第4話


         ※


 ああ、まったく。これはビビる。

 認めよう、少なくとも俺は怖かった。地表到達までの話。

 

 その原因は、ずばり雷だ。雷雲の中を抜けきる瞬間まで、俺は身体の震えが止まらなかった。

 これが初任務ではないと言っても、そして雷に遭遇するのが初めてではないといっても、怖いものは怖いのだ。

 なんだかこう……脳みそとか心とか、そういうものが酷く引き裂かれるような気分になってしまう。


 無事離着陸滑走路に到達した我らがカプセルは、車輪を展開して格納庫へと進み入った。


「まったく……」

「あれ? 大丈夫ですか、先輩?」

「だから先輩呼ばわりは止め……もうどうでもいいや」


 ユウめ、いくらなんでも元気すぎるだろ。カプセルが耐雷仕様だとは分かっている。だが、雷光が煌めく中でキャッキャするヤツがあるか。

 そうこうするうちに、カプセルは箱状の施設に格納された。点々と照明が灯り、真っ白な霧状のシャワーが浴びせられる。酸性雨に晒されてきた機体の外部装甲を中性にしているのだ。でなければ、とても触れられたものではない。


 そういった処理はすぐに完了し、俺は後部座席のユウに降りるよう指示を出した。

 ガシュン、といって風防が展開し、俺は浅く呼吸しながら飛び降りる。前方のエアロックに向かい、ユウが駆け込んできたのを見ながらドアを封鎖。

 軽く咳き込みながら、耐熱宇宙服を脱ぎ捨てた。すぐに四肢をぐるぐる回し、異常がないか確認する。ふむ、大丈夫だな。


「ユウ、身体は大丈夫か? 異常があったらすぐに報告しろよ」

「私は大丈夫ですよ! いったい何回の惑星降下作戦を経験してきたと思ってるんですか?」

「知るか。まずは貯蔵庫に行くぞ。食料や火器弾薬もそこにある。念のため小火器で武装を――」


 と、言い終える前に、俺は拳銃を抜いていた。反射的に構え、三連射。

 ギイッ、という声、というか音がして、何かがざわざわと蠢いた。天井に貼りついている。


「先輩!」

「目だ! 目を狙え! それから俺がヤツを引きつけるから、その間に自動小銃を取ってこい!」

「りょ、了解!」


 この期に及んで、俺は敵の正体を知った。

 ムカデだ。馬鹿でかいムカデで、体長は六、七メートルはあろうか。


「チッ!」


 暗いな。この環境でムカデが生きてきたとしたら、視覚的には俺たち人間の方が圧倒的に不利だ。

 ムカデの縄張りであろう空間はどんどん暗くなっていく。そこから突然、鋭利な牙や足先が襲い掛かってくる。


 ここを進んでいけば、貯蔵庫はすぐそこだ。ユウの自動小銃も搬送されているはず。俺は自らを囮にし、ユウが自分の得物を持って来られる方がいいと判断した。

 しかし――。


「くそっ、目を狙うのは厳しいか……!」


 ただでさえ暗いのに、ムカデの小さな目を狙撃するのは困難だ。さて、どうする?

 自問自答に陥りかけた、その時だった。


「先輩、ちょっとどいてくださ、いっ!」

「ユウ!?」


 ユウが、猛スピードで俺のそばを駆け抜けた。なんだ、あれは? 人間の足の動きじゃないぞ。

 これにはムカデも驚いたのか、不気味に艶めく装甲を光らせながら振り返った。だがその時には、ユウは既に貯蔵庫に飛び込んでいた。


 いくらなんでも速すぎる。そんなツッコミは後で喰らわせるとして、問題はどうやってここから時間を稼ぐか、だが……。


 軽くステップを繰り返し、ギリギリでムカデの素早い攻撃を回避し続ける。その間、俺は必死に、昨日渡された東京エリアの危険地帯地図を脳内に描いた。

 ここは元々、地下鉄が走っていたらしい。それが廃線になった際に、避難所として活用できるよう再設計されたんだとか。


 待てよ。暗くなっているのは、以前は地下にあったからなのか。だとしたら、ムカデに人工の光を浴びせてやればどうだ? 眩暈をもたらすくらいはできるかもしれない。

 

