣から放たれる鋭利な一突きを両腕に貰ってしまう。刺さりはしなかったが、突きの威力に押されて夜叉の体は壁際寸前まで飛ばされていくこととなった。

 何とか壁にぶつかりそうな所で態勢を取り直した夜叉(やしゃ)。が、見上げた先には闘技場の天を背に飛び掛かってくる八咫烏(やたがらす)がいた。剣先の当たる寸前で今度は飛び上がって回避。八咫烏(やたがらす)も地面にぶつかる寸前で着地隙を見せずに上空の夜叉(やしゃ)を追いかけて飛び立つ。2人の戦いはそのまま空中での撃ち合いへと移行した。


 「なかなかやるではないか!」


 「そっちもね!」


 2人の激戦は次第に観客たちの目で追えないほどとなっていた。


 「あ、あまりの速さに2人の動きが見えません!」


 この光景には流石の実況も驚く。この凄さは人間だけではなく陽陰改(ようかい)も感じ取っていた。


 「アタシにも見えねぇ……銀階級でこんなん見たことねぇぞ!」


 凄まじい戦闘の様子を見て魍魎(もうりょう)が思わず言葉を漏らす。陽陰改(ようかい)の動体視力ですら追えないレベルの攻防が繰り広げられていた。しかし、水木(みずき)はさして驚いていなかった。


 「あぁ、銀階級でここまでの戦いは確かに滅多にないかもな。だが、相手が金階級だというなら話は別だ。」


 次第にではあるが、観客席から夜叉(やしゃ)と八咫烏(やたがらす)の戦闘が詳細に見えてくるようになってきた。2人が遅くなったわけではない。陽陰改(ようかい)バトルでは観客へ被害が及ばぬよう闘技場と観客席の間に耐術壁(たいじゅつへき)と呼ばれる目に見えない壁が張られている。耐術壁(たいじゅつへき)から見える戦いはリアルタイムの戦いそのものではなく、陽陰改(ようかい)たちのスピードに応じて映すシーンの速さを調整している。つまり見えなくなっているということは耐術壁(たいじゅつへき)側の処理が追い付いていない証拠である。処理が追い付かなくなるぐらいのスピードでの戦闘が今、目の前で行われていた。


 「た、確かに金クラスなら有り得そうだよな!」


 魍魎(もうりょう)は自身の無知さを誤魔化すよう声のトーンを上げた。

 試合では2人の拳と剣が激しくぶつかり合っていた。八咫烏(やたがらす)の剣先を掻い潜りクロスカウンターを狙おうとする夜叉(やしゃ)。が、八咫烏(やたがらす)の攻撃は想像以上に速い。掻い潜れずに頬を斬撃で軽く掠められてしまう。掠めたところから“ゲゲ”の粒子が飛び散った。


 「くっ……!」


 夜叉(やしゃ)はそれに気を取られ、蹴りが迫ってきていることに気づくのに遅れた。


 「八咫烏(やたがらす)のキックが炸裂したァ!」


 実況の声が響く。押し飛ばされてしまった夜叉(やしゃ)は飛ばされながらも右掌から光球を数発放つことで追撃を阻止しようとするが、八咫烏(やたがらす)の剣の前ではそれら全てが無意味な攻撃だった。光弾は全て双剣の斬撃によって容易く掻き消された。


 「どうした? 貴様の力はそんな程度ではないはずだろう?」


 接近しながら八咫烏(やたがらす)が挑発する。


 「言ってくれんじゃん。」


 地面に衝突する前に何とか宙で持ち直した夜叉(やしゃ)。夜叉(やしゃ)は更に連続で光球を放ち続けるが、難なく光球の狭間を通り抜けられてしまう。撃ち続け疲弊した頃には、八咫烏(やたがらす)の間合いに入られることを完全に許してしまっていた。


 「夜叉のヤツ、圧されてるじゃねぇか……!」


 観客席の魍魎(もうりょう)が漏らす。実際、夜叉(やしゃ)は一度も八咫烏(やたがらす)に攻撃を当てていない。どう見ても流れは悪くなってきている。だが、そんな状況でも水木(みずき)は一切動じていなかった。眉ひとつ動かさず水木(みずき)は呟いた。


 「いや、そうでもないみたいだよ。」


 そう。夜叉(やしゃ)には切り札がある。攻撃が届きかけたその一瞬、夜叉(やしゃ)は体の軸を横にずらし、そして相手の体に掌を翳した。


 「これはッ!?」


 「捉えた! 羅掌紋(らしょうもん)ッ!」


 夜叉(やしゃ)の逆転の一撃。叫ぶと共に巨大な爆風が巻き起こった。

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