第5話 初めてのハグと新たな出会い

 部屋に差し込む朝日で目が覚める。


「知らない天井だ」


 そうだ、俺は違う世界に来たんだったな。

 寝起きでいつもとは違う部屋に困惑するが、だんだんと昨日起きたことを思い出してきた。


 顔を洗い、リビングへと行く。

 昨日買っておいた菓子パンとお茶を食べる。

 家具、家電などの設備は備え付けだったのが幸いだ。

 

「今の時間はっと、10時前か……。結構寝たな」


 この時間だと喫茶店も空いてるだろうし、そろそろ向かい始めるか。 

 ちゃんと、お金払いに行かないとな。


 ————ということで俺は今、マンションの外にいる。


「暑い……」


 燦々と降り注ぐ陽光、夏を感じられる。

 俺は車に乗っている時に見た道を思い出しつつ、喫茶店へと歩を進める。

 

 やっぱり外に出ると貞操逆転世界なことを実感するわ。

 いつもと違うね。

 

 すれ違う人全て女性だし、なんかやけに見られてるような気がするんだよ。

 芸能人ってこんな気持ちだったのかな。

 チラチラと気づかれないように見てるつもりなのだろうが、バレバレだ。

 女性が胸を見られているのに気が付くのはこういうことなのかね? そんな考えがふと頭に浮かんだ。


 それにしても注目されるというのはむず痒いが……悪い気はしない。


「お、見えてきた」


 前方にモダンな雰囲気の看板が見えてきた。

 

 良かった。道は合ってたか。


 扉にはオープンと書かれた板が吊るされている。

 扉を開くと、カランと軽い音が鳴った。


「いらっしゃいませ〜……あっ!」


 カウンターを拭いている成瀬さんと目が合った。


「こんにちは」

「おはようございます! 警護官が決まったんですね」


 成瀬さんは驚いた表情から一転して、再会できたのが嬉しそうに笑顔で聞いてきた。


「いや、まだ決まってませんよ?」

「っ!? てことはお一人で来たんですか!?」


 衝撃の事実を目の当たりにしたかのように大きな声をあげる成瀬さん。

 その体躯で大きな声出されると威圧感すごいな……。全然そんなつもりはないのだろうが。

 心配しているっぽいし。


「一人で来ましたよ。特に襲われることもなかったですし、大丈夫ですって」

「楽観視しすぎですっ!」


 ガシッと肩を掴まれる。そして、揺さぶられる。


「女は獣なんですよ! それにその服装! まるで襲ってと言っているようなものじゃないですか!」


 あわわわ……力が強い。


「……成瀬さん、ゆ、揺さぶるのを止めて……」

「あ、す、すいません!」


 光の速さで手が離れていく。


「それで警護官も居ない中、どうして来たんですか?」

「払い忘れていたコーヒー代を払いに来たんです」

「あっ! そういえばそうだったわね。別にいいのに」


 そうなの?


「何円でしたっけ、払わせてください」

「……500円よ。ほんと私も忘れていたし、よかったのに」

「後腐れは無しにしておきたいんです。今後も来たいので」

「そう……なら、こうしましょう! 代わりにハグしてくれませんか?」


 いいことを思いついた! と言いたげに手をパンッと合わせて言った。

 

「……ハグ?」


 

 突然の提案に俺は固まってしまった。


「そう、ハグ」

 

 なんか目がギラギラしてるぞ?


「それ以上のことはしない。……まだね」


 最後の方は何か言ったのだろうか、小さくて聞こえなかった。


「何か言いました?」

「ううん、なんでもない。ほら、早くしよ?」

 

 彼女の大きな体躯が近づいてくる。

 胸の奥で緊張が走る。ドクンドクンと心臓の音が身体の外に出るのかってくらい大きく聞こえてくる。


「ま、待ってください! 心の準備が……!」

「照れちゃって、もしかして初めて?」

「そうですよ……」

「ずっと無防備なんだから手慣れてるかと思ったけど……違ったのね」


 だって、少し前までは普通の世界だったからねぇ。


「ふー……、よし! いいですよ」

 

 覚悟を決め、俺がそっと両腕を広げる。すると、成瀬さんも同じように腕を伸ばしてきた。ぎこちなくお互いの腕が絡まり、やがてしっかりと抱きしめ合った。


 成瀬さんの温もりが伝わってくる。思ったよりも柔らかくて、何より身長差があるからか、包まれているような安心感があった。

 身長差からか、目の前に胸がくる。心音が伝わってくるよ。


「私のことは鈴華って呼んでね?」


 急に耳元で囁いてくる。

 ゾワっとした……。むず痒い感覚になる。

 これ幸いにと、一気に攻めてくる成瀬さん。

 

「ッ!? え?」

「ほら、呼んでみて」

「す、鈴華さん……」

「はい、よくできました〜。呼び捨てにできてないのがまだまだかなぁ?」


 勘弁してくれ……。これが精一杯なんだ。


「それにしても、これは……結構くるわね」


 自分で自分を抱きしめるようにして、余韻を感じてる……のか?