 俺は自分の片方の拳銃をホルスターに戻し、サイドステップでコンテナの陰に引っ込んだ。

 がぁん、と音がして、ムカデが頭突きを喰らわせたことが分かる。


 さて、ここは運次第だが……。俺は胸に手を当て、自分の脈拍を数えた。だんだん落ち着いてくる。

 しかし同時に、ムカデだってこちらの出方を迎え撃つ体勢を整えてきている。

 もしかしたら、向こうだってカウントダウンをしているかもしれない。

 それを言い切る前に、片をつける。


「……三、二、一!」


 俺は身を屈め、わざと横に転倒。そのまま転がり、ムカデの眼前に飛び出した。

 ムカデに表情があったら、驚いて目を真ん丸に見開いていたかもしれない。


「喰らえッ!」


 俺は手にしていた閃光手榴弾を勢いよく投擲。天井にぶつかった手榴弾は、勢いよく弾けてちょうどムカデの頭上に落ちた。そして、起爆。

 俺は右腕に二丁目の拳銃を握らせ、乱射しながら左腕で目を守る。そのまま再度ステップ。通路反対側のコンテナを盾にする。


「後は頼むぜ、相棒……!」


 そう呟くや否や、自動小銃の甲高い絶叫が轟いた。間に合ったか、あの馬鹿。

 俺はふっと息をついて、素早く戦況を覗き込んだ。

 きっと閃光手榴弾のことを勘案してか、ユウは防眩仕様のサングラスを装備している。やるな。


「先輩、これ!」


 勢いよく床を滑らせるようにして、ユウは何かを投げて寄越した。防眩サングラスの二つ目と、携行用対物ロケット砲だ。

 ありがとよ、相棒。俺は口の中で呟いた。もちろん、口が裂けてもユウの前では言ってやるつもりはない。


 チャリチャリチャリチャリン、と薬莢を輝かせながら、自動小銃は弾丸を吐き出し続ける。といっても、弾薬とて無限ではない。ユウがリロードする間は、俺が再び囮を演じねばならない。そろそろ頃合いだろうか。


「上等だ、バケモノが!」


 俺は右肩にロケット砲を載せ、左膝を立てて右膝を着地させる姿勢で接眼用小型サイトを顔に押し当てた。

 見づらいな。バイザーセンサーを光学から赤外線に変更。よし。

 閃光手榴弾の時と同じように、しかし胸中だけでカウントダウンを実行する。


(五、四、三、二、一!)


 バシュン、という思いの外軽い発射音。赤外線すら惑わす濛々たる白煙。尾を引いて斜め前方上部へと飛翔する小型ミサイル。そして――爆音。


「仕留めたか?」


 そう俺が口にする間に、ギュイイイッ、という歪な音がした。

 ムカデの鳴き声に違いない。初対面時と違うのは、そこに苦悶の唸りが混じっていることか。


 あともう一押し。だが、俺は躊躇した。天井崩落という事態は、なんとしてでも避けねばならないからだ。これ以上使うには、ロケット砲は威力が高すぎる。

 さて、どうする。

 さっと唇を湿らせた時、粉塵の向こうにユウの姿を見つけた。そうか、自動小銃なら……。俺はユウに「撃ち方待て」のハンドサインを送った。


 どうにか天井にしがみついているムカデ。そいつの負傷度合いを確認する。

 やっぱりそうか。ちょうど腹部中央あたりだ。


「先輩!」

「ユウ、そいつを貸してくれ!」


 俺は自動小銃を半ばぶん捕り、ムカデの腹部に狙いを定めた。


「落ちろ! 下等生物がでかい面しやがって! くたばれ畜生が!」


 こんなもの、とても対人用語ではない。そんな暴言を吐きながら、俺はフルオートで自動小銃をぶっ放した。傷口に集中砲火を浴びたムカデの後ろ半身が、続いて前半身が、斬り裂かれたように地面に落下する。透明な体液と色とりどりの臓物がそれに続く。


「ふう! 手間かけさせやがるぜ、まったく!」

「せ、先輩、随分とアグレッシヴな戦い方ですね……」

「ん? それは褒めてんのか?」


 俺は自動小銃にセーフティをかけ、弾倉を外してからゆっくりとユウに自動小銃を返した。


「え? 褒めてるかどうかなんて、受け手次第でしょ?」


 俺は何故か、口元が緩んだ。ユウも同じ状態のようだ。


「よし、今日はもういいだろう。貯蔵庫から野外炊飯用の――」

「先輩っ!」


 目を丸くしたユウ。彼女の顔から眼を離し、振り返ると、そこには巨大な顎があった。


「……え?」


 馬鹿な。ムカデは確実に仕留めたはずだ。どうして動いている? いやそもそも、どうして生きていられる?


 ああ、そうか。

 元々ムカデは二体いたのだ。互いに入れ代わり立ち代わり矢面に立ち、獲物を追い詰め、等分して食い漁る。

 まさかここでゲームオーバーとは。利口な連中だよ、本当に。


 心のどこかで覚悟はできていたのかもしれない。自分が食いちぎられる番なのだと、妙に落ち着いた感覚で理解した。


 しかし妙だな。痛くない。というより、何も感覚が変わらない。

 強いて言えば、俺を背後から回り込むようにして何かが通過したような――。


「は?」


 あまりにも奇怪な状態に、俺はぱちりと目を見開いた。

 ムカデがいる。斜め上方から勢いよく膝蹴りをかますユウと一緒に。

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