第2話 遭遇

 柚原蛍ゆはら けい、31歳。バツイチ子持ちのシングルマザー。

 彼女の半生は平凡そのもので、顔だけは良かったダメ男に引っかかってデキ婚からの離婚という流れを除いては「どこにでもいる人」の人生だった。


 その顔も人生を表し、ぼんやりとした一重に中肉中背。美人でもなければブスというほどでもない、それこそありふれたモブの顔だった。その薄い顔にケイは苦渋の表情を浮かべる。


「仕事……仕事ぉおおお……」


「ママ~これおいしい~」


 『異世界』とやらに飛ばされて約一日半。美魔女は約束通り、一通りの待遇は用意してくれた。

 七日間で追い出されるとはいえ、一か月分の貯えとこの世界の基礎知識のレクチャーが与えられ、少ないながらも使用人が訪れてケイとココの世話を焼いてくれた。あるじに言われているのかそれとも恐れているのか、誰もが言葉少なではあったけれど。


 謎食材で作られた謎料理を口にするのは当初は勇気がいったが、空腹に負けて食べると思った以上に口になじんで安心した。その具材をフォークにブッ刺しながら、元夫に似たぱっちり二重とふわふわカールの猫っ毛を持つココがにかっと笑う。


「ママもおいしい?」


「あ、うん……。謎肉、おいしいね~」


「ね! ココ、なぞにくしゅき!」


 ひとまずは、子供に無体をされる世界でなくて良かった。母子が引き離されることもないようで、離れ離れにならず本当に良かったと思う。


(とはいえ、先立つものがないと……。転移後のケアをしてくれるなら、就職先までフォローしてくれたっていいじゃん!)



 この世界に来て、主に使用人や館の周りの人と話をしてみて分かったことがある。


 ここがソムニウムという世界であること。自分が今いるのはオケアノスという国で、各国に一つ「星読みの館」があること。大神官は国に何人かいること。

 過去にも「恵みの者」がオケアノスに現れたことがあるが、すでに亡くなっていること。今現在も他国に生存はしているようだが、情報は入ってこないこと。


 オケアノス…というかソムニウムの文明レベルは、ケイのいた時代よりはだいぶ遅れているらしい。ネットはおろか電気もなく、かろうじて上下水道が整備されているぐらいだ。当然車もなく、館の向こうでたまに馬車や馬に乗った人が行き来しているのが見える。

 転移なんて現象は発生するくせに魔法だとか便利なものもなく、知らない国の昔の時代に来てしまったという感じで生活はただただ不便だった。


 それからケイは、こちらの言葉は話せるし理解もできるが文字は読めなかった。この国の歴史を記した書物を広げられたが、首を傾げるケイを見て使用人が肩を落としたのにはなんとなく悪いことをしてしまったような気にさせられた。

 そしてその文字が読めないハンデのせいで、ケイの仕事探しは早々に行き詰まっていた。


(なんで文字も読めるようにしてくれなかったの、神様お星様!)


 美魔女に聞いても、理由はよく分からないとのことだった。文字はいくつになっても覚えられるからこれから努力しろ、とにべもなく言われて取り付く島もなかった。

 つくづく中途半端で身勝手な神だ。厚遇しろとは言わないが、最低限生きていけるぐらいの基盤は整えておいてほしかった。


 過去の記録を聞く限り、どうあがいてもやはり帰る道はないようだ。元の世界に残してきたもののことを考えると頭が痛くなる。


(職場か保育園から警察に連絡が行って、家を開けられて『シングルマザー、3歳児と共に失踪』とか言われるんだろうな……。あー、下着干しっぱなしだし……ヨレてたからさっさと捨てれば良かった)


 げんなりした気分で昼食の皿を片付けると、下膳のため部屋を出る。

 午後はまた、ココを連れて職探しに出なければ――そんな暗い気分で部屋の前まで戻ってくると、ケイは心臓が止まりそうになった。


「えっ……」


 部屋の前に、大柄な男性がいる。歳の頃はおそらく30代後半…40歳ぐらいかもしれない。見慣れぬ人種なので分からない。

 見事な銀髪を後ろに軽くなでつけ、かっちりとした長い上着をまとった男はケイに気付くとグレーの瞳をすっとすがめる。左目の下に走る傷跡がやけに生々しく見えた。


(怖い……)


