温泉 10

 自分から話しかける事こそしないが。

 まぁ、これを無視するほどコミュ障ではない。

 しっかし、謎に馴れ馴れしいな。

 このおっちゃん。


 この馴れ馴れしさ。

 なんか何処かで覚えのあるような。


「はい、今日から」

「そうかそうか」


 俺が言葉を返すとニコニコと満面の笑みを浮かべる。

 そんな嬉しい事だろうか。

 ま、確かに無視されたら悲しいけど。

 誰彼構わず話しかけてそうだしな。

 結構、その経験があるのかもしれない。

 それでも自分から話しかけるのは、多分話すのが好きなんだろうな。


 評価が両極端に分かれそうなタイプだ。

 苦手な人は嫌いだろうし。

 そうじゃない人からしたら気のいいおっちゃん。

 俺的には後者寄り、かな?


「……あれ? 兄ちゃん、もしかして兄ちゃんか?」


 は??


 えっと……、なんの話だろうか。

 気のいいおっちゃんと会話してると思ったら。

 突然バグったんだが。

 これ、実はヤバい人だったのでは?


 いや、兄ちゃんを二人称で使ってるのは分かるんだけど。

 後ろのはなんだ?

 兄ちゃんか?ってやつ。

 言うまでもなく、俺はお前の兄ではないが?

 弟なんていないし。

 というか、どう見てもお前の方が年上だろ。


「にしても、久しぶりだな」


 置いてきぼりにされ会話が進んでしまった。

 もしや、イマジナリー世界の住人?

 イッちゃってる人か。

 関わるべきではないな。

 コミュ力が高すぎる人はどこか壊れてると思っていたが。

 これまでただの偏見だったのだけど。

 実証された。

 やはり変人だったらしい。


「あ、もしかして忘れられちゃったか?」


 忘れた?

 何の話だ。


 そもそも赤の他人である。

 俺が兄だとか何とか。

 お前の頭の中の設定の話など知らぬ。

 こっちに同意を求めてくるな。

 否定はしないから。

 自分の中で完結してくれ。


「ほら、港町で」


 港町?

 ……

 あ、あぁ!

 常連の。


 思い出した。

 大将の店にいた常連のお客さんだ。

 あの、大将相手に軽口叩いてた人。

 言われてみれば確かに。

 そんな感じがする。


 謎の既視感の正体もこれか。

 確証はないけど。

 なんせ、はっきりとは覚えてないからね。

 名前はなんだったか。

 大将が呼んでた気がしたが。

 忘れてしまった。


 ちなみに、本当に常連だったのかは不明。

 それっぽかっただけ。

 あれ以降も何度か食べにいってるんだけど会ってないしね。

 違った説もある。

 だから記憶から消えてたともいう。


 ……結局、何も分かってないじゃないか。

 ほぼ直接会話もしてないし。

 大将越しでいくつか言葉を交わしただけ。

 おっちゃんはよく気付いたものだ。

 これ忘れてたの、別に俺は悪くないよな?


「久しぶりです。こっち来てたんですね」

「まぁな」

「港町とは結構距離離れてますけど」

「それ言ったら、兄ちゃんだってそうだろ?」


 確かに、それはそうだ。


「旅行が好きなのさ」

「へぇ、珍しい」

「そうか?」

「やっぱり危ないですから、あんまり見ないですね」

「でも、ここに居るって事は兄ちゃんは同類だろ?」

「ま、ですね」


 なるほど、旅行好きね。

 だからか。

 港町にもそれでいたのだろう。

 観光地を回ってるって感じじゃないのかな?

 ここはともかく。

 港町は観光に行く場所じゃないし。

 本当に好きで旅してるっぽいな。

 ミーハーではなさそう。


 話しかけられた感じから、しばらく泊まってる様子。

 長期間留まるタイプか。

 冬にここいるぐらいだし。

 そりゃ、常連っぽくもなるしそれ以降会わない訳だ。


「この街に来るのは初めてかい?」

「いえ、毎年この時期は」

「ありゃ、そりゃ先輩さんだな。まだ日も高いし案内でもと思ったんだが」

「おすすめの店でも教えてくれるんですか?」

「おう! ま、兄ちゃんは既に知ってるかもしれないけどな」

「住んでる訳じゃないので」

「確かに。兄ちゃんのおすすめも教えてくれるか?」

「いいですよ」


 ……


 なんだかんだ、結構話し込んでしまった。

 外を見ると日が傾き、白く化粧した街が赤く頬を染めている。

 散策は明日以降だな。

 ついでにおっちゃんとの街ぶらも。


 予想外に時間を使ってしまった。

 でも、楽しかったからね。

 損ではない。

 気楽に話せたし。

 この場面で話しかけて来た事から想像はついていたが。

 やはり、コミュ強である。

 会話が上手いの何のって。

 テクニックどうこうの話ではなく。

 不思議と話しやすい。


 それに、やっぱ男はいいね。

 同類って感じがする。

 ……ノア?

 あいつは男だけど男じゃないから。

 そういう扱いではない。


 風呂から上がり、脱衣所。

 服を着るでもなく全身から湯気を登らせる。

 なかなか気持ちのいい時間だ。

 温泉入った後。

 この時間が大切なのだ。


 脱いだ服の隣、瓶が用意してある。

 中には白い液体。

 ミルクだ。

 準備しておいてくれたらしい。

 酒といい。

 やはり、気が利く女将だ。


「なんだそれ?」

「温泉上がりと言ったらこれをイッキよ」

「初耳だな。兄ちゃんの地元の風習か?」

「まぁね」


 ちなみに、牛乳ではない。

 牛なんていないからね。

 ミノタウロス的なのなら見たことあるが。

 あいつから乳を搾るのは正気の沙汰じゃない。

 討伐でBランク以上の依頼なのに。

 生きたまま捕らえて搾乳とか。

 仮に出来たとして、値段がいくらになるか。


 それっぽい魔物とかでもない。

 飼うのは難しいからね。

 牧場のように複数頭管理とか……

 街とかの衛兵並みの兵力が必要になりそうな案件だ。

 個人でやるなら。

 それこそ、上級冒険者の調教師並みの実力がいる。

 柵も問題だ。

 木なんかじゃ簡単に蹴破られるだろうし。

 色々ひっくるめて現実的ではない。


 じゃあ何のミルクなのかって?

 俺たちは生まれた頃何を飲んで育ったのか。

 それ以上は言わずとも、ね。

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