第4話
「……っん」
がた、ごと、と体が揺れる。
振動と馬のいななきに目が覚めると、私は馬車の中にいた。
即効性の睡眠薬だと聞いていたが、持続性は低いのだろうか。
丸一日寝ていたのでなければ、それほど時間が経っていないと思われた。馬車の窓を流れる景色はまだ夜だ。
起き上がろうとして……、私は自分が動けないことに気がついた。両手両足を縛られてしまっている。幸いと言っていいのか口は封じられていないようだが、薬のせいなのか上手く言葉が発せられなかった。
――どうしよう。もしかして誘拐されてる?
もしかしなくてもそうだろう。
さすがにこれはまずい、と頭の中で警鐘が鳴る。
どうにか打開策はないかと考えを巡らせていると、御者台の方から男たちの話し声が聞こえてきた。
「……にしてもユーリーのヤツめ、こんな町外れにいるなんざ思わなかったよ。組織を壊滅させておいて呑気に過ごしやがって……」
――組織? 壊滅……?
一体男たちはなんの話をしているのだろう。
ユーリーに関わりそうな話だということだけは察してしまい、私は思わず聞き耳を立ててしまった。
「――そういえばこの女、見覚えありません?」
「ああ、あるともさ。多分、五年前にうちの組織が誘拐した貴族の一人じゃねぇか? なんで町外れにいたかは知らねぇが……」
「まぁ、この女をダシにして、ユーリーに復讐できればこっちのモンっすね」
男たちがけたけたと笑っている。
だけれど、それどころではなかった。
――五年前……? 誘拐……?
聞き捨ててはならない言葉が聞こえた気がする。
なんだか、酷く頭が痛い。心臓がバクバクして、呼吸が苦しくなってきたような……。
「あ? お前なに馬車の上でマッチなんかすろうとしてんだ?」
「だって、俺は運転してないからタバコ吸ってもいいかなって」
御者台の方では、男たちの会話がまだ続いているようだった。
……マッチ? タバコ?
なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「気をつけろよ?」
「分かってますって……あ」
「あ、おいバカ、なんで馬車の上にマッチを落とすんだ! 早く逃げろ!」
――今、「あ」って言った!? 逃げろ!?
慌てふためいている男たちに、なんだかやっぱり嫌な予感がするのだが……。
程なくして馬車が止まった。
ヒヒィン、と馬が大きく鳴き、どこかへ走り去っていくひづめの音がする。男たちの声も聞こえなくなる。
――え、な、なにごと……!?
私が動揺していると、ぱちぱちとどこかから何かが燃えるような音がしてきた。
それに、馬車の中が熱くなってきたような……。
――まさか!
はっと周囲を見ると、馬車から火が上がり始めているようだった。
――ああ……、私が薄幸(白光)令嬢だなんて思ったからかしら……?
誘拐された挙句、運悪く馬車が燃え、縛られているせいで逃げられもしないとは……。
確かに元から幸が薄い方だという自覚はあったが、これはさすがに酷い。
ついていないにもほどがあるだろう。
あまりの運の悪さに、気が遠くなってしまう。
――違う。それだけじゃなくて、煙を吸ってしまったからだ。
「けほけほ……っ」
薬のせいで上手く喋れないというのに、煙を吸ったせいで喉が焼けるように熱い。
周囲の火はどんどんと大きくなって、視界が赤く染まる。
――ああ、もう……。
熱くて、苦しくて、何も考えられない……。
「フェリシア!!」
聞き覚えのある声がする。
馬車全体に水がかけられ、あれだけ燃え盛っていた炎が一瞬で消えていくのがわかった。
「フェリシア! フェル!!」
誰かが私の体を馬車から引きずり出し、強く抱き締めてくる。
この人は、誰だろう……。
必死に私の名前を叫ぶ声に覚えがあるのに、頭がぼんやりして、すぐに思い出すことができない。
「ユー……リー……?」
霞む視界の中で目を凝らせば、月夜に照らされた見覚えのある銀髪が、視界の端で夜風に揺れていた。
私は絞り出すようにして、ユーリーの名を呼ぶ。
「死なないでくれ、フェル」
ぽたりと、ユーリーの薄紫の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
私の頬に落ちた雫が、ゆっくりと顔を伝って流れていく。
薄幸なだけで私は死なない、と。
そうユーリーに言いたかった。
――それに私、まだユーリーに気持ちを伝えてない。
私を抱いて涙を流す姿を見て、自覚してしまった。
私はこの、得体の知れない魔術師が……。ユーリーが好きなのだと。
言わないといけないのだ。
それなのに、もう。言葉が出ない。
ここで死んだら、私はどうなるんだろう。
消えてなくなるのだろうか。それとも再びループの流れに戻るのか。
意識が遠くなっていく中、ユーリーが魔法を使う気配がした。
――ああそっか、そういうこと。
そうして死の直前になって、私は全てを思い出し……そして気づいたのだ。
――――――
俺の腕の中で、フェリシアが目を閉じる。
俺の腕の中で、フェリシアの命の火が消える。
そんなこと、俺は許さない。
彼女が幸せになれないなんて、許さない。
フェリシアが幸せになるためなら、俺の生命なんて安いものだ。
彼女のためなら俺は、何度だって
俺は――。
「……」
俺は、まだ温もりの残るフェリシアの唇へ、自分の唇を押し付けた。
「君の不幸な結末なんて、俺が覆してみせるよ」
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