18:自称『ヒロイン』な隣の席の廣田さん

「じゃ、私帰るね。ちょっくら世界を救ってくる!」

「……またそんなこと言って」

「だって私、この世界の『ヒロイン』だからさ」


 机をガタっと揺らして、元気よく立ち上がる廣田さん。

 彼女の友人はなんとも言えない顔をし、クラスメートの多くは「ああまたか」と目を向けもしない。

 ……こっそりと横顔を盗み見てしまう僕を除いては。


 僕の隣の席の廣田さんは、自称『ヒロイン』である。

 見ているこちらまで心が明るくなるような、朗らかな満面の笑み。小鳥の囀りのような声。背中に流した栗色の髪はさらさらと光り輝いて美しい天使の輪が浮かんでいる。


 確かに二次元から飛び出したような子だ。クラス、いや、学年で見ても一番の美少女だろう。

 ただ、不思議ちゃんというかなんというか、からっとした性格なのに突然変なことを言い出すものだから、友人はいるものの女子からは若干遠巻きにされ、男子からもいまいち人気がない。

 せっかくの美少女っぷりを拗らせた厨二病で台無しにしている、残念な子なのだ。


 それでも。


「廣田さん、今日も可愛かったなぁ……」


 僕はそんな廣田さんに、密かに思いを寄せている。


ꕥ ꕥ ꕥ


 廣田さんとの出会いは、衝撃的だった。


「うぉっ、かっこいいねー! モブとは思えない美男子っぷり。さすがこの世界、顔面偏差値高いなー」


 高校の入学初日。同じクラス、そして隣の席になった僕にいきなり「かっこいい」と言ってきたのである。

 僕はただただ圧倒されてしまった。


 いつも鏡で見る自分の顔はぬるっとした味気のないものだし、容姿を褒められたのは生まれて初めてだったので戸惑いまくったのもある。

 モブだとか顔面偏差値だとか、連発された言葉の意味もよくわからない。わかったのは、向けられた彼女の笑顔が反則級に可愛いということだけだ。


 小動物のような小柄さ故に、席についた状態でも身長差が生まれることによるわずかな上目遣い。白い歯を見せて笑った瞬間、ちろりと覗いた赤い舌。

 まるでこちらの目を引きつけるためにも思える彼女の仕草に、どうしようもなく釘付けにされた。


 しかし彼女の本気はこんなものではなかった。

 数十分後、クラスメート総勢三十人以上が見ている前で、衝撃発言をかましたのだから。


「私は廣田ひろた音花おとは! この世界の中心、すなわちヒロイン!! 私がこの学園の、そして世界の未来を救ってみせる!」


 しーーーんと、耳が痛くなるほどの沈黙がその場を包み込んだ。

 沈黙を破ったのは、確か担任の先生の咳払いだったと思う。しばらく経って皆の自己紹介が終わったのちに質問攻めにされた廣田さんだったが、「見てたらわかるよ」という意味深な発言をするばかり。


 入学初日から凄まじい変人ぶりを見せた彼女。

 当然のように学年中に名が知れ渡った。


 けれども彼女は全く気にする素振りがなく、「人気者で困るなぁ」と笑顔を浮かべるほど。

 どうしてそんな風にしていられるのか、と思わず聞いてしまったことがある。廣田さんはケロッとした顔で答えた。


「私、『ヒロイン』だから、ちょっとやそっとの陰口、気にしてられないの」


 そして、真っ当に――勉強から部活から何もかも一生懸命で、驚くほど真っ当に高校生活を過ごし始めたのである。


 学年主席を取り、かつ陸上部のエースに駆け上がるなんて尋常じゃない。クラスメイトからも徐々に認められて友達も複数人できたようなので、『ヒロイン』を自称する癖を除けば、欠点が一つもないのじゃなかろうか。


「今のうちにステータス上げとかないとね! 学校生活楽しいし苦にならないけど……ずっとこんな日常が続けばいいのになぁ」


 廣田さんの姿を隣の席で静かに見守っていた僕は、眩しいな、と思った。

 彼女と違って特筆する何かもなければ物事に取り組む熱量もない、のっぺりとした人生を生きてきた僕にとって、彼女はあまりに眩し過ぎた。

 だから、惹かれてしまった。


 決して廣田さんとお近づきになりたいだとか、付き合いたいだとか、そういうのじゃない。もちろん付き合えるなら大喜びで付き合うが、それはさておき。

 ただ、応援したくなったのだ。どこまでもまっすぐで、自分が『ヒロイン』だと信じて疑わずに突き進む彼女を。


ꕥ ꕥ ꕥ


 廣田さんをちらちら横目で伺い、見守れていれば良かった。

 僕はそれだけで満足だった。


 廣田さんに好きな人ができても、グッと唇を噛んで堪えた。

 さらさらの金髪に碧眼の、まるで人外のような男子生徒だったから、僕では到底敵わないとあっさり諦められたのだろう。

 彼女の周りに男子生徒が日に日に増えても笑って許せた。彼女は可愛いのだからモテて当然だ。


 単に廣田さんが男子と戯れているだけならば、どれほど良かっただろう。


 だが、ある日僕は聞いてしまった。

 侍らせている男子生徒たちに向かって、内緒話のように語った廣田さんの言葉を。


「もしここがゲームの中だとしたら……どう思う?」

「私ね、実は未来を知ってるの」

「ここは『乙女ゲーム』の世界で、私は『ヒロイン』。そして別の世界から異形の悪魔がやってきて、この学校をめちゃくちゃにする。でも、そんな未来は絶対に嫌」

「救いの乙女だけが、あなたたち『天使』の力を借りて世界を救うことができる。だから――」


 僕の隣の席の廣田さんは、自称『ヒロイン』である。

 だが、もしも……もしも自称ではなくて、真に『ヒロイン』で、世界を救うという冗談みたいな使命を背負っているのだとしたら?


 それでもきっと、僕のできることは全くと言っていいほど変わらないだろう。

 何も知らないままのふりをして、「ちょっくら世界を救ってくる!」と笑う廣田さんを陰ながら応援し続ける、それだけだ。


 脇役の中の脇役に違いない僕なんかが、堂々と表舞台に立てるわけがないのだから。

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