第3話 求職

「あと三日……どうすりゃいいの……」


 異世界に流されて、四日目。朝食の済んだ部屋の中で、ケイは小さなテーブルに突っ伏した。ココはケイがタオルで作ったうさぎをぬいぐるみ代わりにして、おままごともどきをしている。


「ママー。『みんなといっしょ』やってないの? ココみたいよぉ」


「ごめん、無理なんだ……。たぶんもう見られないと思う」


「えーっ。じゃあママも、うしおおにいさんみれないね! だいしゅきだったのにね」


「そうだね。いい筋肉してたのにね……残念」


 お気に入りの番組が見られなくなったココはつまらなさそうだ。

 それはそうだ。この部屋にはロクなおもちゃもないし、ココが毎日楽しく通っていた保育園にも行かせられない。


(自分もだけど、ココのこともなんとかしないと……。託児所とかあるのかな。子連れで働くわけにはいかないよね?)


 ある程度の手持ちはあるとはいえ、このままだと宿屋暮らしになってしまう。山積みの問題に頭を抱えていると、扉が控えめにノックされた。


「ケイ様。ヴォルク将軍がお見えになりましたが、お通ししてもよろしいですか?」


「へっ。……あっ、はい!」


 突然の来客の知らせにケイはぎょっと顔を上げた。ヴォルク将軍というと、あの命の恩人だ。こんな朝から何か用だろうか。

 ベッドを整えて部屋をざっと片付けると、鏡の前で髪を整える。職探しに出かけるつもりだったから、メイクしておいて良かった!


 この国には、苗字というものが存在しないらしい。将軍を名前で呼ぶなんてずいぶんフランクだなと思ったら、そのわけを使用人に教えてもらって驚いた。

 どこの誰なのか分からなくならないのかと聞いたら、誰だれの息子なになに、でだいたい通じるのだそうだ。自分の居住地を出たら〇〇村の誰それ、商売をしている人なら屋号を言えば済むらしい。明治以前の日本の庶民もきっとそんな感じだっただろうから、そんなものなのかもしれない。


(カタカナの名前は本当に覚えられないな……。……あ、大神官様の名前また忘れた)


 少なくとも、恩ある人の名前ぐらいは覚える努力をしよう。ヴォルクヴォルク、と心に唱えて扉を開くと、ちょうどヴォルクが階下から上がってきたところだった。


「おはようございます、ヴォルクさん」


「……っ。ああ、おはよう。朝にすまないな。少し邪魔しても良いか?」


「はい。散らかっていてすみませんが……どうぞ」


 今日のヴォルクは一人でやってきたようだった。大きな袋を抱えておりケイが扉を開けたまま迎えると、長身をかがめて入ってくる。

 180cmはあるだろうか。肩幅もあるため、隣を通ると少し圧を感じる。先日と同じ長い上着は、もしかしたらこちらの軍服なのかもしれない。

 どこかの民族衣装のようにひらめくダークグリーンの服は彼の立派な体格にとても良く似合っており、朝から眼福だと思った。


「すみません、小さなテーブルしかなくて。――あ、娘です。ココ、ちょっと遊んでてね」


「…………」


 ベッドの上で先ほどのうさぎと遊んでいたココが、あんぐりとヴォルクを見上げた。大柄の男性に気圧されて泣いてしまうかもしれないと焦ったが、ココはベッドの上に立ち上がるとなお高い位置にあるヴォルクの顔を見上げる。


「おっきいおじちゃん……」


「おじっ……、お兄さんでしょ!」


「いや。……はは、娘御から見たらおじちゃんで合っている。さすがにお兄さんという年齢ではないな。……ココか。少しお母さんと話をしてもいいか?」


「んー。いいけど、ココちゅまんない」


「そうか。……それじゃ、こういうのを見るのはどうかな」


 ヴォルクは抱えていた袋を探ると、絵本のようなものを取り出した。食べ物が描かれたそれは、まだ文字の読めないココが見ても興味を引かれそうな内容だ。それから彼はライオンのぬいぐるみと女の子の人形を取り出すと、ココの小さな手に持たせてやる。


「かわいい……!」


「ココに贈り物だ。それで遊んでいてもらえるか?」


「うん!」


 新しいおもちゃを与えられ、ココは上機嫌でベッドに座り込んだ。さっそくままごとを再開した娘を見てケイは頭を下げる。


「ありがとうございます。実は何もおもちゃがなくて、助かりました。それであの、何かご用ですか?」


「ああ。……というか、これが用なんだが」


「?」


 小さな椅子に窮屈そうに腰かけたヴォルクが、先ほどの袋をテーブルに置いた。それをひっくり返すと、中からたくさんのものが――積み木にパズル、塗り絵にクレヨンのようなもの、それに子供用の服や菓子……?


