第14話 食卓

 御者をオルニスに替えて、二人は馬車に乗り込んだ。侯爵邸への帰路で、ケイはぼうっと車窓を眺める。


「ケイ、疲れたか? すまない、思ったより長くなってしまって」


「あ、いえ。……はは、そうですね。慣れないもの着てるから肩は凝りました。正直今すぐ脱ぎたい気分です」


「…っ!?」


「えっ。……いや、脱がないですよさすがに!? 冗談です、冗談」


 ほんの冗談のつもりで言ったのに、ヴォルクが目を剥いて振り向いたのでケイは慌てて否定した。

 身分の高い人には通じないジョークだったらしい。貴族社会、難しい。唖然としたヴォルクが気まずげに視線をさまよわせる。


「……すまん。そなたならやりかねないと一瞬思ってしまった」


「え。……私、ヴォルクさんの中でどういう扱いなんでしょうか」


「いや文化的に違いがあれば、そういうこともなくはないのかと――。……いや、ない、な……。すまない」


「はい、ないです。…………ははっ」


 口を押さえて失言を恥じるような表情を浮かべたヴォルクに、ケイはきっぱりと返答し、そして次の瞬間ふき出した。


 肩を震わせて笑うケイにヴォルクはますます渋面になる。ひとしきりケイが笑って顔を上げると、ヴォルクもまた片眉を歪めて小さく苦笑した。

 疲労感もあって少し重い空気だった車内に、ほっとするような間が生まれる。ヴォルクは一つ息を吐き、穏やかに切り出した。


「……先ほどは驚いたぞ」


「え? 何がですか?」


「陛下のお言葉に対する反応だ。軽いものとはいえ王からの求婚に対し、まさかあそこまできっぱり拒絶するとは思わなかった」


「あ……。ああー、あれですか」


 ヴォルクに指摘された場面を思い返し、ケイはへらりと苦笑した。


「だってあれ、明らかに冗談じゃないですか。王様、お断りして怒りそうなタイプには見えませんでしたし、前の職場のおじいちゃんたちと一緒かなーって」


「……おじいちゃん?」


「はい。こんな私でも、ご老人たちの中にいるとそれなりにモテるんですよ。やれ若くて可愛いだとか、やれうちのバアさんより魅力的だとか。いやそりゃ皆さんよりは若いですけども! ……で、たまに『結婚しよう』って冗談で言ってくる人もいますけど、『もー、そんなこと言って奥さんの方が大事なくせに!』って言うと妙に嬉しそうな顔して引き下がるんですよね。なによ結局ノロケじゃないの、みたいな。ここまでがワンセットです」


「…………」


「王様もそれと一緒かなって。全然本気じゃなくて、言ってみて相手の反応を楽しんでる感じの方なのかなって思ったんですが――。ヴォルクさん? え、私なにか変なこと言いました?」


 ヴォルクが手で額を覆ってしまったのでケイは心配になった。ヴォルクは呆れたように低くつぶやく。


「一国の王の言葉を、異界の老人と同じと捉えるか……」


「あ……すみません。さすがに言いすぎました。不敬罪……ですかね」


 急に冷や汗が出てきた。そういえば、目の前の彼は王の幼馴染である前に将軍職でもあったのだった。うっかり漏らした失言に青くなるケイを見て、ヴォルクはくつくつと喉の奥で笑う。


「いや……良い。だが他人には言ってはならんぞ。あしらい方が妙に慣れていたので私はてっきり、そなたが元の世界で口説かれ慣れていたのかと思ったぞ」


「くっ……!? いやいや、ないない。ないです。口説いてくるのはおじいちゃんだけです。悲しいことに」


 とんでもない誤解にケイは両手を振って否定した。ヴォルクはもう一度苦笑すると、ケイを見つめてつぶやく。


「私が見た限り、陛下は結構本気だったと思うがな。……遅くなったが、今日は付き合ってくれて感謝する。そなたの美しい装いが見られて役得だった」


「えっ。……や、やめてください。元を知ってる人に言われると恥ずかしいです。もう顔面塗りたくってるのに!」


 自分のほうが数十倍もイケている人に正面から称賛されると恥ずかしいことこの上ない。今日一番の赤面でケイが顔を覆うと、また低い笑い声が響いた。


「――さて、着いたようだ。遅くなったから夕食を食べていくといい」






 侯爵邸に着きオルニスと別れると、支度を整えた別邸ではなく本邸の方に通された。別邸よりもさらに重厚な邸宅の扉を開けると、執事らしき壮年の男性と、初老の侍女が出迎える。


