第3話


         ※


 その約五分後。

 火星の重力圏からワープホールを使って、俺たちは地球近傍宙域にやって来た。月を周回する軌道に乗ったUNからは、もうじき地球が視界に入る頃だろう。


 と思った矢先のこと。ユウが音もたてずに悲鳴を上げた。しゃっくりみたいだ。

 それからロボットのようにカクカクと首を捻り、俺と目を合わせた。


「先輩、あれ……!」

「まさか、地球の外観の変化について何にも勉強してこなかった、なんてわけじゃないだろうな?」

「い、いや、それよりも、あれ……!」


 ふむ。確かに俺も初めはビビったな。

 現在のところ、俺たちは初等学校の時点で地球の歴史を学ぶ。いかにして構成され、動植物が反映し、そして――絶滅させられてきたのかを。


 初めに教わるのは、人類がまだ居住可能だった頃の地球だ。青い海、白い雲、茶褐色の砂漠、モザイク状の大都市圏。いずれも観測衛星から撮影されたもの。

 問題は、それらが全て過去の光景でしかない、ということだ。そして過去を振り返ってみたところで、地球が再び居住可能な惑星になる日はやって来ない。


 それを、これでもかと見せつけてくるのが現在の地球の様相である。

 まさか本当に、こんなショッキングピンクと薄汚い灰色から成る惑星が地球だったとは。


 もちろん、現在の地球環境というのもまた、地球人(元・地球人含む)なら幼少期に学ぶことではある。

 しかし、最初にそのけばけばしい地球の画像を見せられた場合のことを考えてほしい。

 誰だって、こんな気色悪い星が自分たちの先祖の生まれ故郷だ、などと認めたがるだろうか?


 光合成を捨て、謎の毒素を吸引して養分とする異形の植物たち。

 遺伝子が改竄され、手の施しようがなくなった動物たち。

 ほぼ止むことなく降り注ぐ、強酸性の極めて高いガスを含んだ豪雨。


「大丈夫か、ユウ軍曹?」

「は、はいっ! 私だって、地球は何度も見ています!」

「その割には、随分と驚いているじゃないか。ほら」


 尻餅をついたユウに手を差し伸べると、軽く会釈をして俺の手を取り、立ち上がった。

 その勢いで、再び窓に顔を寄せる。


「うわあ……」


 ようやく落ち着きを取り戻したのだろう。ユウは自分の襟元をぎゅっと握り締めながら、再び地球に見入っていた。


 まあ、無理もない。地球人は月、火星、及びその周辺宙域に建設されたスペースコロニーへと居住環境を移している。円柱形で、ゆっくり回転して遠心力を疑似重力とするタイプのコロニーだ。

 俺もそのうちのどこかで生を受けたわけだが、結局のところは……。


「ああっ、たく!」


 俺は軽く、爪先でUNの内壁を蹴った。

 流石にコロニー同士とは言わないが、一つのコロニーの内部抗争は日々頻発している。単なるデモから致命的な爆弾テロに至るまで、種類は様々。

 人間どこへ行っても、やることはさして変わりやしないという証明の一つだろう。

 だから、俺やハルト――俺の弟のような孤児が生まれるんだ。


「どうしたんですか、キョウ先輩? そんな深い溜息なんかついて」

「は?」

「いやいや、随分大きな溜息でしたよ? お疲れなんですか?」

「まさか。これから長期任務にあたろうってのに、今から疲れてどうするんだ」

「で、ですよね……」


 もう地球は見飽きたのか、ユウは俯いてなにやら沈思黙考している。


「飲み物買ってくる。お前は何がいい、ユウ軍曹?」

「え? あっ、すす、すみません! 私が買いに行きます! 先輩は何をご所望で?」

「微糖のコーヒー、頼めるか?」

「わっかりましたぁ!」


 そう言って、ユウは地球から発せられた絶望的な思いを断ち切るように、さっさと展望室を出ていった。


         ※


 俺たちが空き缶をリサイクルマシンに放り込み、手元に置ける銃器のメンテナンスを終えようとしていた、ちょうどその頃。


《UNに乗艦中の各兵士に告ぐ。これより、諸君には小型の大気圏突入カプセルにて、地球に降下してもらう。各員の担当場所は、既に通知した通りだ。それに従い、一班につき六名編成で、周辺地域の保安及び周辺調査の任務にあたってもらう。何らかの異議反論があれば、カプセル発進までの一時間の間に各スタッフに申し出てくれ。以上》