「えっ。えっ……!?」


「星読みの館には、最低限の備品しかないと聞いて……入り用かと思ってな。子供用のものなど用意されていないのだろう?」


「はい。えーっ……すごい、めちゃくちゃ助かります……」


 手を組んで、思わず感嘆の声を上げてしまった。どれもこれもココとの生活に必要だが、どこに売っているかも、ましてそれが存在するのかも分からない品物ばかりだった。感謝の念で見上げると、ヴォルクは少し照れたかのように眉をしかめる。


「こういうフォローも将軍のお仕事なんですか? あっ、どなたかが準備してくれて運ぶ係なんですかね」


「ふぉろー?」


「あー。えっと、事後処理? 面倒を見る…みたいな」


「いや……個人的にだ。最初に関わった以上、そなたたちが無事に生活を始められるかが気になってな……。迷惑だったらすまないが」


「そんなわけないです! すごい助かります……ありがとうございます」


 自信なさげに告げるヴォルクにケイは力いっぱい首を振った。それに安堵したように鋭い目が少し細められ、ケイの心臓が小さく跳ねた。ケイの中で、彼に対する心象がうなぎのぼりに上がっていく。


(えー。なになになに、見た目ちょっと怖かったけどめっちゃいい人!? 自発的にだなんて、ありがたすぎる……!)


 新しいおもちゃに熱中するココを見守る眼差しは、穏やかで優しい。その目尻にうっすらと皺が浮かぶのを見て、彼にも子供がいるのかもしれないと思った。

 

「あの、これはヴォルクさんが選んで下さったんですか? 役に立ちそうなものばかり――」


「いや、これはオルニスが選んでくれたのだ。ああ見えてあいつは一児の父でな。先日は失礼をしたが」


「ええっ!?」


 『チョリーッス』と謎の幻聴つきで、チャラい茶髪の副官を思い出した。軽いが、言い換えれば親しみやすいパパだと思えば妙に納得してしまう。


「そうだったんですね……。びっくり。ヴォルクさんは、お子さんは?」


「……いや、私には子供はいない」


「あ、そうなんですね。すみません、慣れないものをわざわざありがとうございます」


 ヴォルクが少し言いよどんだのにケイは気付かなかった。子供はいなくとも、きっと綺麗な奥さんはいるんだろうな、などと考えながら頂いたプレゼントを丁寧に運ぶ。

 館の使用人が気を利かせて茶を運んできてくれると、二人は小さなテーブルを挟んで向き合った。精悍な将軍を前にして使用人がちょっと色めき立っていたのは、ケイの見間違いではないだろう。


「ココはいくつになる? ケイ…殿は夫君ふくんはどうしたのだ。こちらに来る際に離れてしまったのか?」


「3歳になります。……あの、殿とかなくていいですよ。慣れなくて。私は離婚してるので、夫はいないんですよ」


 事実を正直に告げると、ヴォルクは小さく目を見開いた。遊ぶココを見てから神妙に問いかける。


「では、母一人子一人で生きてきたと? 子供を預けて働いていたのか」


「はい。私のいた世界ではそんなに珍しいことじゃないですけど、こちらだと珍しいですかね」


「まあ、あまり多くはないな。そうか……苦労してきたのだな」


 しんみりとそう言われ、ケイは肩をすくめた。苦労してないとは言えないが、浮気モラハラクズ男だった元夫と別れてからのほうが、別れる前より正直ずっと気分的には楽だった…とは今言うべきことではないだろう。


「使用人たちから少し聞いたが、職探しに難渋しているとか」


「うっ。ええ、はい……。こちらの人間じゃありませんし、文字も読めないし、何より子供連れだしでなかなか……」


「なぜだ? 恵みの者は優れた知恵や技術を持つと聞いたが」


「いやそれ誤解です。今までの人がどうだったかは分かりませんけど、私はもうほんっとーに凡人なので。突出した才能とかないですし、下手に期待されるとより難航すると言いますか……」


「そうなのか……。我々も、色眼鏡で見てしまっていたな。苦労をかける」


「いえ、ヴォルクさんのせいじゃないですし」


 美魔女からの追い出し宣言以来、まずは手近な使用人たちに館の近隣で仕事がないか聞いてみたが、結果は振るわなかった。

 文字が読めないのだから下働きでもなんでもいい。ただ、できれば子供を預けるあてがあるところ、住居が保証されているところ……と条件をつけてしまうと求人は皆無になってしまった。

 

 一応、職探しがどうにもならなかったら国の方で最低限の衣食住を保障してくれる制度もあると聞いたが、体が元気なのに最初からそれに頼るのはケイとしては受け入れがたかったし、先々のことを考えても職は手にしておきたかった。

 だが退去日も間近に迫った今、なりふり構っていられずケイは顔の前で手を合わせる。


「厚かましいお願いですが、ヴォルクさん、何かお仕事のツテはありませんか? 夜勤はちょっと難しいですけど、肉体労働でもお掃除でもなんでもやりますから」


「仕事か……。あてがまったくないわけではないが……」


「えっ」


 ダメ元で言ったところ、予想外の答えが返ってきてケイは顔を上げた。しかしヴォルクは難しい顔をして重く口を開く。


「あまり人が好む仕事ではないのだ。話すのはいいが、嫌だったら断ってくれ」


「いえ、聞きたいです。なんの仕事ですか?」


「うむ……。ケイは、男の下半身の世話はできるか?」


「……はい?」



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