半炒飯二つの中華料理店

白間黒(ツナ

半炒飯二つの中華料理店

「……腹、減ったな」

 大学から帰る道すがら、今宮は茶髪交じりの黒髪をいじりながらうわ言のようにつぶやいた。

 大学三年になると環境が一変し、サークルに入っていない今宮もゼミやイベントの運営に駆り出され、遅くまで大学に残る日々が続いていた。普段はレトルト食品や即席麺ばかりを口にしている今宮だったが、こんな時に格安食品を食べると益々心が荒んでいきそうだった。何としてもまともな食事を摂取したい。可能なら安価で量があり、なおかつ腹が膨れるだけでなく心まで満足できる物が望ましい。

 無意識の内に飲食店街の方へ向かって行くと、ふと、どこか香ばしい匂いが今宮の食欲を刺激する。

「この匂いは炒飯か。最近食ってないな」

 経済的な食事の代表である印象の強い炒飯だが、スーパーの弁当や総菜すら高いと感じるようになると存外食べる機会も少なくなる。半額弁当よりもカップのラーメン。不健康な食生活は若者の特権である。

 吸い込まれるように中華料理屋の扉を開けて中に入ると、店内は意外にも盛況。カウンター席は満席で、今宮は四人用のテーブル席を一人で占有する形になる。

 メニューは基本的に五百円。今宮はサイドメニューやトッピングで儲けるよくある商法だと推測したが、二品頼んで千円で済むのは金欠大学生にはありがたかった。卓上に設置された呼び鈴を鳴らすと、すぐに店員が伝票を片手に駆け付ける。

「ご注文をお伺いします」

「担々麺大盛と……あと、炒飯で」

 その瞬間、騒々しかった店内が水を打ったような静寂に包まれる。店内の全員が今宮のことをあり得ないと言わんばかりの表情で見つめ、誰もがその動向を見守っているようだった。そんな客たちの心情を代弁するかのように、店員が恐る恐る口を開いた。

「本当に炒飯でよろしいですか?」

「いいですけど、何かあるんですか?」

 相手が教授なら質問に質問で返すなと言われるところだが、普段ならあり得ない確認に要領を得ない返答をしてしまうのは不可抗力と言えるだろう。

「いえ、特には。ご注文は以上でよろしいですか?」

 今宮が小さく頷くと、店員は注文内容を厨房に向けて復唱し、いそいそと戻っていった。

 変な店だな、などとつぶやけば周りの客に迷惑だと考えて口には出さなかったものの、今宮の抱いた印象はまさにその一言だった。まるで、この店における正解の注文方法が存在し、それを間違えてしまったと暗に言われたような。とはいえ、初めて暖簾を潜った今宮にとって何が正解かなど知る由もない。一方的に不正解を突きつけられたことに釈然としないでいると、意外にも、正解は後から来た客の口から発せられた。

「麻婆豆腐に……半炒飯二つ」

 その注文に、今宮は耳を疑った。メニューには確かに炒飯があった。むしろ、半炒飯二つを頼むより炒飯を頼んだ方が割安である。とはいえ、酔狂な客などどこにでもいるものだ。度重なるクレームにより飲食店のアルバイトを一か月でやめた今宮はむしろ飲食店とはそんなものだという偏見すら持っていた。

 しかし、その後も他の客は例外なく一品物の料理に併せて半炒飯を二つ頼んでいく。

 結局、半炒飯二つを頼まなかったのは今宮だけだった。

§

 携帯電話のスピーカーから、申し訳そうな声が響く。

『……悪い、今日バイトで忙しくて。また今度誘ってくれ』

「いや、こっちこそ休憩時間中だって知らずに悪いな。バイト頑張ってくれ」

 通話終了を示す画面に映った自分の顔を見て、今宮はため息を吐いた。

 半炒飯二つの中華料理店を訪れた翌日。半炒飯二つの謎を解き明かそうと数少ない友人を誘った今宮だったが、ことごとく断られる。ばかりか、まるで知り合いの中で自分だけが暇人だという事実を突きつけられているようで、朝から憂鬱な気分に浸る羽目になった。

