第15話 酒
「ケイ、飲める口だったら少しどうだ?」
「わぁ……。食事が終わってから飲むとか、罪の味すぎて震えますね」
食事が終わり、席を立とうとするとヴォルクに引き留められた。あまりに魅惑的な誘い文句にケイが文字通り震えると、ヴォルクは苦笑してケイを手招く。
食堂のテーブルでそのまま飲むかと思ったら、部屋を移動して応接間のような部屋に通された。その棚にはワインやリキュールのような瓶が何本も並んでいる。
先ほど、ごく軽い食前酒は出たが食中にアルコールは出なかった。なのでそういう習慣かと思っていたが、飲む用の部屋がちゃんと別に用意されているというわけか。
「何が好みだ?」
「甘いお酒とかあります? 好きですけど、そんなに強くはないので」
「そうだな……。陛下からいただいた
聞き慣れない名前に首を傾げているうちに、家令のソコルがやってきてワイングラスに琥珀色の液体を満たしていった。
ヴォルクは手酌で別のアルコールをグラスに注ぎ、ソファーに腰かける。ソコルが去ると室内は二人きりになり、小さなテーブル越しとはいえ先ほどの食堂とは異なる距離感にケイは少し緊張した。
「では、乾杯」
「いただきます。……えっ、甘い!?」
どういうものか聞かなかったので普通の白ワインかと思いきや、ケイのグラスに注がれたワインは舌が驚くほど甘かった。
砂糖のような甘さではなく、果汁を濃縮させたような濃厚な甘みだ。だがしつこい感じはなく、アルコールが鼻に抜ける感覚と飲み干した後に喉に残る甘美な熱さがくせになるような味わいだった。
それが元の世界ではデザートワインの一種にあたり、非常に高価なものであるということをケイは知らなかったが、魅惑的な液体をまじまじと眺める。
「美味しいです……」
「それは良かった。私には甘すぎるのでなかなか開ける機会がなかったのだ。度数は低くないから、注意して飲んでくれ」
「はい。……はー、美味しい料理にお酒だなんて、幸せすぎます。ありがとうございます……」
「そなたは何を食べさせても感動しているな」
ケイの言葉を大げさと捉えたのか、ヴォルクが苦笑混じりにからかう。ふわりと酔いが回ったのもあり、少し軽くなった口でケイは笑った。
「だって本当に美味しいですから。こんな風にゆっくり食事したりお酒を飲んだりするのなんて久しぶりで。離婚してから日々の生活を送るのでいっぱいいっぱいだったし、こっちに来てからは慣れるのにまた必死だったし。……はー。美味しい酒が飲めるって最高ですね。ありがとうございます」
ワインも美味いがつまみで出されたチーズとドライフルーツもまた美味い。チェイサーを挟みつつゆっくりと極上のワインを味わっていると、二杯目を注いだヴォルクが神妙な面持ちで問いかける。
「向こうでの生活は、それほど大変だったのか」
「え? いや、そうでもないですよ。まあ楽だったとは言いませんけど、仕事して、なんとかやりくりして。ココと二人で暮らす分にはどうにかなってましたから、幸せでした。もう離婚する前の数年間のほうが気分的には人生のドン底でしたから」
「……不貞をされたと言っていたな」
「あはは、王様の前で言っちゃいましたね。よく考えたら恥ずかしいな」
甘いワインで、心地よく酔いが回ってきていた。神妙な顔を崩さないヴォルクと対照的に、ケイはあくまでも軽く応じる。今ではもう、笑い話として話せる過去を。
「私が、見る目がなかったんです。モテない人生を歩んできたんで、ちょっと言い寄られたらすぐコロッとなびいちゃって。子供ができて、ひとまず結婚はしたけど夫婦生活は最悪でした。浮気するわ子育てはしないわ賭け事はやめないわで……我慢の限界で、私から離婚届を叩きつけちゃいました」
「…………」
あは、と締めたがヴォルクは眉間に深い皺を刻んでしまった。口が滑ってつい話しすぎてしまった……ケイが内心で若干後悔すると、ヴォルクはぐいとグラスをあおる。そして本気の怒りを滲ませて告げた。
「なんなのだその男は。人の元
その言葉に、ケイは目を見開いたあと噴き出した。そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。
「ですよねー。もうほんっと最悪で。……でもそんな人を選んだのは過去の自分なんで、自業自得なんですけど」
「そなたは何も悪くないではないか」
「うーん、それはどうでしょう。私の方の言い分しか話してないですから。もしかしたら、相手側からすると私に駄目なところがあったのかもしれないし。どっちかが100%悪い、とは私には言い切れないですね。……まあもう過ぎたことだし今後関わりもなさそうなんでいいんですけど。養育費を踏み倒されたことだけはムカつきますけどね」
最後だけ恨みを込めて告げると、ヴォルクは目を見開いたあとに小さく息を吐き出した。
「そなたは顔に似合わずたくましいな」
「そうですか? ……たしかに、図太くはなったかも。そうしないと生活が成り立たなかったですから」
異なる世界に飛ばされて、思った以上に早く生きる基盤を作れたのもココがいたからこそだ。ヴォルクたちの尽力はもちろん大きかったが、守るべき存在がなければ率先して自らの足で立とうとは思わなかったかもしれない。
「ただ、ココを授けてくれたことだけは元夫に感謝しています。あの子を産んだことに後悔は一つもありません」
「……そうか」
グラスの中のワインを飲み干してヴォルクに微笑むと、彼もまた小さく笑った。
……ああ、控えめだが素敵な笑顔だ。目尻に少しできる笑い皺さえも様になる。
こんな激シブな男性と二人きりで酒を飲む機会など、この先の人生できっとないだろう。酩酊しはじめた頭でふわふわとそんなことを考え、ケイは口を開く。
「ヴォルクさんも――」
「?」
――奥さんは、どんな方でしたか。そう口にしかけてケイははっと口をつぐんだ。
たったさっき聞いたばかりだ。彼は夫人と死別していると。自らの意思で離婚したケイとは事情がまるで違う。軽はずみに聞いていいことではないと、ケイは思考を切り替えた。
「ヴォルクさんも、お酒強いですね」
「そうか? 休日前しか飲まないのだがな。私も、自宅で誰かと飲むのは久しぶりだ。陛下にはたまに誘われるが、あの方は底なしだから自分が引きずられないよう自制するのが大変でな」
「あー。お強そうですもんね……」
「おかげで若い頃は失敗も多くした。恥ずかしくて話せないものばかりだが」
「え、そう言われたら逆に気になります」
互いのグラスに酒を注ぎながら、とりとめない会話を楽しむ。それは久しくなかった時間で、ケイは心の奥底で思ってしまった。
――今、彼に奥さんがいなくて良かった。互いに他意はなくとも、妻の立場から見ればケイたち親子への庇護、そして今このときを含めて今日あった様々な出来事を知れば心中穏やかではいられないだろうから。
元『サレ妻』だからこそ分かる黒い感情のブーメランを、ケイは深く甘いワインで喉の奥へと押し込んだ。
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