第16話 朝食

「やだぁ~! ココ、おじちゃんのおせきがいい!」


「ココ! わがまま言わないの! あとおじちゃんじゃなくてヴォルクさん!」


 翌朝。侯爵邸の上質なベッドでぐっすり眠ったケイとココは、テラスでの朝食に招待された。


 朝から鍛錬で汗を流していたらしい軽装のヴォルクに出迎えられ、まあなんて素敵な休日の朝かしらとときめいたところまでは良かったが、そのあとが大変だった。テーブルの席の並びが気に入らず、ココが癇癪を起こしたのだ。

 ヴォルクの皿のフルーツが大きいから、というしょうもない理由で駄々をこねるココをヴォルクがなだめる。


「もう直さずとも良い。……ココ、おいで。おじさんと一緒に食べよう」


「あっ、だめですヴォルクさん。甘やかすと調子に乗るから!」


「やった! ココ、おじちゃんといっしょにたべる! ママいや! おこってばっか!」


「こらっ! そういう言い方――」


 ココはヴォルクにぴとっと張り付き、べーと舌を出した。思わず怒鳴りそうになったが、ヴォルクの手前泣かせるわけにもいかない。

 ふーとため息をついて席につくと、レダがヴォルクの隣にココの皿を移してくれた。


「すみません」


「いいえ、可愛いものですよ。それに私からもお願い申し上げます。旦那様のあんなお顔は初めて見ました」


 レダに言われて見ると、ヴォルクがココと目を合わせ、料理の説明をしてやっていた。


「ココ、お母さんを困らせてはいかんぞ」


「うんわかった! ……おじちゃん、おめめのしたおケガしてるね。どうしたの?」


「むかし、弓矢で怪我してしまったんだ」


「そうなんだぁ。いたい?」


「もう痛くないよ」


「ココもね、こないだおひざケガしたの! でもママが『いたいのいたいのとんでけ〜』してくれたからだいじょうぶ」


「そうか。ココは強いな」


 目を細め、ヴォルクがココの頭を撫でる。大きな手で撫でられたココはぱっと目を輝かせ、嬉しそうに笑った。ケイに笑うときとも周りの子供たちと笑うときとも違う、新鮮な表情だった。


(大人の男の人と関わること、滅多にないからな……。もう『パパ』に会えないのは分かってるみたいだし。……やっぱり寂しいのかな)


 ヴォルクに勝手に父親像を重ねてはいけない。そう思うが、安らいだ表情のココと優しい顔をしたヴォルクを見ると胸の奥が小さく傷んだ。

 本当は、元夫にもあんな風にココに接してもらいたかった。自分相手にひどい態度を取るのはまだ我慢ができたが、ココを見ようとしなかったのは許せなかった。それが引き金で別れを選んだが、それはつまり血の繋がりだけではあったがココから父親を奪うことでもあった。


(いや、それも覚悟で離婚したはず! 弱気になるな。しっかりしないと――)


「本当に……こんな光景が見られていたら良かったのに……」


「え?」


 気を引き締めたケイの耳を、レダのつぶやきがかすめた。思わず振り返ると、レダははっとしたように口を押さえて苦笑する。そのまま給仕に戻ったのを見て、ケイは首を傾げた。

 『見られれば』ではなく『見られていたら』と言った。過去に対する言葉だ。ケイがその意味を考えようとすると、ココの高い声が思考を遮った。


「ママー! ケチャップこぼしたー!」


「うっわ……! 借りた寝間着に!」


 ココが口元と袖に、トマトソースのようなものをべったり付けていた。ヴォルクが拭いてよいものかと戸惑っているのを見て、ケイは思わず席を立った。ココに駆け寄ると布巾で口を拭う。


「もー。だからママの隣でって言ったのに! 手を伸ばすときは気をつけなさいっていつも言ってるでしょ」


「だっておじちゃんのパンおいしそうだったから」


「人のものを取ろうとしない! おじちゃんのお皿に乗ってるのはおじちゃんのお料理でしょ! ほらおじちゃんだって困って――」


 いつもの調子でココを叱りつけ、ケイははっと我に返った。ぱっと振り仰ぐと、ヴォルクが目を見開いて固まっている。


「す、すみませ――。大変な失礼を……」


「いや……。――くっ……」


 子供ならいざ知らず、三十路の女に『おじちゃん』呼ばわりされた侯爵様が口を押さえ、こらえきれなかったように噴き出した。見ると背後のレダたち侍女も肩を震わせていて、ケイは顔が赤くなった。


「大変失礼しました……。あの、汚してしまってすみません。洗って返しますから」


「いや、構わん。子供が服を汚すのは普通のことだろう。……子供との食卓は賑やかなものだな。いつもこうなのか?」


「はい、それはもういつも。これでも普段に比べたら全然おとなしい方ですから。騒がしくてすみません」


「だから謝る必要はない。……そうか。良いものだな。賑やかな食卓というのは」


 その口調に少し寂しげな響きが滲んでいる気がしてケイが見上げると、ヴォルクはふっと笑った。改めてケイの席をココの隣にもうけさせ、ココを両隣から挟む形にするとココは満足そうに体をゆらゆらさせる。


「みんななかよし!」


「はいはい。いいから食べましょうね」


 テンションの上がっている子供を食事に集中させるのは至難の業だ。席を立とうとするのを好物をその都度目の前に出すことで引き留め、その合間に自分も食事をかき込む。できるだけ、見苦しく見えないように。

 ぎりぎりのラインでの攻防を続け、ようやく朝食も終盤に差し掛かった頃、ケイはそういえばと話を切り出した。


「昨日の、王様から頂いたこれ。私が持っていていいんでしょうか?」


「ああ……。もちろんだ。そなたが直々に受け取ったものだからな」


 ケイがヴォルクに見せたのは、昨日アステール王からもらった『一度だけ、王の時間を自由にして良い』書状だった。改めてヴォルクに確認してもらうも、すぐに返される。


「王のサイン入りだ。これがあれば、いざというときに何かの役に立つかもしれない。持っておきなさい」


「いざというときとか、この先ありますかね……? うっかり落として悪用されないか心配です」


「そなたの名も入っているから他の者には使えぬ。が、見せびらかすのはやめた方が良いな」


「恐れ多くて、とてもそんな気になりません」


 王直筆の書状だなんて、扱いに困るものを渡されてしまった。ケイが大事に懐へそれをしまうと食後のコーヒーが運ばれてきた。

 この上等なコーヒーのカスで消臭剤を作ったらいい匂いがするんじゃないだろうか。そんなことを一瞬思ってしまい、優雅な朝食に浸りきれない自分が少し悲しくなった。



 結局、その日は帰り際にレダから娘さんのお下がりだという普段使いのドレスをココに頂いたり、それにココが狂喜乱舞したり、ココが侯爵邸を離れたがらなかったりとひと悶着あったが、ケイにとってもココにとっても良い思い出となった。


「おじちゃんち、またいきたい……」


「はいはい、いつかね」


 寝る時間になっても頂いたドレスを枕元に置いて離さないココの髪を撫で、ケイは二度と来ないであろう、この二日間の夢のような出来事の思い出に浸ったのだった。



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