散り始め

 一年、桜を見守り続けた。


 知らないうちに彼女のことは意識から抜け落ちていた。


 ただ、桜を美しいと思う感情よりも、桜を好きだと思う感情が強くなっていった。


 あれから一年後、桜は元気な姿で満開の花を咲かせた。


 桜と、日光。


 桜と、夕日。


 桜と、月光。


 夕日が沈みきるころ、僕は目を閉じた。




 ぼんやりと目を覚ますと、辺りは暗くなっていた。


「桜、好きなの?」


 一本の桜と、一人の桜がそこにいた。


 どこかで会ったことがあっただろうか、と記憶を探るのはさすがに冗談だ。


「昔は好きというわけではなかったけど、今はすごく好きだ」


 彼女に再び会えて、桜の花が開いた時のような気分になる。


 彼女は、余裕なさげに笑う。


 僕はこの一年で、あらゆることが変わった。


 これまでよりずっとずっと世界に関心を持った。桜に向ける感情も変わった。


 でもそれに気づけたのは、また桜を見られたから。


 彼女はどうだろう? この一年、どうなっていたのだろうか。


「わたし、桜に取り込まれてたみたい」


 詳しく聞きたくて、満月と夜桜から目を逸らす。


 視線の先に、彼女を見る。


「最初の頃は息苦しかった。だけど、君が根っこの上から人を退けてくれたよね」


 彼女に見られていたのか、と思うと恥ずかしい。だが、そう思うことができるのも彼女のおかげだと思うと嬉しい。


「桜が元気を取り戻してきて、わたしが必要なくなったんだろうね」


 彼女は満開の桜みたいに笑った。


「君がずっと助けてくれて、まだこの世界にいたいって思えた」


 小っ恥ずかしい彼女の話は、どうやら終わったみたいだった。


「次は、僕の話か」


 そういう流れがあったというわけでもないのに、僕は一人話し始めた。


「実のところ、最初のうちは桜の上から人を退けていたのはなぜだったか、僕にもわかっていなかった」


 彼女が目を見開く。当然自分のためだとばかり思っていたのだろう、恥ずかしいことだ。


「君を失った時も悲しくはなかった。そういうものだと思ってた」


 彼女は軽く怒っているみたいだった。でもここからが本番だから黙って聞いていてほしい。


「君が帰ってきた時、なぜか安心したんだ」


 彼女は満足そうだった。


「失ったものが返ってくることも、あるのかもしれない」


 僕も相当恥ずかしい話をした。彼女も笑っていた。


「なあ、なんであの日、僕に話しかけたんだ?」


 彼女ははにかんで喋り始める。


「あの時は、後先考えてなかったから。わたしみたいな人がいたら話しかけるようにしてたんだ」


 「彼女みたいな人」がいったいどういう人を指すのか、それについては訊かないでおいた。僕も、家族のことを探られたくはないから。


 その代わり、彼女と桜を見に行きたいと思った。過去のことを話すよりも、一緒に桜を見るほうが僕たちらしい。


 そう考えていると、彼女が切り出した。


「ねえ、明日、桜を見に行こう」


 彼女は今でも僕のことを見透かしているのか、と苦笑する。


「僕もそう思っていたところだ」


「わたしたち、やっぱり似た者同士じゃん」

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