 ため息交じりに登録した連絡先を眺めていると、ふと、見覚えのない名前が目に入る。

「……いた、何やってるかわからないけど暇そうな人」

 連絡先の画面には芦屋という名字だけが表示されていた。確か、酔っ払って記憶も曖昧な状態で入ったバーで妙に意気投合した中年の男の名前である。彼は作家をしているらしく、当時二十歳になったばかりの今宮に対して昨今の若者事情を聞いてきたのを覚えている。

 興味があるかもしれないと思って電話をかけると、案の定というべきか芦屋は快く承諾した。

 適当に近場の漫画喫茶で時間を潰して正午過ぎ。五月中旬の日差しは貧弱な今宮にとって文字通り目の毒だった。うだるような暑さに包まれながら件の中華料理屋にたどり着くと、黒縁の眼鏡の下から知的な黒い瞳を覗かせた中肉中背の男――芦屋が中華料理屋の前で待っていた。今宮に気付くと、芦屋は片手を上げて口を開いた。

「久しぶりですね。最近はバーにも顔を出さないものだから、心配していたんですよ」

「あはは、最近忙しくて」

 というのは方便で、バーに行ったことすら忘れていたというのが本当のところだった。どこか申し訳なく思った今宮は小走りで芦屋の元に駆け寄った。

「今日は奢らせてください。俺が無理を言って来てもらったんですから」

「いや、私のような人間にとって、君のような若者と話ができるのは貴重なことです。それこそ、お金を払う価値があるくらいには。今日は私にご馳走させてください」

 これも市場調査の一環というわけか。今宮はそう納得した。だとすれば気を使わなくて良い分ありがたいが、同時に、自分から会計の話を出したことで芦屋との余裕の差を痛感することになった。若干の後ろめたさを感じていると、芦屋は空気を和ませるように咳ばらいを落とす。

「それに、実際にその店に入り、会計しないと見えてこないものだってあるものですよ」

 そう言って黒縁の眼鏡を治した芦屋の顔には、すでに真剣な眼差しが宿っていた。それは単なる気づかいではなく、目の前の謎に向き合うための心構えを示しているようだった。

 中華料理店の扉を開けると、やはりというべきか、昼休みのサラリーマンらしきスーツ姿の男性客でにぎわっていた。

 テーブル席に向かい合うようにして座った二人が頼んだのは半炒飯二つ。それに併せて手頃な一品料理を注文した。

今宮の元には担々麺と半炒飯二つ。芦屋の元には、前の客が注文していた麻婆豆腐と半炒飯二つが提供された。今宮が半炒飯を食べ終わったころ、芦屋は「今宮君」と口を開いた。

「半炒飯を食べて気づいたことはありませんか?」

「いや、特には」

「では、昨日食べた炒飯の味と比べて、どうですか」

「……そういえば、昨日の炒飯より味が濃いような気がする」

 芦屋は確信したように頷き、「そこなんです」とつぶやいて続ける。

「私の仮説は、炒飯と半炒飯では味が違う可能性があるというものです」

「……それはなぜ?」

 今宮は、困惑交じりに首を傾げた。仮に半炒飯と炒飯で味が違うとして、味に差をつける理由がわからなかった。

「つまり、もともと半炒飯は賄いで作られている裏メニューで、それが常連の間で広まってしまう。中華料理屋の厨房という高温多湿の環境で作業する従業員たちのための濃い味付けが、同じく肉体労働に従事する労働者の中で人気になったわけです」

 それが、芦屋の考える半炒飯誕生の経緯。もともと炒飯がメニューになかったと考えれば、一見非合理的な価格設定も成り行きで決まっていったと納得できなくもなかった。

 芦屋の想像に今宮が感心していると、芦屋はなおも続ける。

「そして、帰ってから昼食をとる従業員と違い食事をしに来ている客は半炒飯一つでは物足りないから半炒飯を二つ注文する。もちろん、他のメニューと同様に五百円で。店側も賄いで作った半炒飯の中から二皿提供するだけなのでコストはかからない。客は味の濃い半炒飯を好んで頼み、店側も利益率が高く手間もかからない半炒飯を提供しない理由がないということです」

