過去

一人。

奈流芳一以は気怠い感覚を覚えながらベッドから出て行く。

隣で眠っている彼女の姿を見て、胸を締め付けられる想いだった。


「(二年前の事件)」


嘗ての災厄を思い出す。


「(試刀院の生徒、三十名が祅霊に取り込まれた)」


それは二年前。

未だ、奈流芳一以が鍛神師として燻っていた時代。

巣窟と呼ばれる、祅霊が巣食う迷宮へと向かい…そして其処で約28名の生徒が祅霊によって殺された。


「(俺は其処で友と片目を失い…珠瑜は祅霊の母胎として選ばれた)」


母胎。

それは祅霊を産む為に必要な肉体。

男は栄養の為に喰らい、女は繁殖の為に犯す。

それが祅霊の行動理念である。


「(珠瑜は…祅霊に肉体改造を施されて祅霊を産む為に最適な肉体にされてしまった)」


昔の彼女は、背が低く体はおうとつの無いスレンダーな体型だった。

だが、祅霊に囚われた際。

触手によって体を弄繰り回され、そして肉体を肥大化させられた。

祅霊の幼体を産む為に肉体を滅茶苦茶にされたが、間一髪の所で救助された。

それでも、祅霊の後遺症によって乳房が肥大化。

同時に名家の家系であった彼女だが。

祅霊に墜とされた存在として忌み扱われ、結果的に言えば、勘当。

全てを失ってしまった。

…いや、それだけで済めば良かったが。


「(その際に、珠瑜の肉体には、祅霊の種子を埋め込まれた)」


種子。

肉体改造の一環として、肉体に植え付けられる祅霊の臓器だ。

これを植え付けられると、肉体から常に異常な性的興奮作用を引き起こさせる。

それは、単純に祅霊がより優れた個体を産ませる為に仕組んだものだった。


「(母胎はストレスによって産まれて来る祅霊の性能が変わる)」


母胎から祅霊の幼体を産む場合、精神状態が左右される。

だから母胎にストレスを与えない様に、性的快楽を上昇させ、脳内麻薬を増加させる様にする事で、生殖行為に多幸感を得る様にされてしまった。


「(だから、種子から発生する毒素を、肉体に放出する事で、性的快楽と興奮を行わせる状態…即ち、発情させる事が出来る)」


そして、その種子から発生する毒素を、肉体が本能的に察し、体外へと排出する事で、自慰直後オーガズムに似た感覚が全身を駆け巡る。

これによって、肉体は興奮状態となり、性的欲求が増加してしまう。


「(…珠瑜は、俺が寸前で祅霊を斃した事で、結果的に言えば祅霊を産む前に救い出す事が出来たが…肉体を弄られた事で、肥大化した体や、発情する体質はそのままになってしまった)」


