港町 12

 ふと、昔のことを思い出した。

 幼い頃の話ではない。

 もっとずっと昔、前世のことを。


 その日も俺は仕事に向かっていた。

 家を出て、駅に向かい、電車に乗る。

 通勤ラッシュの時間帯だ。

 普段は、当然席になんて座れるはずもなく。

 ただ満員電車に詰め込まれるばかり。

 ……なのだが。

 その日は運良く席に空きがあった。


 まぁ、今振り返ってみれば単に休日だったからだろうけど。

 当時の俺は曜日感覚など遠に失っていたのだ。

 ただただ運がいいとしか思わなかった。

 席に座る。

 どっと疲れが押し寄せてくる感覚があった。

 自分でも疲れてる自覚はあったが、想像以上に疲労が溜まっていたらしい。


 そして、気がついたら神奈川県だった。


 毎日、終電で帰るような生活を続けていたのだ。

 おそらく疲れて寝てしまったのだろう。

 そんな思考がすぐ頭の中に浮かんだ。

 ひとまず、次の駅で降りる。

 こんなの遅刻確定。

 今から逆方向の電車に乗ったとして、何時間の遅れになるか。

 しかし、なぜだろう。

 不思議と焦っていなかったのを覚えている。


 駅のホーム、とある広告が目に入った。

 なんの変哲もない。

 海水浴場か何かの広告。

 そこには綺麗な海が映っていた。

 この駅から、徒歩数分。

 ひどく惹かれ、自然と足が階段へと向かう。

 逆方向の電車ならこのホームの右手側。

 駅の構内へと続く階段を登る必要など無い。

 なのに。


 不意に、太ももに振動が伝わった。

 スマホのバイブレーション。

 それが俺を一気に現実へと引き戻した。

 足を止め、ポケットから取り出す。

 画面には上司の名前。

 電話を取るでもなく、ただ眺めた。

 いつの間にか通話は切れ、ロック画面にはいくつもの通知。

 俺は何をしているのだろうか。

 ただでさえ、遅刻しているのだ。

 早く会社に行かなければ。


 階段へと向かっていた足は進行方向を変えた。

 ホームの右側。

 俺は逆方向の電車に乗って会社に向かった。

 数時間の大遅刻。

 その上、説教。

 結局、その日は家に帰れなかった。


 もし、あそこで別の選択をしていたら……

 どうなっていたのだろうか。

 例えば、スマホの電源を切って海にでも行っていたら。

 もっと違った人生が待っていたのかもしれない。


 会社は間違いなくクビ。

 転職か、無職か。

 適当にどこかでバイトでもしていたのかも。

 海の見える街に引っ越して。

 冷房の効いたオフィスでひたすらパソコンに向き合うのではなく。

 太陽の下、汗水を垂らして働く。

 そんな未来。


 人生は選択の連続だとよく言う。

 その日の何気ない選択が、自分の人生を大きく変える物になる。

 俺は間違えたのだろう。

 選択肢ってやつを。

 だから、35なんて歳で死ぬ羽目になったのだ。


 でも、それは前世の俺の人間といういち生物としての間違い。

 その選択の結果として今の俺が存在してるのも事実。

 この世界で飲んだくれてる今の自分が。

 もしあの時に戻れたとして、俺は果たしてスマホの電源を切るだろうか。

 駅を出て、海に向かうという行動を起こすだろうか。

 自分でもよく分からない。


 間違いだったという確信はある。

 ただの結果論ではあるが、それでも確信はしているのだ。

 なのに……

 もしかしたら、俺はあの時と同じ選択をするかもと。

 そう思えてならない。


 例え、この世界に来れるという保証がなかったとして。

 それでも、愚かだと分かりながらも。

 電車に乗っていたかもしれない。

 ただ、それは思考停止して社会の常識に縛られたまま会社に向かった当時とは違う。

 希望を持ち自らの意思で地獄へと進んでいたはずだ。


 何故、こんな事考えてるんだろうか。

 俺って別にこういうの考えるタイプじゃないんだけど、な。

 どちらかと言えば、過去なんでどうでもいい。

 未来も考えるだけ無駄。

 もしもの話なんて、それこそ時間の浪費でしかない。

 なのに。


 海がそうさせた、とか?


 ……いや。

 これ、ただの賢者タイムだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る