07:わたし、きれい?

 夏休みの部活帰り。夕立も通り過ぎたすこぶる蒸し暑い中、俺はちっちゃな怪異にあった。

 半分に折って食べるアイスを一人でそのまま囓りながら、サッカーのユニフォームのまま自転車で帰宅中、いつもは引っかからない信号で止まっていたら、少し離れた電柱の下に、何故かぶかぶかのコートを着た幼女が立っていた。

 あり得ない。真夏だぞ? 雨が降ったしカッパだと思いたいが、どうみても思いきり大人のトレンチコート。

 驚いて見過ぎていたのか、幼女がぱっと顔を上げた。

 フードを被って、ぶかぶかの大きなマスク。幼女らしく目はぱっちりを通り越しぎょろりと大きい。

 その幼女はニコッと目を細めると、トレンチコートを引きずりながら駆けてきた。


「ねえ! わたし、きれい?」


 何か聞いたことあるようなセリフを言いながらマスクを外した幼女の顔には、口紅がべったりと塗りたくられていた。


「えっと、どっちかって言うと、かわいい……?」


 途端に幼女は口をとがらせ、不機嫌になってしまった。

 

「かわいいじゃだめ! おねえさんはきれいなの!」

「おねえさん? 何――」


 完全にへそを曲げてしまった幼女は、マスクを付け直すとまた電柱の下に戻っていってしまった。

 何だっけかあれ、口裂け女だっけ。

 丁度信号が変わったので、道路を渡りながら横目でもう一度幼女を確認すると、今度は犬の散歩中のおばさんを掴まえ同じようなことをしていた。

 また同じように不機嫌になった所を見ると、やっぱり可愛いと言われたんだろう。


「ねえ! わたし、きれい?」


 翌日も幼女は同じ所に居た。


「昨日より口紅塗るの上手くなってる」


 実際はそんなに変わらないけど、マスクにそこまで口紅がついていなかった。

 たぶん、来たばかりなんだろう。

 俺の返事を聞くや、幼女は汗だくの顔を跳ね上げ、幼女らしい満面の笑みを向けてきた。


「おねえさんっぽい!?」

「あー……。もっと涼しい服着てたら、おねえさんっぽいか、も?」


 幼女は「わかった! ばいばい!」と元気に手を振りながら、行ってしまった。夕立みたいだ。

 とりあえず、明日はトレンチコートは脱いでくるはずだ。

 幼女を目で追っていたら、信号を渡りそびれて一回休み。

 すると、そんな俺の所に日傘のおばあさんがそっと寄ってきた。


「あの子ね、最近ずっとああなのよ。口裂け女の前は、あの、トイレの花子さんって言うの? 花子さんで『私おねえさん?』って言ってたのよ~」

「それは、ただ可愛いだけッスね」

「そうなのよ! で、なんだか怒っちゃってね~」


 おばあさんはそんな、何の話だって話をポロッとしていくと、さっさと行ってしまった。この辺りの女性は夕立だ。

 と言うか、そうか、おねえさんか。あの幼女はおねえさんになりたいのか。

 なら任せて欲しい。おねえさん大好きおねえさんになりた……くはない、この俺が、立派なおねえさんになれるようにプロデュースをしてやろう。

 どうだ、ありがた迷惑だろう。性癖の押しつけだ。明日が楽しみだ。待ってろよ、幼女。


 翌日もその次も、幼女は居た。

 白いワンピース姿で、何故か麦わら帽子。そしてマスクを外しながら――


「わたし、きれい!?」


 惜しい! 実に惜しい!

 白いワンピースは八尺様か? 尺がとんでもなく足りない! 何で顔は口裂け女固定なんだ。ワンピースも麦わら帽子も可愛いのに、実に惜しい!

 あ、ダメが。可愛いはダメなんだった。

 ぐるぐるとあふれ出す思いを封じ込め、率直な感想だけを告げる。


「……かわいい」

「涼しい服着たのに! 嘘つき!」


 ああ、プロデュース失敗だ。まだ何もしていないけど。

 マスクを付け直し、電柱の下に移動する幼女について行く。


「いや、あのー……。最近のおねえさんって、ナチュラルメイクって言うかその……そう! 素材の美しさを生かせば良いんだよ!」


 電柱の下で幼女に力説する俺の後ろを、何人かが白い目で通り過ぎて行ってるのは分かってる。

 でも、俺が言わなきゃ誰もトレンチコートを止めなかったんだろ? この真夏に。俺は一人の命を救ったようなもんだよ? 昨日会ったおばあさんも、この子の親も、誰もなーんにも言わなかったんだろ? だから俺は不審者じゃない! って、思いたい。

 

「口紅ないと、おねえさんになれる?」

「難しい質問だ……。おねえさんになれるかは、外見じゃ無くて、心じゃないかな。外見をおねえさんにするんじゃ無くて、行動とか、気持ちとか」


 幼女相手に、それっぽい事を何となく言ってみる。

 それっぽく見えてペラペラな事を言ってみる。

 本気で俺の言った事を受け止め、考え込む幼女の姿に、少し気まずくなってきた。

 幼女は可愛らしくしばらくうなった後、パッと遠くに目をやった。

 視線の先には、赤ちゃんを抱いた女の人が立っていた。


「わたし、おねえさんになったの! おねえさんになれるように、がんばる!」


 そう言うと、麦わら帽子を片手に女の人のところへと走って行ってしまった。

 可愛い夕立だった。


 翌日、勘違いがパワーアップした幼女と遭遇するとは思ってなかった。

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