無論。

薬を服用すれば、日常生活は行える。

だが…種子は取り除かれる事は出来ないから、肉体に毒素が蓄積していく。

人間にとって毒素は長時間貯め続けると最悪、死に繋がる。

だから、定期的に発散をしなければならなかった。


種子の取り除きは難しい。

何故ならば、種子は血管を通して移動を行う粘液生物の様なもので、最早別個体に近しい存在だ。

最終的に、その種子は心臓の内部へと移動する為に、摘出する事自体が難しかった。

だから、種子は彼女の中に残されたままで、心臓移植をする他、この呪いの様な症状を治す手立ては無かった。


『こんな体質で生き続けるなんて、恥でしかない、ボクを助けたキミのせいだ…最期まで、責任は取って貰うから』


そんな彼女を助けた奈流芳一以。

宝蔵院珠瑜は、そんな奈流芳一以に、肉体の発散をする手伝いを強要している。

当然、奈流芳一以は、その強要を甘んじて受け入れていた。


「(…そうして、俺は責任を取る為に、彼女と性行為を行ってる)」


傍から見れば羨ましいものであるかも知れない。

だけど、奈流芳一以は、彼女と身体を重ねる度に胸を締め付ける思いをしていた。


「(最早、それが正しい行為であるかどうかなんて、分からないけど)」


それでも、確実に行わなければならない。

彼女の顔を見た。

性欲を発散した事で、ようやく体の発情が止まった様子だ。


「(…けど、確かに責任は取らなければならない)」


覚悟を決めた事だ。

この胸の痛みも、その時、受け入れた。


「(それが…友との約束だからだ)」


奈流芳一以と、友とも約束。

それがあるからこそ、奈流芳一以は今を生きている。

宝蔵院珠瑜の傍に居る。




―――――――――。






奈流芳一以の意識が濃くなった。

生命活動を続ける心臓の音から、次第に燃え盛る火が溢れ出す。

それが、戦いに明け暮れた宝蔵院珠瑜は感知したらしい。


「ん…」


目を開く彼女に気が付くと、奈流芳一以は自らの炎を納める。

奈流芳一以は、落ち着きを取り戻した彼女の方に視線を向けた。


「お、おぉ…起きたのか、珠瑜」


名前を呼ぶ。

奈流芳一以は微笑んだ。

不満も苛立ちも、ストレスの消えた彼女はただの少女だ。


「…む、…起きちゃ悪いの?」


目を擦りながら、口を尖らせて彼女は言う。

奈流芳一以はベッドを椅子の様に座りながら、テーブルを眺めていた。

テーブルの上にあるインスタント食品の容器が時が止まった様に鎮座している。


「いや、別にそうは言ってない」


其れを呆然と見ながら、奈流芳一以はそう言った。

シーツで胸元を隠しながら宝蔵院珠瑜は体を起こす。

髪の毛を指先で梳かしながら、すっきりとした表情をしていた。


「はぁ…体、スッキリした」


体中の毒素を放出した事で、肉体は軽く感じる。

その分、奈流芳一以はげっそりとしていたが。


「そうか…俺は疲れたけどな」


今後、暫くは彼女を抱かなくても良いだろう。

しかし、心配なのは、避妊具を着けていなかった事だ。

出来れば、今日が彼女にとっての危険日で無い事を祈る。


「…ありがと」


そんな下世話な事を考えていた奈流芳一以に、感謝の言葉を口にする宝蔵院珠瑜。

思わず、奈流芳一以は振り向いて、彼女の顔を見た。


「え?…え?」


彼女が、まさか感謝の言葉を口にするとは思わなかった。

だから、奈流芳一以は驚いていた。

そんな奈流芳一以の驚きの顔に対して、宝蔵院珠瑜は頬を赤らめていた。


「…なんで聞き返すの?」


照れ隠しを隠す様に、彼女はそっぽを向いて聞く。

当然だろう、今まで、彼女とそういった関係になった時から、感謝の言葉を口にする事など無かった。


「いや…お前から感謝されるとは思わなかった」


一体、どの様な心境の変化であるのだろうか。

奈流芳一以の疑問だが、彼女は不機嫌そうな顔をして言う。


「…別に、良いでしょ」


素直になれない気持ちだ。

奈流芳一以に感謝の言葉を口にしたのは、気まぐれだったのかも知れない。

しかし、宝蔵院珠瑜は続けて言う。


「それに、感謝なんて、口に出さなかっただけ」


夜中の事だ。

だから彼女の心境はかなりセンチメンタルになっていのかもしれない。