「さて、良いものも貰ったし、これでチャラね!」


 急にスンってなるな。賢者タイムか。


「はい」

「ところで何か食べる? もうすぐ昼前だけど」

 

 壁にある時計に視線を向けると、11時半を指していた。

 もうそんなに経ったのか!? 時間の流れは早いなぁ。

 

 とは言ってもそこまでお腹減っているわけでもないし……。

 朝食セットがちょうどいいかも。

 

「じゃあこの朝食セットをお願いします」

「了解!」

 

 そして成瀬さんは料理をし始めた。

 ちょうどカウンターから何をしているのかが見える。

 トーストを焼く音、フライパンでソーセージがジュワジュワと焼かれる音に香ばしい匂いはより一層、食欲をそそるものだった。


 こんがりと焼き上がったソーセージを皿に移し、成瀬さんは次に卵を取り出した。

 目玉焼きを作るようだ。


 卵を割り、ソーセージの油が乗ったフライパンへ落ちる。白身が広がり、ジューという音と共に焼け始める。

 そして成瀬さんは塩、胡椒らしきものを振りかけ、フライパンに蓋をした。

 数十秒待った後、蓋を開ける。


 半熟で出来上がり、程よく焼き目のついた白身の目玉焼きが完成していた。


 それを焼き上がり、バターを塗ったトーストに乗せる。


 ……美味そう。よだれが出てくる。


 ぐぅ〜っと腹の虫が鳴るのが聞こえた。


「もうすぐ完成ですからね〜」


 聞かれてた!?

 食いしん坊みたいで気恥ずかしいな……。

 

「お待たせしました〜」


 目の前に完成した料理が出される。


 トースターに目玉焼きが乗せられ、ソーセージが添えられたザ・朝食といったようなものだ。


「ありがとうございます。いただきます」


 トーストを二つに折り、ソーセージを挟んで口へ運ぶ。

 香ばしい外はサクッと中はふわっとしたトーストの食感と、ジューシーなソーセージの旨味が口の中で見事に調和する。

また、そこに合わさる半熟の目玉焼きの塩気がトーストの甘みと相まって、口の中で絶妙なハーモニーを奏でるようだ。

 美味い……ッ!


、思わずもう一口と手が伸びる。


 成瀬さんが微笑みながらこちらを見ているのに気づき、俺は満足げに頷き、感想を伝える。


「とっっても美味しいです!」 

「そう言ってもらえると嬉しいわ」


 成瀬さんは少し恥ずかしそうに笑って答えてくれた。


 とても美味しく、すぐに完食した。


「ご馳走様でした」

「はい、お粗末様でした」


 そして食後のコーヒーを飲んでいたとき、喫茶店の扉が開いた。俺の耳にカランと軽い音が聞こえる。

 

「おーい、来たぞー!」


 やけにフランクでハスキーな声が聞こえてくる。

 常連だろうか?

 俺は視線を扉の方へ移した。


 黒髪のウルフカットに赤のインナーがチラ見えしている。そして何よりも彼女の体格は圧倒的だった。肩幅は広く、筋肉が引き締まっているのが見て取れる。

 普通の女性とは一線を画す存在感があり、そのデカさにただただ見上げるばかりだ。


 差は……10センチ程か。


 ツカツカと喫茶店の中へ入ってき、周囲を見渡している。

 近くで見ると身長差が顕著に現れ、まるで見下ろされているような感覚になった。


 珍しい感覚を別の人で何回も感じるとはな。もちろん一回目は成瀬さんだ。


 それにタンクトップにピチッとしたデニムパンツ。真紅の目からは女性的というより、鋭い野生的な印象を受ける。

 そして何よりも胸がデカい。

 美人な方だよ、ほんと。貞操逆転世界様様。

 そう思っていると、彼女は成瀬さんへ話しかけつつ、視線がこちらに向く。


「今日はみんな居ないのか……? お、初めて見る顔だな! ……えっ、お、男ッ!?」


 驚きの声を上げた。

 突然の大きな声にビクッとしてしまう。


「おい、鈴華! なんでここに男がいるんだよ!」


 今、首がギュルンってしたぞ。大丈夫か?

 驚きと困惑が詰まったような表情で成瀬さんに詰め寄っている。

 

 知り合いなのか。

 

「落ち着いて、説明するから。ね?」

「分かったよっと」


 ドカっとカウンター席に座る女性。

 どさくさに紛れて、隣に座ってきた。


 ……まぁ、いいか。


「で、どういうことなんだ? オレに分かるように説明してくれ」


 おーっと、まさかのオレっ娘だったか。


「なんだよ、ジロジロ見てきて」


 だってオレっ娘とか希少種じゃん。言い方悪いかもしれんが。

 それに一人称に見劣りしない雰囲気だし。

 

「いや、なんでもないです」

「こーら、威圧しないの」


 成瀬さんが女性を嗜める。


「ごめんなさいね……涼も初めて関わる男の人だから緊張してるの。許してあげて」

「そうなんですね」

「そうじゃねぇ!」


 どっちぃ?

 成瀬さんの言葉に反応し、否定する涼と呼ばれた女性。


「早く説明してくれって」

「もう、せっかちなんだから〜。えっとね————」


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