ルグヮイ

「シキタリの事が分からないから帰りたくないし、母親も私達親子が帰ってくるのを望んでないと思うんです」

そう話した喜納さんは東京で働くシングルマザーだ。


離婚したのは娘が2歳の時だった。

小さい子どもを抱えて東京で働く事に疲弊していた喜納さんは、沖縄に帰る相談を母にした事があった。

しかし、母は父と一緒に自分達が東京に行く提案だけをして喜納さんが沖縄に帰るのを拒んでいるようだった。

母と父にも生活がある、迷惑をかけるわけには行かないと喜納さんは東京で親子2人で頑張る事にした。


親子2人での生活にも慣れてきて、娘が5歳になった時の事だった。

ある日の朝喜納さんの父が亡くなった、元々持病があったのだがそれが原因だった。

電話越しからでも母が泣いているのが分かった。

職場と娘の学校に連絡し、喜納さんはすぐに沖縄に行く準備を始めた。

娘は1歳の誕生日に初めて沖縄に行ったきりだった。

当然物心の着く前の事なので、娘にとって初の沖縄に心を踊らせているようだった。

喜納さんは当時もっと早く孫に会わせたかったのだが、喜納さんの母はそれを拒否した。

「ハチアッチーが終わるまではダメ」

母はそうとしか言わず、結局1歳の誕生日まで連れて行く事ができなかった。

逆に娘の1歳の誕生日の前には

「タンカーユーエーをするから沖縄に来なさい」

としつこく言われた事を思い出した。

1歳の誕生日に初めて娘と会った母は

「はい、マースデー」

と娘に祝い金の入ったキャラクターがプリントされた封筒を握らせてくれた。

(お母さんはシキタリにこだわるけどそんなに大事な事なのかな)

そんな事を考えながら準備を終え、喜納さんは娘と空港に向かった。


喜納さんが沖縄の自宅に着くと、たくさんの親戚が集まっていた。

久しぶりだね、今は何をしているの、東京の生活はどうねと質問責めにあったが、親戚の人達は久しぶりに会う喜納さんに温かく接してくれた。

娘も親戚の子ども達とさっそく馴染んでいるようで、一緒にゲームをしていた。

台所に行くと母が料理を作っていた。

「お母さん休んだら?私がやるよ」

そう言っても母は

「この方が気が紛れるからやらしてちょうだい」

母は沖縄訛りでそう言うと笑った。

母の背中はとても小さく、フライパンを持つ手は弱々しく感じた。

「ありがとう、迷惑かけてごめんね」

気づくと涙を流し喜納さんはそう言った。

「何言ってるの」

「今からが大変なんだよ、明日は火葬場も行かないと行けないし」

「だぁ暇してるならこれ持って行って」

そう言って料理の入った皿を渡した母の目は涙で潤んでいた。


親戚達が帰った後、娘がぼーっとしてるので熱を測ると発熱していた。

「移動も長くて疲れちゃったかな」

そう言った母の顔はどこか不安そうだった。

「線香が消えないように私が見とくから休んでおいで」

そう言われた喜納さんは昔自分が使っていた部屋に娘と向かった。

娘が寝つき始めた時、母が部屋に入ってきた。

「これをおでこに塗ってあげなさい」

「シキタリは破ってしまったけどこれを塗れば大丈夫」

そう言うと母は化粧水が入っているようなプラスチックの容器を渡した。

「これは何?」

と私が聞くと

「ルグヮイ」

「私は線香の番をするからあんたは気にしないで娘の側にいてあげなさい」

母はそう言い、眠そうに部屋を出て行った。

容器に入った物を出すと、すこし粘り気のあるひんやりとした液体だった。

喜納さんはそれを娘の額に少し塗った。


喜納さんは気配を感じて真夜中目を覚ました。

横で寝ている娘の方を見ると、娘の側に人影が立っていた。

暗くて見えづらいが人間にしては手が長く足が短く、変わった姿をしていた。

それは笑顔のまま娘に手を伸ばし、額に触れた。

その時だった。

その人影の笑顔は消え喜納さんの顔を睨みつけてきた。

喜納さんは

(目を逸らしてはいけない)

そう感じてずっと睨み合っていると、突然人影がすぅっと消えた。

喜納さんが時計を見ると午前6時を指していた。


部屋から出て、台所に行くと母がコーヒーを飲んでいた。

「あの液体は何?あれはなんなの?」

母に尋ねると

「知らないままでいいさ。あんたはそのまま東京に戻ってあの子の事だけ考えてあげて」

「あんたは優しいしデキヤーだからこの島じゃなくても生きていけるよ」

母がそう言った時、娘が部屋から出てきた。

「あいよかったねー、元気なったの」

母がそう言うと、

「昨日ね、死んだおじいちゃんが私に会いに来てくれたよ」

「頭を撫でて、朝までいてくれたよ」

と娘は嬉しそうに言った。

その言葉を聞いた母は寂しそうに笑いながら

「あれはおじいちゃんじゃないよ」

「アレたち顔が無いから遺影の真似をするんだよ」

「ちゃんとそれが分かれば大丈夫だからね」

母は娘の頭を撫でながらそう言った。

「わかった!」

娘は元気よくそう答えるとトイレに向かった。

トイレに向かって走る娘を見ながら母は

「大丈夫、あの子はミーソーマーにはならない。」

「あんたに似てかしこいから」

と喜納さんの方を見て言った。


東京に戻った喜納さんはベランダでルグヮイを育てているという。

「沖縄に帰ろうと思った時もあったけど辞めました」

「母みたいにシキタリは覚えきれなそうだし」

そう話した喜納さんの今の夢は東京に一軒家を買って、そこで母と一緒に住む事だと言う。

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