 背筋にぞくりと悪寒が走った。突然、肉食獣に遭遇してしまった草食動物の気分だ。実際、彼の容姿は狼やシベリアンハスキーを彷彿とさせた。

 自分やココに何か用だろうか? 国が管理する公的な施設の中でまさかとは思うが、不審者ではないだろうか。ケイは勇気を振り絞ると口を開く。


「あの……何かご用ですか? 大神官様なら、下の階にいるかも――」


「……っ。恵みの者、か……?」


「え……。あ、はい……」


 ケイが言葉を発し、それが通じたことに男は驚いたようだった。まじまじとケイを見下ろすと、困惑したように眉をひそめる。


「オケアノス語が話せるのか……。アデリカルナアドルカ様から何も聞いてないか?」


「アデ――あ、大神官様……。いえ、何も」


 誰それ、と言いそうになりすんでのところでこらえると、男は小さくため息をついた。ケイに向き直ると、右手の拳を胸のあたりに掲げる。


「まったく、あの方は気まぐれで困る。……失礼した。私はヴォルクと言う。突然訪ねてきてすまない」


「はぁ。……あれ、えっと――」


「あっ、将軍! 2階上がるなら言ってくださいよ~。探しちゃったじゃないすか!」


 どこかで聞いた名前のような。聞き返そうとすると、階段から若い男が上がってきた。明るい茶髪にタレ目が似合う、チャラそうな男だ。そのチャラ男が手に持った荷物にケイはあっと声を上げる。


「私のリュック……!」


「あ、この人っすね。どうもー、オレ将軍の副官のオルニスって言います」


「はぁ、どうも。……将軍?」


「ああ、申し遅れた。その、森の湖で気を失っていたそなたらを最初に発見したのが私なのだ。介抱して、ここに連れ帰らせてもらった」


「ああ……!」


 そういえば、美魔女が言っていた。わざわざ訪ねてきてくれたのか。救助されたときのことは気を失っていて覚えていないが、軍を指揮するようなちゃんとした人に拾われたのは不幸中の大ラッキーだったのではないか。


「すみません、全然覚えていなくて……。その節は、ありがとうございました」


「いや、当然のことをしたまでだ。元気になったようで良かった。一緒にいたのは娘御か?」


「はい。今お昼寝していて――。あっ、ココのリュックまで!」


「ああ、今日はこれを返そうと思ってな。濡れていたから勝手に乾かさせてもらった。壊れていないか?」


「はい。ありがとうございます。助かります……!」


 チャラ男改めオルニスに手渡されたのは、あの日二人が背負っていたリュックだった。中を見ると、ちゃんと乾かされている。

 ココのリュックには、保育園用に少し多めに着替えが3セット入っていた。自分のリュックには防水ポーチにちょっとした化粧品や、生理が近かったので替えの下着と生理用品と、それから小腹が空いたとき用のお菓子が。


(子供服、助かる~! 東松屋もアカチャンテンポもないもんね。どこで買えばいいかも分からないし。洗濯しまくれば、しばらくはこれでしのげる)


 右も左も分からない世界で、ささやかだが心の拠り所になるものが戻ってきた。下着や生理用品を見られたかもしれないことについては、ひとまず深く考えないでおくことにする。

 この世界に来て初めてかもしれない自然な笑みで礼を言うと、大柄な男――ヴォルクもまた少し驚いたような顔をしたあと、ふっと相好を崩した。灰色の瞳が細められ、少し柔和な印象になる。


(うわ、渋い。てか、よく見るとめっちゃカッコいいな……。イケオジ、って言うにはまだ若いかな?)


 今まで生で見たことがないような顔面偏差値を持つ人に見つめられ、急にドキドキしてきた。そんなケイを横から見て、オルニスがへらりと口を開く。


「いやー、あんときは気絶してて分からなかったけど、お姉さん顔薄いっすね! 歳いくつ? オレ25!」


「!」


「ばっ……、馬鹿者! 失礼なことを言うな!」


「いって……!」


「すまない、副官の管理がなっておらず本当にすまない……!」


「いえ……」


 悪気なく言われ、唖然とすると即座にオルニスへ鉄拳が下された。平謝りするヴォルクにケイは内心、泣き笑いしながら首を振る。


(薄いかー、そっかー。てかオルニスさん、わっか! 絶対私のこと年上だと思ってないな)


「本当に全然覚えてなくて、すみません。オルニスさんも助けてくれたんですね」


「いやオレは将軍に呼ばれて馬持ってきただけだから。将軍が意識のないあんたのこと湖から引き上げて、呼吸もなかったからこう、口と口で――」


「オルニス!」


「……え?」


 あっけらかんと語られる自分の救出劇に、聞き捨てならない単語が出てきた。ケイがぱっと振り返ると、ヴォルクはすっとグレーの目を逸らす。


「……人命救助の一環だ」


「あ……はい。……本当にありがとうございました……」


 まったく記憶にないが、あの唇が自分の唇に――しかも、溺れて決して綺麗な状態ではないだろう気を失った女の唇に――


(ああぁああ……! 申し訳ない!)


 神様お星様。こんなモブ顔アラサーバツイチ子持ちにドッキリイベントは望んでない。

 心の中で頭を抱えたケイの横で、もう一度オルニスに鉄拳が下された。



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