第13話 日常、そしてついにやってくる義務

 寝苦しさを感じて、俺は目が覚めた。

 どうやらあれから朝まで寝てしまっていたようだ。

 カーテンの隙間から漏れる光が眩しく感じる。


 それにしても胸が苦しい。何かが上に乗っている様な……。


 恐る恐る目を開き、視線を動かすと真横に遥の顔があった。とりあえず起きあがろうとしたが、抱きついているようで動くことができなかった。

 足も動かすことができねぇ……。ガッチリ固定してやがる。


「何やってるんだよ……この人は。俺だからいいものを……」


 この人は警護官の自覚があるのか?

 頭が近くにある。ふと撫でてみたくなった。

 そっと手を伸ばし、遥の髪を撫でると、その柔らかさに驚いた。彼女の髪は手入れが行き届いていて、滑らかな感触が指先に伝わってくる。


「んん……」


 遥が小さく唸り声を上げ、眉間にしわを寄せる。

 その顔を見て、少しだけ口角が上がるのを感じだ。


 そろそろ起きたいと思い、俺は優しく声をかけた。が、彼女はまったく動く気配がない。

 どうやらまだ夢の中らしい。

 困ったな……。

 

 それからしばらく格闘したが、遥はしっかりと俺に抱きついて離れようとしない。

 

「本当に寝ているのか……?」


 もしかして起きてるとかない?


 少し苛立つ気持ちもありながらも、彼女の無防備な寝顔を見ると、そんな気持ちは薄れていく。


「しょうがないな」

 

 仕方なく、俺はもう少しの間だけこの状況を受け入れることにした。

 

 それからしばらくして————。

 

「ん……阿宮くん、おはよう」


 若干、寝ぼけた様子で言う遥。


「おはよう、遥。さすがに重いから、そろそろ起きてくれる?」

「おっと、ごめんよ」


 起きた遥に声をかける。

 遥は、少しの間ぼんやりとした様子で俺を見つめた後、ようやく自分の状況に気づいたらしく、急いで体を起こした。

 ただ、その口調は照れ隠しのように冷静を装っている。


「ごめんね、阿宮くん。寝ぼけてたみたい」

「いや、いいんだけどさ……俺じゃなかったら事件だからな?」

「そうだね〜、君でよかったよ」


 ニカっと無邪気な笑顔を向けてくる遥さん。


「まったく、もう少し警護官らしくしてよ」

「ボクだって普段は警護官らしくしているだろう?」


 頬を膨らませ、不満そうに言ってくる。

 今までの様子からそうは思えないが? まぁ、活躍するには何か起こる必要があるし、何もないほうがいいのだろうが。

 それにしても、身体は起こしたけど、どいてはくれてないんだよな。

 なんなら、またくっついてきてるし。柔らかい感触が広がってくるよ。

 

 ……このままでもいいかもしれない。

 ふとそんな思いが頭をよぎった。

 遥の方が身長大きいから包み込まれるような感じになるんだよね。

 

「黒龍さーん、どこにいるんですかー? まさか、阿宮様を襲っている……なんてことはないですよねぇ?」


 その時、部屋の外で柊さんが探している声が聞こえてきた。

 抜け出して来たのかよ……。

 視線を遥に向けると、目を潤わせ、まるで居ることを伝えないでくれと訴えかけてきているようだ。

 

 俺は呆れたように肩をすくめて答えた。


「柊さん、ここにいるよ」


 ドアが開き、柊さんが部屋に入ってきた。彼女の表情は、安心と怒りが入り混じっている。


「あなたまさか……」

「てへっ」


 可愛らしく誤魔化そうとする。


「誤魔化せませんよ。まさか阿宮様と同衾していたとは……」


 普通そうだよね? その反応だよね、貞操逆転世界だし。


「黒龍さんは警護官としての自覚を持ってください。阿宮様に迷惑をかけてはいけませんよ」

「えー、けちー! 嫌がってないからいいじゃないか」

 