「…ずっと、感謝してる」


偽りの無い言葉だ。

それが、奈流芳一以には到底、有り得ない事だったらしい。

ゆっくりと、彼女は、肌を晒して、奈流芳一以を抱き締める。


「…ありがと、こんなボクの傍に居てくれて」


何と言えば良いのか分からず言葉を詮索するが、結局良い言葉が見つからなかった。


「あ…あぁ」


結局、頷く事しか出来なかった。


「…祅霊に体を弄られて、実家からも勘当されて」


心の内。

その弱さを奈流芳一以に話していく。

二年と言う年月が、奈流芳一以に心を開かせたのだろう。


「行き場の無いボクを、キミは責任を取ってくれた」


彼が居てくれたから、心の支えとなってくれた。

それが、今になって、ようやく、彼女は気が付いたらしい。


「…支えが居るってだけで、こんなにも安心するんだ」


頬を擦る様に、奈流芳一以の背中に頬擦りを行う。

素直な態度を取ってくれる宝蔵院珠瑜に、奈流芳一以はどう答えるべきか迷った。

迷った、だが…此処は、素直に口にした方が良いと悟ったのだろう。


「俺は、…いや、あぁ、そうだな」


頷き、納得して、投げやりな言葉など口にする事無く。

宝蔵院珠瑜の言葉を受け入れて、自らも思った言葉を口に出す。


「俺も、お前が居てくれて嬉しいよ」


少なくとも。

奈流芳一以は、宝蔵院珠瑜が居なければ、死んでいた可能性があった。

無茶苦茶な戦いを行い、最終的に、戦地で屍と化していた可能性もある。

それ程までに、宝蔵院珠瑜と言う存在は、奈流芳一以にとって大切な存在であった。


「…昔、キミに言った事を思い出したよ」


少し、表情を曇らせながら、宝蔵院珠瑜は言葉を口に出す。

それは、初めて奈流芳一以と出会った時の事だった。


奈流芳一以と模擬戦を行い、圧倒的実力を見せた宝蔵院珠瑜。

その際に、弱かった時の奈流芳一以に告げた言葉を思い出す。


「…キミはこの世界に向いてないって言ったよね」


その言葉は、奈流芳一以の剣を鈍らせる言葉だった。

今では、その言葉はタダの事実である事には変わりない。

そう奈流芳一以は納得していた。

だから、現在では其処まで傷ついている様子は無かった。


「あれは、今でも変わらないよ」


奈流芳一以の実力は、二年間で驚くほどに成長した。

少なくとも、宝蔵院珠瑜と並ぶか、それ以上の実力だろう。

しかし、彼女の言う言葉は、実力が不足している、と言う意味ではない。

ただ一人で戦い続ければ、彼は何れ死ぬだろう。

生死に関して頓着が無いのだ、奈流芳一以は。

だから、放って置けば、何れ死ぬと、彼女は思っている。


「だけど、辞めた方が良いとは言わない」


耳元に口元を近づける宝蔵院珠瑜。


「…出来得る限り、ボクが傍に居るから」


共に仕事をし続けた二人。

片方が分かたれる事など無い。

奈流芳一以の傍には、宝蔵院珠瑜が居るのだ。


「キミが死ぬとしたら、ボクの後だ」


それは、ある種の呪いだろう。

彼女は、どのような状況下でも、奈流芳一以の命を優先する事に決めた。


「絶対に、ボクがキミを死なせないから」


宣言された以上、奈流芳一以も言い返さなくてはならない。

少し考えて、彼女の言葉と同等の言葉を返す事にした。


「…そうか、うん、じゃあ、俺もお前が死なない様にするよ」


二人が共にする限り。

互いが互いの命を守る。

契り。

これは、他でも無い彼女にとって、これ以上ない程に嬉しい言葉だろう。


「…じゃあ、ずっと死なないじゃん」


死ぬまで共にするとすれば、確かに、戦っても死ぬ事は無い。


「そう、だな…そうなるな、話の流れ的に」


奈流芳一以は眼球に手を添える。

失った隻眼は空虚となっていた。

何れ、この目と同じ様に、失う命だとしても。

それでも、この今と言う時間は、大切にしたいと願う。


「…変なの、えへへ」


そう言って、笑う宝蔵院珠瑜。

その顔を見て、奈流芳一以も少しだけ笑った。


「(あぁ…)」


彼女との間に出来た、間と言うものが埋まった感覚がする。


「(なんだか、初めて笑ってくれた気がするよ)」


奈流芳一以は、そう思った。

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