08:やみぷり!~テクノブレイクして悪役令嬢に転生した俺が、推しの正ヒロインを破滅させないために頑張る話~
「
それが俺こと
まず『粛清の暗黒姫リリア~悲しみの檻をこの手で壊して~』とは、聖女と謳われる姫君リリアが、婚約していたナルキス王子を親友であり初恋の相手でもあった公爵令嬢アスセナに寝取られたことをきっかけに闇堕ちし始め、愛するふたりを自ら処刑した後はふたりを忘れようと藻掻くうちに自国はおろか大陸全土を蹂躙する「粛清の暗黒姫」として君臨するに至り、やがてひとりの勇者によって討たれるまでの軌跡を描いた奇跡のベストセラーだ。
俺の推しはもちろん悲劇のヒロイン、リリアだ。特にナルキスとアスセナを燃やすときの『あなた方が真実の愛を貫いたのなら、きっとまた会えるでしょう。お幸せに』という台詞は、挿し絵の冷淡であろうと努めながらも涙ぐんでいる顔の破壊力も相まって涙なしでは読めないし、「お幸せに」は発売された年の流行語大賞にもなった。
音声作品版ではリリアが暗黒姫として君臨するまで、魔力による侵攻や美貌を活かした有力者の
そうして目覚めたら……。
「なんだ、もう眠ったのか? 寝顔も女神のようだ……婚約するなら君とがよかったなぁ。何もかもが魅力的だし、相性もいいし」
目の前には、鍛えられながらも程よく引き締まった若々しい裸体を惜しげもなく晒してベッドに横たわる青年。柔らかそうなブロンドの髪に、サファイアを思わせる深く碧い瞳、端正な中にあどけなさの残る、甘いマスクと聞いたら7、8割はこいつを思い浮かべそうな顔が、心底愛おしいものを見つめるように俺に微笑んでいる。月明かりに照らされる肌をうっすら伝う汗がなんともいえず艶かしくて、俺にその
「んにゅぅ、……ぇ、え?」
「なんだアスセナ、起きたのかい? 急に返事がなくなるから、眠ったのかと思ったよ。眠たいなら眠っていてもいい、夜が明けるまで僕は君のものでいられるから」
おいおいおいおい、俺こんなイケメンくんをモノにした覚えないんだが? ……ん、なんか聞いたことのある名前で呼ばれてないか、俺? ていうかこいつの顔どこかで見たような……え。
え。
え?
「ええぇぇナルキス!? ちょ、おまっ、ナルキス!?」
「ど、どうしたアスセナ? 大丈夫だ、僕はここにいるから! 落ち着いて、落ち着いて、声大きいよ!」
落ち着けって、落ち着けるかよ!
ていうか俺の声高く……おい、おいおい嘘だろ!?
「ナルキス、その……鏡ある?」
思わず口調を
鏡には、俺がしているのと同じように自分の頬に触れている、黒曜の髪にガーネットの瞳が輝く
アスセナ・レスピア。
リリアの親友で、初恋の相手。幼い頃から婚姻相手が決まっていたためにリリアの想いは
まさか俺が……リリア推しの俺が、よりによってアスセナになるとか……? いやリリアの初恋の相手になるのはアリかナシかっていうと、いや俺がなりたかったわけじゃないし!? むしろ俺は音声作品版で籠絡される有力者に……おぅっ、おほっ……、
「どうした、アスセナ?」
目を覚ましてから何度目かになる、ナルキスの心配そうな顔。くそ、目の前で見ると非常に顔がいい! そんな顔のいいやつが、俺をまっすぐ見つめて心配そうに眉を落としている──その顔すらも端正で、もはや腹が立ってくるレベルだ。そりゃこんな男を寝取られちゃリリアだって闇堕ちするだろうよ!
「……ううん、なんでもない」
どうにかその場を取り繕い、状況を整理する。
これ、どの場面だ?
ナルキスとアスセナが生きてるのは原作だと全250ページの中で30ページくらいまで、それでいてナルキスだって最初の10ページくらいまではリリアにぞっこんだったから……じゃあここ、あれか?
ナルキスとの婚儀の準備が進むなか、リリアがまだ微かに残る未練と共にアスセナの住む公爵邸を見つめていたら窓からこっそり帰るナルキスの姿を見かけて疑惑が芽生えるシーンが目前に控えた夜なんじゃねぇか!?
そうだ、確かにこいつ、『夜が明けるまで』とか何とか言ってたぞ……、じゃあその言葉通り夜明けまでここにいて、その帰りをリリアに見られるってことか……。読みながら「おいおい嘘だろナルキスお前!」と叫んだのを思い出すな……、こいつ、あの場面の裏でこんな風だったのか。
「……あ」
そこまで考えたとき、ひとつ思い付いた。
まさかとは思うし、さすがにない話だとは思うけど。それでも……今ってば、まだリリアが闇堕ちするきっかけのイベントすら発生してない地点なんだな、なんて気付いてしまったのだ。
ひょっとしたらよ?
ひょっとしたら……。
うまいことナルキスの浮気に気付かれなければ、原作の展開にはならないんじゃないか? それなら、原作でバッドエンドを迎えたリリアを救ってやりてぇって思うのが人情だろうよ!
確かあのシーンは、リリアが馬(によく似た生き物)に乗って公爵邸に向かうとき、空が白み始めてるような描写があった……。今は、今の空はどうなんだ!?
驚いた様子のナルキスに構わず、窓から夜空を見上げる。
空に浮かぶ月がちょうど南中したくらいだろうか――要するに、今帰せばまだ間に合うってこと!
「ナルキス、今日はもう帰ってくれる?」
「え、」
きっと普段のアスセナはそんなこと言わないのだろう、あからさまにショックを受けたような顔で
「あなたの……ううん、私たちの為なの。だから、今日はお願い」
「……そうか。君はいつも僕のことを考えてくれている。だから、きっと今のもそうなんだね。……わかったよ」
静かに言うと、ナルキスは帰っていった。
……よし、これでフラグはひとつ潰れた。
こうして、俺のアスセナ・レスピアとしての人生は幕を開けた。
……にしても、あんな寂しそうな顔すんだな、ナルキスって。
ちゃんと、あいつの気持ちをリリアに向けさせないとな。
だって、それがハッピーエンドになる条件なんだから。
月光に照らされた草原でしばらく名残惜しそうに公爵邸を見てから帰っていったナルキスを見送りながら、俺は小さく決意した。
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