第3話


 ◇◇◇◇◇◇



 ユーリーと暮らし始めて、二週間が経過した。

 どうして私のことを知っているのか分からないことは多い。だが、私はユーリーという魔術師に愛着が湧き始めていた。


 というのもこの魔術師、私に対して非常に優しい。


 私は、令嬢ということもあってあまり料理が得意ではない。ご飯の用意はユーリーがしてくれるし、困ったことがあればすぐに駆けつけてくる。

 なんなら、気がつけばそばにいる。呼んでもいないのにいるものだから、ちょっと怖い。

 

 ――なんでこんなに良くしてくれるのかしら。


 私は魔術書を本棚にしまいながら考える。

 ユーリーとは、どこかで会ったことがあるような気がするのだ。なのに、思い出せない。

 あの魔術師は目立つ外見をしているから、一度会ったら忘れるはずがないのに。


「フェル、この本もしまっておいてくれるかい?」

 

「えっ、ああ、置いておいてちょうだい」


 聞こえてきたユーリーの声に、私ははっと顔を上げた。

 いつの間にかユーリーが書庫に入ってきていたらしい。


「何を考えていたの?」


 机に本を置いたユーリーが、私の方へ近づきながら言った。


「べ、べつに何も! ただ、どうして良くしてくれるのかなって考えていただけ!」


 素直にユーリーのことを考えていたと打ち明けるのは気恥ずかしくて、私はふいと顔を背けた。


「……もしかして、婚約者殿のことかい?」


「はっ?」


 婚約者? ヘンリー様のこと?


 なんでそんな勘違いをしているのだろう。私が主語を省いたせいだろうか。

 

 ヘンリー様のことなんて、ユーリーに聞かれるまですっかり忘れていた。

 ここ最近は、ずっとユーリーのことばかり考えていたから。


 ――あれ、私もしかして、この魔術師のことが気になってる……?


 ふとその考えに思い当たって、私は動きを止めた。


 ――い、いやいやいや、違うから! 確かにユーリーはかっこいいし、優しいけど、得体がしれなくて!


「……君はあの婚約者殿のことが好きだったんだろう? 、俺に話してくれたじゃないか」


「……昔?」


 そんな話をユーリーにした覚えがない。怪訝に思って首を傾げると、いつの間にやら目の前まで来ていたユーリーに手首を掴まれた。

 そのまま本棚へ押し付けられる。


「……っなに?」


 なにするの、と見上げると、ユーリーは泣きそうな顔をしていた。

 あまりにも苦しそうな表情をしているものだから、こちらまで苦しくなってしまう。


「俺は……、君が幸せになれるならそれでいいと思っていたのに。そのためなら、俺はどうなってもいいと思っていたのに……」


 溢れ出るように呟かれた言葉は、いつも澄ましているユーリーには似つかわしくないほど弱々しいものだった。


「君が手の届く距離にいると、駄目みたいだ。君を……俺だけのものにしたくなる」


「ユーリー……?」


 ユーリーの顔がゆっくりと降りてくる。

 薄紫の瞳に囚われて、私は動けない。

 ユーリーは長身を屈めると、私の唇に掠めるようなキスを落とした。


「な、なにするの……っ」

 

 触れたのは、ほんの一瞬。

 だけど、ひんやりとした唇の感触がまだ残っている気がする。


「……なにって、キスだけど?」


「なんでキスされなきゃいけないのよ」


 一体この魔術師は、勝手に何を抱えているというのだろうか。

 キスされたことよりも、教えてくれないことが腹立たしい。


 ユーリーを睨みあげるが、全く効いていないようでふっと口元だけで笑われた。

 

「なんでって……君が好きだから?」


「はぁ……?」


 私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 こちらは好かれる理由が分からないというのに。


「もう一度キスしたら、俺の気持ちがわかるかもね」


 そう言って、ユーリーは顔を近づけてくる。


 ――ひ、ひいいいい!


「さ、さよならっ!」


 私はユーリーの手を振り払うと脇をすり抜け、逃げるように部屋を飛び出した。



 ◇◇◇◇◇◇



 ユーリーにキスされた日から三日。

 ひとつ屋根の下で暮らしているというにも関わらず、私とユーリーの間にはなんとなくきまずい空気が流れていた。


「はぁ……」

 

 私は食堂の机に頬杖をついて、深いため息を吐き出した。

 

 ユーリーはというと、もう夜だというのに街の人から依頼を受けたとのことで街へ行っている。

 魔術師というのは、思いのほか便利屋として重宝されているらしい。

 私は一人お留守番だ。


 ――なんで、キスなんかするのよ。


 私が悩んでいるのは、すべてあの魔術師のせいだ。

 別に、ユーリーのことを避けているわけではない。

 だけど、あの日から、ユーリーの顔を直視できないのだ。


 ――私、ユーリーのことが好きなのかな。


 わからない。

 自分の気持ちも、ユーリーが何を抱えているのかも。

 

「はぁ……」

 

 このまま考え込んでいてもしょうがない。

 私はもう一度ため息を吐くと、調合の勉強をするために書庫へむかうことにした。


 ダイニングを出て、短い廊下を歩く。

 と、来客を知らせるチャイムが鳴った。

 

 ――あれ? お客さん?


 もう夜更けだというのに、珍しいこともあるものだ。

 こんな時間にどうしたのだろう。

 私が不審に思いながら玄関の扉をそっと開けると、男が二人、立っていた。


「ああ? なんだ、この女」


「それはこっちのセリフなんだけど……」

 

 一体この二人の男は誰なのだろう。ユーリーの知り合いだろうか。


 気にかかるのは、身なりがあまりよくないということだ。

 服装は、黒ずくめ。人相は、悪い。

 一見すると、犯罪者にしか見えない。


 私が男たちを見定めていると、外から別の男が走ってきた。

 どうやら3人組らしい。

 

「ユーリーは?」


「居ないみたいッス」


 リーダー格らしき男が尋ねると、あとからやってきた男が返事を返した。


「ちっ、間が悪いな……。女だけでも連れてけ。交渉材料にはなるだろ」


 そういうと、男の一人が私の体を羽交い締めにしてきた。


「え……。ちょっと離してよ……!」


 抵抗しようと試みるが、力が強くて上手くいかない。別の男が私の口元にハンカチを当ててきた。


 どこかで嗅いだことのある、甘い香りがする。


 ――これ、私が前にすり潰した……。


 水と混ぜて煮れば強い睡眠薬になるという、あの草の香りだ。


 気づいた時にはもう遅い。


 私の意識は闇の中へと溶けていった。

 

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