21~30話

第21話 休暇

「ママー! みててー!」


「はいはい、見てる見てる。遠くに行かないでねー」


 侯爵邸で仕事を始めてから一か月弱経ったある日の午後。邸宅の広大な庭で、ケイはココと休日を過ごしていた。

 ケイが仕事場にしている別邸と、使用人部屋が背後についている本邸以外にも侯爵邸には様々な場所がある。見通しの良い林や花壇を散策し、開けた東屋に来るとケイはベンチに腰を下ろしてちょうちょを追いかけるココを見守った。


(遊具とかはないけど、敷地内で安心して遊ばせられるのは助かるな……。外の広場だと石畳だし、急に馬車が通ったりするからちょっと怖いんだよね)


 敷地内は広く、ココが走り回っても迷惑がかからない。遊具もなくて退屈するかと思ったが、そこは単純な3歳児。小石集めやお花拾いなど、自然にあるものでも今のところ十分楽しいようだった。

 木漏れ日に照らされて久々にぼーっとしていると、ココがだいぶ遠くに行ってしまっている。


「ああもう……。ココー! ちょっと待って!」



 ココを走って追いかけると、ふいに独特の臭いが鼻をかすめた。敷地の中でもかなり奥の方に来たようだ。少々年季の入った建物…というよりも小屋の前でココに追いつくと、ココが歓声を上げた。


「おうまさんだぁー!」


「えっ。……本当だ」


 そこは、厩舎のようだった。ヴォルクは仕事や外出時に馬を使うので当たり前といえば当たり前だが、敷地内で飼っているのか。

 柵から首を出した馬が二頭、のんびりと草をんでいた。間近で馬を見るのが初めてのココは大興奮だ。


「おおきい! すごい!」


「ココ、しー! 大きい声出すと、お馬さん驚いちゃうから」


 馬に体当たりしていきそうな我が子の肩を引き留めると、厩舎から壮年の男性が出てきた。浅黒く日焼けして、干し草を脇に抱えている。


「あんれー。娘っことはまた珍しいな。見ない顔だけんど、お嬢ちゃん、あんたたちどっから来た?」


「あ、こんにちは。すみません、ここの期間限定の使用人……です。侯爵様にお世話になってます」


「あ。ああー! あんたもしかして『恵みの者』? 旦那様が拾ってきたっちゅう」


「ひろ……はい、まあ。拾われましたね」


 事情をよく知らない人たちには、そう思われていたのか。ダンボールでニャーニャー鳴く自分とココを拾い上げるヴォルクの図が浮かび、ケイは思わず笑ってしまった。

 厩番うまやばんの男性は厩舎を振り返ると、大声を張り上げた。


「旦那様ぁ! 恵みの方とお嬢ちゃんが会いに来られましたよ!」


「えっ!?」

 

「なんだ、グラース。……ケイではないか」


「あー! おじちゃん!!」


 厩舎から姿を現したのはヴォルクだった。彼も休日なのか、ブーツを履いたラフないでたちで一頭の馬を引いて出てくる。

 再び喜色満面でヴォルクと馬に体当たりしそうなココの肩をケイが押さえると、ヴォルクは驚いたような顔で二人を見やった。


「私に何か用事だったか?」


「こんにちは。違うんです、たまたまで! お庭で遊んでいたら、ココが馬を見つけたので――」


「あんれー? 違ったべか。旦那様がいっつも『可愛い親子』だって言うから、てっきりイイ仲でわざわざ会いに来てくれたんかと――」


「なっ――」


「え!?」


 グラースと呼ばれた厩番の言葉にケイとヴォルクは揃って目を見開いた。

 ココが可愛いと言われるのは、親馬鹿の欲目を除いてもまあ分かる。うちの子は可愛い。だが自分も含まれるとはどういうことだ。

 ケイが思わず振り返ると、ヴォルクは少し狼狽したように小さく首を振る。


「コ……ココが! ココが可愛いと言った」


「でっ、ですよねー! そう、ココが!」


「あれー? そうだったべかー? そうだったかなぁ……」


 お互いにうんうんとうなずき合い、乾いた笑みが漏れる。……良かった。妙な誤解が生まれるところだった。

 ヴォルクはごほんと咳払いすると、連れてきた馬を柵に繋いだ。


「紹介しよう。こちらは『恵みの者』のケイと、その娘のココだ。今は一時的に別邸で伯母の世話をしてくれている」


「ああ、フィアルカ様の。俺はグラースってんだ。旦那様の馬のお世話をしたり、庭の手入れをしたり、まあ色々やってる」


「はじめまして、グラースさん。お仕事の邪魔をしてしまってすみません」


「いんや全然。ほんとに可愛い娘っこだべなあ。旦那様がメロメロになんのも分かるわ」


「おい、グラース!」


 ココの頭をぽんぽんと撫でながらグラースが告げた言葉にヴォルクから制止が飛んでくる。ケイが小さく噴き出すと、ヴォルクはなんとも言えない顔でうっすら耳を赤くした。


「ねえねえ、おうまのおじちゃん。ココ、おうまのおせわしたい!」


「こーら、ココ。駄目よ、お仕事の邪魔になるから見てるだけ」


「えー。でも、したいよう!」


 3頭も並んだ馬を目の前にして、ココの好奇心に火がついてしまった。イヤイヤ期はいい加減終わったと思っていたが、珍しく聞き分けがない。ケイは仕方なく、奥の手として常備している飴をポケットから取り出した。


「分かった分かった、飴なめながら一緒に見よう?」

 