「つまり、もともとは二百五十円の半炒飯が存在していたのではなく、五百円の『半炒飯二つ』というメニューが常連の間で存在していたってことですか」

 確認するように聞くと、芦屋は今宮の言葉に頷いた。半炒飯二つを客が頼む理由については今宮も納得していた。しかし、まだ気になることはあった。

「それなら、どうしてメニューに半炒飯二つよりも安い炒飯が存在するんですか?」

「そこなんですよ。半炒飯は、あくまでも賄いのメニューです。しかし、たくさんの注文が入れば今まで以上にたくさん作る必要がある。本来は一度に作るはずの半炒飯を、何度かに分けて作らなければならなくなる。しかし、それが労働者にしか売れないとなると、コストがかからないから提供していた半炒飯が店側にとって採算の合わないメニューになってしまう」

 当然、注文が増えれば必要な材料も増え、さらに提供が遅れないために半炒飯を作る従業員も今までより多く必要になる。大将が従業員のために作るのと違い、客に提供する際に品質に差が出ないための教育やマニュアルの徹底も必要になる。当時の客が何気なく頼んでいた半炒飯が、店の運営に少なからず影響を与えていたというわけだ。

「そこで、大衆にも売れるように新しく半炒飯より薄味の炒飯を正規メニューとして開発した。既存の半炒飯二つという根強い人気メニューと両立させるため、今宮君のように味付けは濃くなくていいから安くて量の多いメニューを求める大学生向けに中の具を減らしたり味付けを変えたりといった工夫をして提供し始めた。そして、品質の差は値段に現れている。という経緯を想像してみるとこの一見おかしな状況も辻妻が合うと思いませんか?」

「もともとは普段から重労働をしている客のために濃い味付けになっていた半炒飯を、正規メニューとして売り出した結果ということですか?」

 芦屋は頷いた。今宮にとっては掴みどころのない謎だったが、芦屋の手にかかればこうも簡単に解き明かされてしまうのかと今宮は素直に感嘆した。

「よくそんなこと思いつきますね。俺だったら変な店だなって思って終わりかな」

「一見無理のある設定に説得力を持たせるのが仕事のようなものですから」

 その言葉は、作家としての誇りや矜持にも似た何かを感じさせた。

「しかし、お客に変だと思わせる。それこそがこの店の狙いなのかもしれませんけどね」

「どういうことですか?」

「世の中には興味を引くための面白い嘘と、隠された面白くない現実があるということですよ」

 そう言って、また一つの謎を残して芦屋は二人分の会計をして去っていった。

 家に帰ると、今宮はすぐに中華料理屋に電話をかけた。

 隠された面白くない現実を味わうことで、興味を引くための面白い嘘がより引き立つのではないか。そう思い対応した従業員に事情を話すと、帰ってきたのは予想をはるかに超えて面白くない回答だった。

『特に意味はありませんよ。みんなが半チャーハンを二つ頼むと、何か深い意味があるのかもしれないと思ったお客さんは半チャーハンを二つ頼むようになるんです。お兄さんだって最初は半チャーハンを頼んでいかなかったのに、昨日は他のお客さんに影響されて半チャーハン二つを頼んだじゃないですか』

 面倒くさそうな言葉を最後に通話が途切れると、黒くなった画面には狐につままれたような顔を浮かべた今宮の姿が映っていた。

「……なんだよ、それ」

 半炒飯と炒飯は最初から存在し、客は無駄に百円多く払って無意味に半炒飯二つを注文している。そして、そのたびに店は百円得している形になる。自分が損しているわけではないが、その事実が漠然と不条理に感じたのだ。

いやなことはさっさと忘れるに限る。そう自分に言い聞かせて携帯に目を落とすと、一件の通知が目に入る。

「芦屋さんの記事が更新されてる」

 開くと、芦屋の新着記事が投稿から二時間も経たない間に数万回以上も表示されていた。web上における広告収入の仕組みには詳しくなかったが、これだけ再生されればあの腹の立つ中華料理店で払った金額など文字通り眠っている間に稼ぐことができることは想像に難くない。大勢の人間が興味を惹かれるその記事は一体どんな内容なのかと興味本位で開いた直後、今宮は携帯を投げ出してベッドに倒れこみ、右手で顔を覆った。

「やられた……! 芦屋さんの一人勝ちかよ!」

そう悪態を吐いて仰向けになった今宮の左手から零れ落ちた携帯の液晶には、『半炒飯二つの中華料理店』と書かれた記事が表示されていた。


半炒飯二つの中華料理店 ―了―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

半炒飯二つの中華料理店 白間黒(ツナ @dodododon2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る