弱者共感 ~どうしてざまぁ系や追放モノが流行るのか~への応援コメント
作者から提供された接待を、無邪気に受け取れてた過去が懐かしいなー
僕も捻くれまくったので(w)、もう楽しめなくなった作品は多々あります
そんな捻くれた僕にも刺さる作品を書いてくれる作家さんを探し求めた結果、最近の読書歴がやばいものに......
もちろんドロミーズさんもその一人です!
いつも、これからも楽しみにしてます!!
p.s.
いつかでいいので、「ラブコメ」論読んでみたいです!!
小説にはたくさん種類がある中、なぜラブコメが流行っているのか、とかとか
ドロミーズさんの持論をよんだら、なぜ自分が唐突にラブコメを読むようになったのか分かりそう
作者からの返信
コメントありがとうございますー!
分かります……私も師事している先生から『読者の視点と作者の視点を持つこと』と口酸っぱく言われておりますけれども、いやそれは無理があるでしょと軽く絶望しておりまする……。
おかげ様で1週目は読者視点で、2週目から作者視点で見ないといけないという時間のロスがあって、きついっす……。
いつも御贔屓の程、誠にありがとうございますー!
これからも自分が満足できるような変態作品出すつもりですわー!
ラブコメ論!
面白そうですねぇ!!!
個人的にはラブコメは大きく分けて『ラブコメじゃないラブコメ型』と『ラブコメであるラブコメ型』に二分化されているとあやふやに考えています。
前者は言うなればサブストーリーに『ヒロインとのイチャイチャ』が挟まり、それは別軸のメインストーリーが展開されているというもの。
最近作で言うなれば『推しの子』や『FGO』に『ブルーアーカイブ』ですかね。
また2010~2020年代の人気ライトノベルにもこの傾向は多々として見られまして『緋弾のアリア』『デート・ア・ライブ』とかそういう作風ですね。
ヒロインとの触れ合いによって作中世界への没入感を増しつつ、作者が書きたい設定に読者を誘導する為にラブコメ要素を利用しているのが特徴になりますでしょうか。
もちろん、ヒロインを書きたいから作った作品も無きにしも非ず。
実際『設定や作中世界は詳しく分からないけれどもキャラクターは好き』などそう言った客層を取り込めるのが強みでもありますし、SNSなどでキャラクターのファンアートイラストが飛び交う近年に適合しているタイプでして、その性質を有している関係かソーシャルゲームでも多くみられる手法ですね。
で『ラブコメであるラブコメ型』は言ってしまえば『○○さんは○○したい』だとかそういうヤツですね。
小難しい設定を捨てる事で作中内での文字数を減らし、その減らした文字数をヒロインとのイチャイチャで補填するというフルアタック型の手法です。
小難しい設定が必要ないとの事なので、WEB小説との相性の良さが非常に宜しく、2010年代以降から数を爆発的に増やしているのが特徴でもありますね。
……とまぁ、ざっと軽く書いてみましたが他にも色々と思いついたので考えをまとめて書いて公開してみますのだわー!
弱者共感 ~どうしてざまぁ系や追放モノが流行るのか~への応援コメント
創作論を再び拝見できてうれしいですー!
そういえば今年の大河の原作「源氏物語」も弱者共感からのハーレム物と言えそうですねぇ!(こんなこと言うといろんなところから怒られそうですが……)
ところで源氏物語は源氏がいろんな女性を寝取る物語でもあるわけですが(藤壺の宮とか空蝉とか)、ドロミーズ先生のNTR論をお聞かせ願えれば恐悦至極です。
作者からの返信
コメントありがとうございますー!
源氏物語は私も好きですねぇ……!
実際、源氏物語自体は『貴種流離譚』という形を持った作風であり、弱者共感を用いたハーレムモノですし、個人の感想に他の方々が口を挟む必要性もないので、大丈夫だとは思いまするぜー。
さて、光源氏は桐壺帝の皇子として生まれながら、母である桐壺更衣の身分が低かった為に皇太子になれない存在。
また、本来五世の孫に与えられる「源」姓となり臣籍に降下されています。
名前で自分の立ち位置が周囲に『分からされてしまう』という社会的ハンデが課せられている訳ですね。
だがしかし、血筋、才覚、容貌、詩の才能など多種多様な面において輝きを放つ光源氏。
『優れている』のに『認められない存在』。
彼は生まれながらの社会からの逸れ者と言っても過言ではないのです。
だからこそ、彼は愛を求めるのでしょう。
誰かを愛し、誰かに愛されたい。
あるいは社会的ハンデを抜きで自分を見てもらいたい……だがしかし、一番にそれに囚われてしまっているのは彼自身である……そんな物語だなぁ、と考えております。女子中学生の所感ではありますが。
NTR……面白そうではありますねぇ。
個人的には寝取られには『完了型』と『進行型』の2つに分けられると考えております。
要は寝取られた後か、寝取っている最中か。
面白そうですので、NTR論について書いてみる事と致しますねー!
NTR論 ~何故に令和の時代にNTRが~への応援コメント
リクエストに応えていただきありがとうございます!
……おっしゃる内容はまさにその通りだとは思うのですが、それだけにちょっと暗くなりますね。ネット小説がミソジニー/ミサンドリーを助長させ、異性への憎悪を煽るのは、社会にとって決していいこととは言えないでしょう。文学がそれでいいのかぁ……? とは思わなくもないです。ま、「それは我々の仕事ではない!」と言われたらそれまでですが……
作者からの返信
コメント、ありがとうございますー!
まぁ、後半部分に関しては私の意見と言いますか考え方と言いますか、偏見ではあるのですよね。
これは流石にどうなんだという意見もあって当然ですんで、こういう考え方もあるんだなー、と軽く考えてくれますと幸いです。
個人的には令和のNTR作品は昔のNTR作品と違って『こっそりと楽しめられる珍味』ではなく『皆で性悪な人物を囲って否定する』という楽しみ方がある気がします。
私個人としては、ひっそりと、孤独に、部屋の片隅でエロ本を読むような背徳感に駆られ、読後に絶望感と喪失感に支配されてしまうようなNTRが大好きなので、最近のNTR作品は肌に合いませんねぇ。
『こころ』とかそういうNTRと言えればNTRという作品は滅茶苦茶に好きですけどね!
私自身、女性は嫌いではありますが、それ故に『素晴らしい女性もいるに違いない』という夢を見て逃避している点もありまして、なら自分で作ってしまおうかという情熱に駆られております。
現実逃避と言ってしまえばそれまでなのですが、だからこそ私はラブコメを綴る訳なのでしょうねぇ。
あんまり同性の嫌な部分は見たくないんですよねぇ、私。
どうせなら明るくポップな女性を見続けたいんですよね、私。