 柊さんは眉間に皺を寄せ、厳しい表情をしている。


「そんな顔をしていると皺ができるよ」

「誰のせいで……ッ!」


 激しく怒りたい気持ちが込み上がってきているのか、低い声で柊さんが言った。


「黒龍さん、これは阿宮様の安全を守るために必要なことです。あなたが警護官としての責任を果たさないと、私たち全員が困ることになりますよ」


 と、遥へ向けて諭す。

 

「はいはい、わかったよ〜」


 遥は不満そうに頬を膨らませながらも、渋々と頷いた。


「だから、早く離れなさい! あなただけだなんてずるいじゃないですか!」


 え?

 

「やっぱ、柊も一緒に寝たいだけじゃないの。嫉妬してるんでしょ?」

「そんなことありません! ほら、ご飯用意してますから!」



 その言葉に二人は同意し、俺たちはリビングへと向かった。

 朝食のテーブルには、柊さんが用意してくれた美味しそうな料理が並んでいた。トースト、ベーコン、スクランブルエッグ、フルーツサラダ、そしてコーヒー。朝の香りが部屋に広がる。

 

 トーストを食べながら俺は二人と世間話をする。その中で、とある話になった。


「そういえば、今朝、郵便受けに書類が入っていましたよ」


 そう言って一通の書類を渡され、受け取る。


「お、ありがとう」

「なんだろう?」

「開けてみようか」


 遥が興味津々なのか聞いてきた。

 俺も気になるので開けてみることに。


 中には複数の書類が入っていた。


「『搾精の日程について』か……」


 ついに来たか、搾精が。

 

「ああー、搾精か!」


 納得したように声を上げる遥さん。


「何日と書いてありますか?」

「10日だね」

「10日かぁ」

「何日後くらいでしょう?」


 柊さんが自身のスマホを取り出し、調べる。


「っ!? 今日じゃないですか!」

「えっ、突然すぎない?」


 なんと今日だった。

 理由とか書いていたり……と探すと、日程の下に書いてあった。


「『急な日程指定申し訳ありません。ですが、話を通した中でこの日が最も警備を厳重にできるとのことでした。ご理解いただけますと幸いです』だって」


「ふぅん」

「なるほど……」


 含みのある返事だな。

 

「俺としては今日でもいいと思う。時間もまだギリギリってわけじゃないし、警備が厳重になるならその方がいいだろうし」

「それはそうですね」

「うん、渋る理由は無い。だが、こっちにも準備ってものがあるよね……」


 と思いをこぼす。だが、その言い分もわかる。

 

 まぁ、時間の無い中、例外とも言える俺のことについて、きちんと対応してくれているからそこまで強く言えないんだよね。


「他には何か書かれてますか?」


 柊さんが気になったのか聞いてきた。

 

「行くためのルート、必要な書類、大まかな搾精の流れかな。向こうに行ってからも説明はあるらしいけど」

「分かりました。では、私は向かうための準備をしてきます」

「了解。頼んだ」


 そして、柊さんは食器を持ってキッチンへ行き、そのまま部屋から出ていった。

 最近、なにかしてもらうことに抵抗を覚えなくなってきた気がする。

 ……これはまずいか?

 

「搾精か……。ボクも初めてだから楽しみだよ。どんな感じなんだろうね」

 

 遥が目を輝かせて言う。

 いや、楽しみってなんだよ? 遠足に行くようなものでもないと思うが……。


「遥が見ることはないと思うよ? 完全個室で1人でするみたいだし」

「えっ」


 ショボンと、傍から見ても分かるくらいの落ち込みようだ。

 そりゃそうだろうよ。

 なぜ、見せなきゃいけない? 恥ずかしいわ。


 そして朝食を終え、準備を整えた俺たちは指定された場所に向かうことにした。


「では、行きましょうか」

「そうだね」

「レッツゴー!」


 すぐに立ち直った遥が、ウッキウキで掛け声を上げた。

 そして、柊さん先導で車に乗り込み、指定の大病院へと向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る