「おかえりなさいませ、旦那様」


「ああ、遅くなった。……ケイ、紹介する。家令のソコルと侍女頭のレダだ」


「お初にお目にかかります、ケイ様。ソコルにございます」


「同じくレダです。以前より、ヘレナからお話は伺っておりました」


「あっ、ご丁寧にありがとうございます。ケイです。遅い時間にすみません」


 丁寧に頭を下げられて慌てて挨拶を返すが、レダの言葉にケイは首を傾げた。ヘレナ――はて、誰だったか。


「あっ……院長! カルム養老院の!」


「さようでございます。彼女も以前この屋敷に勤めていたことがあり、それ以来、長年親しくしております」


「そうなんですね。……あっ、職場での変な話とか聞いてないといいんですが」


「いいえ。ヘレナもお働きぶりを称賛しておりましたよ。ところでケイ様、ココ様のことですが」


「あ、はい。長い時間お世話になってしまって……ありがとうございます。わがまま言ったり、ご迷惑をおかけしませんでしたか?」


 ヘレナ院長と同じく柔和な笑みを浮かべた侍女頭が首を振る。この場で出迎えてくれると思っていた我が子の不在にケイが首をかしげると、レダは申し訳なさそうに付け足す。


「とても良い子にしておられましたよ。本当に可愛らしいお嬢様で、侍女一同、楽しませていただきました。ただ、お腹がすいたご様子だったので先に夕食を差し上げたら、そのあとすぐに眠ってしまわれて――」


「あ、あー……。すみません、そうなんです。食べるとすぐ寝ちゃう子で、朝まで起きないんです……。お伝えしておけば良かったですね」


「いいえ。子供の寝つきがいいのは良いことですわ。今は客間でお休みになっています。……旦那様、よろしいですよね?」


「もちろんだ。遅くなってしまったし、今から帰るのも大変だろう。ケイ、今夜は泊まっていってくれ」


「すみません……。お言葉に甘えさせてもらいます」




 レダに手伝ってもらって普段着への着替えと厚化粧からの脱皮を済ませると、ケイは邸宅の食堂へと招かれた。

 着替え中、いかにココが可愛らしく侍女たちが盛り上がったかをレダが力説してくれて、ケイは照れると共に嬉しくなってしまった。自分が褒められるのは慣れないが、我が子が褒められるのは気分がいいものだ。親馬鹿だと自覚はあるが。


 熟睡するココを確認してからいつもの薄い顔に戻ったケイに、家令のソコルが一瞬目を見開いた。……気持ちは分かる。

 上げておいて落とすようで申し訳ないが、さっぱりした気分で広いテーブルにつくと、こちらも私服に着替えたヴォルクが向かいに腰かけた。


(私服……! ヴォルクさんの私服!)


 ヴォルクはいつもの軍服を脱ぎ、シンプルなシャツ姿になっていた。さすがに元夫のように、Tシャツにパンイチとかよれよれのジャージだったりは貴族の私服としてはありえないようだ。

 それでも、いつもよりずっとラフな服装は普段見えない彼の私的な時間を垣間見るようでケイは妙にドキドキした。ちらちらと、たくましい肩とかあらわになった喉仏あたりを見てしまう。


「すっかりいつも通りだな」


「すみません、ぱっとしない顔で。でもやっと皮膚呼吸ができた気がします。塗ってる感がすごかったんで」


「なんだそれは。……先ほどの姿も美しかったが、やはりいつものその姿のほうが素朴でそなたらしくて良いな」


「えーと、それは誉め言葉と受け取っておきますね」


 苦笑して言われたので、同じく苦笑で返した。「素朴」はたぶん女性に対して使う誉め言葉ではない気がするが、下手に美辞麗句を送られても完全に役者不足なのでケイは好意的な言葉だと受け止めた。

 すぐに前菜が運ばれてきて、お腹の空いていたケイと同じく空腹だったらしいヴォルクはしばし食事に集中した。


「口に合うか?」


「はい。とっても美味しいです! こんな美味しいお肉久しぶりに食べました……。あー、幸せ~」


 職場や寮でも十分な食事は出るが、さすが侯爵邸の味は別格だった。ワイン煮にされた牛肉はジューシーかつ柔らかで、付け合わせの野菜もどれをとっても美味しい。


 思えば元の世界では、生活もかつかつでまずはココに食べさせようとそればかりを考えていた。肉も食べてはいたが、最後に良い肉を味わって食べたのはいつだっただろう。

 食い意地が張っていると思われるかも、と思いつつもパクパクと肉を口に運ぶケイをヴォルクが満足そうに見つめる。


「料理人が喜ぶ。たくさん食べなさい」


「ありがとうございます。あ、でもほどほどで。ヴォルクさんもたくさん食べますね」


「職務上、体を動かすからな。とはいえ今日はあまり動いてないから、あとで運動しないと腹に肉がつくが。四捨五入するともう40だからな」


「四捨五入しなくていいです……。ヴォルクさん、余計な肉なんて全然ついてないじゃないですか。ほんと、私こそ食べ過ぎないようにしないと」


 侯爵邸の食事は主人の職務を考えてか、意外にも高たんぱくでヘルシーだった。軽い会話を楽しみながら腹を満たし、夢の中のココには悪いがケイは久々にゆっくりと食事を味わうことができた。



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