第2話


 銀髪の男は、古びた木の杖を持っているようだった。


 ――この人、魔術師……?


 この国には、時たま魔力を持って生まれる人間が存在する。その人たちのことを『魔術師』と呼ぶのだが、実際に目にしたのは初めてだ。


「君たちにはお仕置きだ」


 彼が何事かをぼそぼそと呟くだけで、地面の男たちが悶え苦しむ。


「ぐ、ぐえええぇ……ッ」

 

「ま、待って! 殺さないで……!」


 男たちの断末魔にようやく我に返った私は、慌てて魔術師に駆け寄った。


「どうして。この男たちは、君を殺そうとしたんだよ」


「どうしても!」


 ――あれ……私、この人とどこかで会ったことある?


 風に揺れる銀の髪と、薄紫の瞳。眼鏡をかけているせいか余計ミステリアスに見える。

 不思議な雰囲気の男性だ。


 私は、魔術師なんて存在に会ったことなどないはず。

 この男性にも、会ったことがないはず。

 

 それなのに、間近で魔術師の顔を見上げて、私は妙な既視感に襲われてしまった。


「……仕方ないなぁ。君がそう言うなら」


 内心困惑している私のことなど知らない魔術師は、杖先をくるりと回した。

 それだけで、男たちの苦しみはなくなったらしい。男たちははぁと、深く息を吐き出している。


「ほら、早く逃げな。俺の気が変わらないうちに」


「ひっ、ひいいいい」


 魔術師が冷たい視線を男たちに向けると、男たちはどこかへ一目散に逃げていった。


 その場に残されたのは、私と魔術師だけ。

 男たちが走り去るのを見送ると、魔術師は私の方へ向き直った。


「あ、あの……」


「君、どうしてこんなところにいるのさ?」


「どうしてと言われても」


 私はこの男性と初対面のはずだ。

 なのに、どうしてそんなことを言われないといけないのだろう。


 ――本当に初対面?


 ふと、思い出す。

 先程この魔術師は、私の名前を呼んだ。しかも親しい間柄でしか呼ぶことしかない私の愛称『フェル』と。


「あなたこそ、誰? どうして助けてくれたの?」


 私が聞くと、魔術師は酷く困ったように顔をしかめた。

 何かを言おうとして口を開きかけ、一旦閉じる。


「……俺はユーリー。ただの魔術師だよ」


「ユーリー……」


 名前を繰り返してみるが、やはり私の知り合いではないはずだ。名前に心当たりがない。


「ほら、これをあげるから帰りな。婚約者殿が待っているだろう?」


 ――なんで私の事情を知ってるのよ。


 ユーリーは私の手を掴むと、くるりと手のひらを上向けさせた。

 そこにユーリーが手をかざすと、光とともに手のひらサイズの白い花が現れる。その美しい光景に、私は目を……心を、奪われてしまった。


 ――魔法って、こんなにきれいなの?


「お守りだ。家に着くまで、君のことを守ってくれるだろう」

 

「家には帰らないわ。婚約は破棄したし、私はもう公爵令嬢じゃないの」


 私の言葉に、ユーリーがぎょっと目を剥く。

 それを見て、私は決めた。ユーリーについて行くことを。


「私をあなたの弟子にして」


「な……」


 私の発言に、ユーリーが絶句している。

 でしょうね、と私も思う。

 

 本来の私であれば、こんな決断はしなかったかもしれない。

 しかし、繰り返しを終わらせたい一心と、半ばやけになっていたせいもあったのだろう。

 

 ユーリーは悪い人ではないと思う。私のことを助けてくれたし、お守りの花とやらもくれた。

 どうせ行くあてもない。それならいっそ、心のおもむくままに行動してみたい。


 ユーリーがどうして私のことを知っているのか気になるし……。

 そしてなにより、彼の魔法に惹かれたのだ。


「……弟子って言っても、君……魔力ないでしょ」


 ちらりと私を見たユーリーは、苦笑すると歩き始めた。


「ないけど……雑用でもなんでもするわ」

 

 ユーリーは身長が高いせいか歩幅も大きい。

 私は早歩きでユーリーを追いかけながら答える。

 

「……家には帰らないんでしょ? まさかとは思うけど住み込む気? 俺と二人暮らしだよ?」


「ダメなの? あなたはいい人でしょ?」


 この人は、多分私の嫌がることはしない。

 なんだか妙な確信があった。

 

 先手を打つようにそう言うと、ユーリーは言葉に詰まったようだった。


「……わかったよ。君の気が変わるまで面倒見よう」


「ありがとう!」


 

 ◇◇◇◇◇◇



 そうして、私とユーリーの共同生活が始まって一週間。


 ――思ったより普通だわ。


 ユーリーは町外れの小さな一軒家に住んでいた。空き部屋があるとのことで、私はそこを使わせてもらうことになった。

 どうやらユーリーは魔術の研究をしているらしい。日がな本を読んだり、庭で術を使ったりして過ごしているようだった。

 たまに街の人が訪れて依頼を受けたりもしているらしい。


 私はというものの、ユーリーから薬草の調合について教えてもらっていた。

 

「ねぇ、ユーリー」


 ごりごりとすり鉢で薬草をすり潰しながら、目の前で魔術書を読むユーリーに声をかけた。


「この薬草ってなんの効果があるの?」


 潰せば潰すほど甘い香りがしてくる。

 とりあえず言われた通りにすり潰しているが、まだ何を作っているのかは聞いていなかった。


「その草と水を混ぜて煮れば、即効性の睡眠薬になるんだよ。不眠症の患者がいるから欲しいっていう依頼さ」


「へぇー……」


 なるほど。街の人から以来だったのか。


「ねぇ、もう一つ聞きたいんだけど」


「今度はなんだい」


「いい加減教えてよ。ユーリーはどうして私のことを知ってるの?」


 もう、何度目かの質問だ。

 何度聞いても、適当にかわされて終わる。

 それでも尋ねずにはいられなかった。


「またその質問か……。別にいいだろう、俺が君のことを知っていても」


「良くないわよ」


 勝手に知られている、というのは例えユーリーがミステリアスなイケメンであっても怖いものだ。

 それに、もしどこかで会っていて私が忘れているのなら申し訳ないし、とても失礼だろう。


「それに、どうしてあのとき助けてくれたの?」


 その理由もまだ分からないままだ。

 助けてくれた理由がわかれば、ユーリーが私のことを知っている理由にも繋がる気がする。


 ユーリーはようやく魔術書から顔を上げた。

 

「……君のことが好きだから、って言ったらどうする?」


「え」

 

 薄紫の瞳と目が合う。

 ユーリーの瞳の奥に熱が揺らいでいるように感じられて、私は思わず呼吸を止めてしまった。


「……そんなこと、あるわけないでしょ」


 なぜだか、緊張して口の中が乾く。

 ユーリーが私のことを好きだなんて、ありえないだろう。

 

 私は公爵令嬢として生きてきた。見たところユーリーは身分があるわけでは無さそうだし、社交界での接点も無いだろう。

 そうなると、私がユーリーに出会っている理由がない。

 出会っていないのに、好かれるわけがない。


「なに、もしかして私のストーカーでもしてたわけ?」


 どこかで私を見かけて勝手にストーカーとなっていた、ならまだ納得できる気がして茶化すように言うと、ユーリーはふと考え込んだ。


「……確かにそうかもしれない」


「否定してよ!」


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