06:ストレリチアの勇者 ―今度は私がそばにいるから―
世界を救った勇者の顔は晴れない。
*
「あれからずっとテオはあの調子なのかい?」
「はい……。私、もうどうしたらいいのか」
「踏ん張るんだよ。あの子にはあんたしかいないんだから。聞いたろう、テオのこれまでの旅の記録。あんな辛いことを経験したんだ、大の大人だって心が壊れそうなものを、あんな少年が受け止め切れるはずもない。生きてここに帰ってきてくれただけでいいんだ、ゆっくり、時間をかけて見守っておやり」
「………はい……」
魔王の台頭により、世界が危機に瀕してから六年。
四年間の修行と一年間の旅を経て、勇者テオが魔王を撃ち倒したのが三ヶ月前。
平和になったこの世界で、生まれ故郷であるこの地にテオが帰ってきたのが一ヶ月前――。
涙を流した感動の再会も、テオが旅立つ前に私とした結婚の約束の行方も、いまは遠い昔のよう。
帰ってきた時には憔悴した顔で、私のハグにも気が抜けていたテオ。彼は先の大戦で多くの大切な仲間を失い、命からがらに魔王を撃ち倒したものの、その心は未だあの瞬間に囚われているようだった。
*
「テオ、今日は星が綺麗だよ。もう夜に出歩いても、危なくないの。魔物はいないから……。だから、一緒に見上げよう? あの丘で。昔、二人で一緒に眺めたあの丘で」
「……いい」
扉越しに返ってくる冷たい一言が、私の喉をきゅっと絞めさせる。説得の言葉を続けられなくて、なんとか絞り出せたのも「そっか」という一言だけで、俯いた私はテオの寝室の扉をそっと撫でた。
本当なら、こうしてテオの背中に触れたい。
本当なら、テオの顔を見たい。
本当なら、テオを抱きしめて、何度でも感謝の言葉を送りたい。何度でも安心させてあげたい。
何の反応も返ってこない冷たい木扉に、それが叶わないことを痛感する。
「おやすみなさい、テオ」
「……おやすみ。ニーナ」
私とテオは十一歳の頃に離れ離れになった。
聖印が刻まれたことで王都の高名な魔術師に感知されたテオは勇者として育成されるため引き取られたのだ。私はそんなの危ないから、行かないでほしいと泣いていたけど、『俺が世界を平和にするんだ』『きっと大丈夫』って屈託ない笑みを浮かべて高らかに宣うテオを見て、信じて送り出したのを覚えている。
『絶対に帰ってくるから、その時は結婚してくれニーナ!』
『王都の子に、浮気したら許さないんだからね』
『分かってるって。ニーナも、絶対待っててくれ』
『うん。行ってらっしゃい! テオ!』
それが、私たちの最後の会話。
それからというもの、私は健気に待ち続けた。
でも心のどこかでは、忘れられてるんじゃないかと思ってた。
この小さな村で毎日同じことの繰り返しをする私より、王都に行った彼の世界のほうが広くて、きっと私なんかよりも良い子とたくさん出会っているはずだ。
それでも、私はテオがずっと好きだったから。
待ち続けた。
五年後、世界中の魔物の消滅をもって魔王の討伐を知った私は、テオがついにやり遂げたんだと悟った。
だけどテオの顔は晴れない。
村に戻ったテオが塞ぎ込んでから数日後、王国からある荷物が届いた。彼が村不在の間の日記。そこには日々の修行のことであったり、やっぱり女の子と遊んでいた話であったり、過酷な旅のことがつらつらと記されている。
私を含め、村のみんなはそれでテオの心中を察した。あまりにも辛い出来事が書かれていたから。
それ以来、私たちは無理を言わず、彼が再び元気になるまで見守ることにしていた。
――ぱりんっ
「きゃっ」
……考え事をしながら洗い物をしていたせいで、ついコップを割ってしまった。暗い室内、今日はツイていないなと思いながらいそいそと拾う。
ぎし、ぎし、と階段が軋む音がする。