「へいへい、っと」


 俺はセーフティをかけた拳銃をくるくると手先で回しながら(もちろん、射線上に誰もいないのは確認済みだ)、頭の中でシミュレーションを繰り返していた。


 俺とユウが降下するのは、かつて日本と呼ばれた国の首都・東京という場所らしい。

 前世紀後半は、持ち前の工業力と観光業の促進でまあまあ上手くやっていたが、過去の栄光にしがみついたばかりに、結局没落したという。


「シケた国だな、まったく……」

「ちょっと先輩! 声が大きいです!」

「むぐ!? もがもが!」


 突然ユウに手で口を塞がれ、俺は呼吸困難に陥った。


「げほっ! バッ、馬鹿野郎! 俺を殺す気か!」

「殺されちゃいますよ! 私じゃなくて違う人に!」


 どういう意味だ、と目だけで尋ねる。するとユウはあたりを見回して、安堵の溜息をついた。


「いいですか、先輩。このUNは、東アジア担当なんです。日本にルーツを持つ兵士もたくさんいるはず……。そう易々と、他国を馬鹿にしたような発言は控えてください!」

「あ、わ、悪い……」


 思いの外、ユウが鬼気迫った様子だったので、俺は素直に従うことにする。

 って、あれ? おかしくないか?


「ユウ、ちょっと付き合え」


 俺はぽかんとしているユウの手を取って、スティーヴ大佐の執務室に向かった。


         ※


 大佐の執務室の前には、既に二、三組の班の面々が並んでいた。

 知人の顔はない。どこか別な戦場へ派遣されたか、あるいはそこでくたばったか――。まあ、どちらでも構いやしないが。


 そんなことを考えているうちに、俺は執務室のドアの前に立たされていた。

 俺よりも早く、ユウがノックをする。おいおい、そんなに強く叩くなよ。


「入ってくれ」

「しっ、失礼します! キョウ・タカキ准尉、並びにユウ・セガワ軍曹、お伺いしたいことがあって――」

「どうして君たちだけが二人編成なのか、だろう?」


 大佐はズバリ言い当てた。


「タカキ准尉、君はまだピンとこないかもしれんが……。ユウ・セガワ軍曹、情報の開示を許可する。君が必要と判断したら話したまえ。ただし、タカキ准尉以外の人間たちに対しては、最重要機密として開示を禁止する。よろしいか?」


 俺とユウはさっと敬礼して、すぐさま執務室を後にした。


         ※


 俺は沈黙を保ったまま、大気圏突入カプセルの発着場へと向かっていた。

 何度か誰か(きっとユウだろう)にシャツの袖を引かれたが、無視。


「ちょ、ちょっと、先輩? どうしたんです、さっきから黙り込んで、反応もなしで……」

「後で話す。今は黙っててくれ」

「は、はあ」

「それと、五・五六ミリはどうした?」

「えっ?」

「自動小銃だ。忘れていくわけにもいかんだろうが」

「あわわわっ! と、取ってきます~!」


 やれやれ。自分の得物なくして、どうやってクリーチャーやジャンクを倒すつもりなのか。


「すみません先輩~! 置き忘れてました~!」


 俺は肩を竦め、ポケットに手を突っ込みながら顎をしゃくった。その先には一機の大気圏突入用カプセルが――って、え?


「先輩、早く乗ってください! 私が操縦しますので!」


 勢いよく自動小銃を振り回すユウ。それも片手で、ぶんぶんと。


「おい、何やってるんだ? 危ねえだろうが!」

「へ? ああ、すみません!」


 悪びれる様子もなく、にこにこと笑みを崩さないユウ。普段だったら「何ふざけてんだこの野郎!」とでも言って引っ叩くところだ。

 が、今はそれが無駄に思える、というか、怒る気になれないというか。これではいざという時、本当に援護し合えるだろうか。


 いやそもそも。

 どうしてユウは自動小銃なんか振り回していられるんだ? それなりの重量があるはずだが。


 まあいいか。そのうちユウの方から教えてくれるかもしれないし、知るなというなら知らなくてもいいことなんだろうし。


 俺たちがボディスーツ上の宇宙服を着込み、順番を待っていると、思いの外早く順番が回ってきた。カプセルは、スペースプレーン同様に平べったく、前方がやや鋭角を描くような形状をしている。


 俺とユウは、銀色に照り輝くスーツで全身を覆いながら、ゆっくりとカプセルに乗り込んだ。ここから先は、完全にAI任せで問題ない。

 カウントダウンを省略して、俺とユウを乗せたカプセルの真下の床が展開。フックが外され、機体が真空に晒された。

 

 待ってろよ。クリーチャーもジャンクも、徹底的に殺し尽くしてやる。

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