「アメいらない! おうまさんがいい! ココ、おじちゃんとあそびたい!」


「ココ、わがまま言わないの」


 ……困った。ヴォルクたちの前で怒鳴るわけにもいかないし、無理やり連れて行くと大泣きするのが目に見えている。ケイがひそかにため息をつくと、グラースがのんびりと告げる。


「別に構わねえぞー。旦那様、あっちに野菜切っといたからそれ使ってくんろ」


「ああ。……ココ、おいで。一緒に餌をあげるか?」


「!! うん、やる!」


 ヴォルクとグラースの言葉にココがぱっと顔を上げた。キラキラした笑顔でぴょんぴょんジャンプするココに対して、ケイは申し訳ない気持ちで頭を下げる。


「すみません。邪魔してしまって……」


「いや、本当に構わん。生き物の世話をするのは教育にも良いからな。グラースは私の乗馬の師でもあったのだ。私も幼い頃、こうして世話をしながら馬のことを知っていった」


「そうだったんですね。……ありがとうございます」



 それからヴォルクは、ココとケイに説明をしながら馬の餌やりと手入れを手伝わせてくれた。馬の触り方や立ち位置、食べ物などの説明をココが真剣に聞き入る。初めて見るその顔にケイは感慨深くなった。


「おうまさん、あーん。……うひゃあ! べちょべちょ!」


「手を離すのが遅いと噛まれてしまうぞ。ほら、もう次を待っている」


 最後に手ずから餌やりをさせてくれて、ココのテンションはマックスだった。まだ馬の口には手が届かないから、ヴォルクが抱き上げて。

 思った以上に大きな馬そのものと、その口の開きっぷりにケイはハラハラとココを見守っていたが、そこはヴォルクが絶妙のタイミングで手伝ってくれた。そのうちに注意がおろそかになったケイの手が隣の馬に舐められ、ケイは大きな声を上げてしまった。


「ママー。もう、おおきなこえをだしたらいけないんだよ~」


「ご、ごめん。びっくりして――、うひょわっ!?」


「こら、がっつきすぎだバイアリー。……すまぬな。これは気性は大人しいのだがとにかくよく食うのだ」


 バイアリーと呼ばれたケイの前の馬がブフンと鼻を鳴らした。ケイの餌のバケツはすでに空だが、手をベロベロと舐められ催促されている。ヴォルクがなだめると、不服そうにバイアリーはまた鼻を鳴らした。


「さて、手を洗ったら……ココ、どうだ? 一緒に馬に乗ってみるか?」


「えっ! いいの!?」


 バイアリーに鞍を装着したヴォルクがココを振り返った。ココは目を見開き、次の瞬間頬を真っ赤にしてジャンプしかけた。が、馬を驚かせてはいけないというヴォルクの言いつけを守り、ぐっとこらえた。

 そんなココを見ながらも、ケイはさすがにヴォルクの前に割って入る。


「ヴォルクさん、さすがにそこまでは申し訳ないです。怪我したら危ないですし――」


「えー!? やだ、ココのる! おうまさんとなかよくなりたい!」


「ゆっくり歩くだけだ。絶対に落とさない。ここまで世話をしておいたら、少しでも乗ってやった方が馬も喜ぶ」


 ヴォルクに同意するように、バイアリーがブルル…とケイを見た。ヴォルクとココとバイアリーを交互に見やり、ケイは小さくため息をついてココの手を握った。


「じゃあ……お願いします。あの、本当に少しだけで十分ですから!」


 この世界にはヘルメットもなければ、万が一骨折したらすぐに来てくれるような救急車も医療技術もない。

 少しでもリスクのあることを子供にさせるのは、正直言って怖い。けれど、この世界で生きていくには遅かれ早かれ避けては通れないことも分かっていた。


 まだ不安な顔をするケイに、馬にまたがったヴォルクが大きくうなずく。ココを抱き上げてヴォルクに引き渡すと、ココの小さな体はヴォルクの腕の間にすっぽりと収まった。


「ココ、馬は生き物だ。暴れると馬が怖がって、落ちることもある。そうすると痛い思いをする」


「いたいいたい、や!」


「そう、痛い痛いだ。そうならないように、馬の息と歩みに自分も合わせるんだ。難しければ、おじさんに寄りかかっていなさい」


「うん。ココ、おうまさんとなかよくする」


 一丁前の顔をしてピシッと背筋を伸ばしたココの姿にケイは感動した。今ここにスマホがないのが本当に残念だ。連写して壁紙にするのに。

 ケイが心のシャッターを押しまくっていると、馬がゆっくりと歩み始める。ケイが想像したよりもずっとゆっくり、歩いても追いつけるような速度でヴォルクが操ってくれている。


「うわあ~。たかい! ゆれるねえ」


「走るともっと揺れる。それはココがもう少し大きくなってからな。さっきココが餌をあげた馬は、実はお腹に赤ん坊がいるんだ。その仔が産まれたら、ココにちょうどいいから一緒に練習しよう」


「ほんとに!? ママー! おうまさんのあかちゃんうまれたら、ココとあそんでいいんだって!」


「前っ! 前見てー!」


「みてるよ~。おじちゃん、おうまにのるの、たのしいね!」


 牛歩ならぬ馬歩の歩みだったが、ココは満面の笑みだった。厩舎に残るケイとグラースに手を振り、興奮して何度もヴォルクを振り返る。ココはヴォルクの腕にしがみつくと安堵しきった顔で告げた。


「おじちゃんのおうち、たのしい! ココ、ずっとおじちゃんといたい!」



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