振り返ると、こちらの身を案じたように、やつれた顔をしたテオが久しぶりに部屋から出てきていた。
「なあ、大丈夫か……?」
「テオ!」
堪らず、駆け寄って抱き締める。「な、なんだよ」と困惑したようにテオが言う。心配してもらえた喜びから、「大丈夫だよ!」と私ははにかむ。
「そ、そうかよ……」と恥じらったように口にする彼は、私の記憶のなかのテオにそっくりだった。
嬉しかった。
「じゃあ、それだけだから……」
「待って! テオ、お願い。話がしたい」
だから、我慢できなかった。
「覚えてる? ねえ、五年前の約束。このままなんて嫌だよ、テオが一人で傷を抱えているのも嫌。テオに話してほしいの、テオのこれまでのこと。きっと、ここに帰ってきてくれたのだって、そういうことだって私信じてる。テオが作ってくれた平和な世界で、私、テオと幸せになりたいよ」
「……っ、俺は、幸せにはなれないんだよ」
苦々しく、吐き捨てるように口にするテオ。
だけど私の握る手を振り解くことはなく、彼は私に話すことを選んでくれた。
*
「本当は、帰ってくることすら怖かった」
テオの胸中を覗く。
日記にも描かれていないテオの心の闇。
三ヶ月前、最終決戦の記憶。
「勇者の心を打ち砕くには仲間の死がもっともいいとか言って、奴は仲間を殺したんだ。俺のせいであいつらは死んだ。俺をどん底に叩き落とすためにさ」
「もう……怖いんだよ、失うのが」
「一人になりたかった」
「一人になれなかった」
「結局、もう奴はいないんだしいいよな、とか、自分に言い訳してここに帰ってきた。帰ってきちゃったんだ。お前がいると思ったから。お前に会いたかったから。馬鹿なんだ俺」
ぽつぽつと語りながら、テオは身を丸くする。
塞ぎ込むように、心が壊れないように。
「奴の言葉が呪いのように俺を苦しめる」
私がどれだけ言葉を尽くしても、その呪いのせいで、テオの顔は晴れない。
「幸せになるのが怖い」
「幸せになる権利がない」
「お前だけは絶対に失いたくないし」
「どうすればいいか分からないんだ、もう」
………私は感じる、無力感を。
言葉にできない問いかけが胸の内に溢れる。
ねえ、私じゃ力不足かな。
私じゃテオの力になれないのかな。
あの時、無理にでも付いていけばよかった。私がそばに居てあげればよかった。
私が、強かったらよかったのに。
テオに、そんな顔をさせなかったのに……。
「だから、ごめん。俺のことは忘れてくれ」
「テオ……」
翌日、テオは村から姿を消した。
私が無理に話を聞き出したせいだ、と思った。
*
この村には伝承がある。三日三晩星が満ちる日、風が無い日、波立たない泉に浮かんだ星粒を掬え。三度願いを口にし、その水を口にせよ。
私はあることを願った。荒唐無稽の、絵空事。
だけど失った時間を取り戻すには、この方法しかない気がした。
―――
――――――
―――――――――
「聖印に選ばれし子がこの村にいるとお告げが出た。我が国のために差し出していただきたい!」
目を開ける。空が明るい。私の体は幼い。
目の前の景色には、見覚えがある。
まさか……、本当に叶うなんて。
「おっさん! 聖印ってこれのことか?」
「テオ……っ」
ど、どうしよう。このままじゃダメだ、この瞬間に戻っただけじゃどうしようもない――。
考える、考えろ、猶予がない。
………時間遡行の奇跡があるぐらいなら……。
神様、どうか私にも聖印を……!
左手の甲がジワッと灼けるように熱を持つ。滲むように浮き出した聖印を見て、私は声を張った。
「私もっ、彼と同じ勇者です!!」
小さなテオが目を丸くする。
――テオ、今度は大丈夫だよ。
私があなたの笑顔を守るから。
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