第24話 奈良時代の仏教文化です
「今回は奈良時代の文化についてパパッと語っていきますね」
「奈良の文化ねぇ。大仏しかピンとこねぇ」
「大仏以外にも沢山ありますよ。では、語ってきますね。645年の大化の改新から納豆(710年)食べたい平城京に遷都するまでの間を白鳳(はくほう)文化と呼び。天武天皇の時代に於いては大官大寺と薬師寺が造られています」
「大官うんたらと薬師地って、なんか違いでもあんのか」
「大官大寺は国家繁栄を願って造られ。薬師寺は病弱だった妻の持統天皇の快方を目的に造られました」
「神頼みってことか」
「そういうことです。で、平城京に移転すると白鳳文化は終わり。平城京では、天平(てんぴょう)文化が華開きます。……天平文化では聖武天皇と言う。受験生に山のように用語や芸術品を覚えさせる原因となった天皇がいた時代であり。正倉院(しょうそういん)と呼ばれる聖武天皇のコレクターボックスにはシルクロードを介して様々な芸術品が収められています。唐からは無論、東ローマ、ササン朝ペルシアからの工芸品まで無駄に収集されています」
「えれぇ遠い国のモノまで手に入れてたのだな。……そういや、一つ疑問に思ったんだが、なんで、天皇がここまで仏教を信仰してんだ。寺や大仏を沢山作ってるじゃねぇか」
「良いところに目を付けましたね。これには理由があるのですよ」
「理由だって?」
「奈良時代に律令国家になりましたが、導入して間もないため、律令の欠陥や修正に対応できず。神や仏を頼みにして解決しようとしました。この仏教で国を統治しようという考えを鎮護国家思想と言います。……本来なら、天皇が天災の対処や復興について指示し。地方再建や中央を立て直しますが。国家統治の経験なく。唐の律令を受け継いだため。地方に対して細やかな対処が出来ず。というより、どうやって対処したらいいか分からず。苦肉の策として、祈祷によって乗り切ろうとしました」
「……此処で、経験のなさが出てくるって訳か」
「まぁ、そんなこんなで、奈良時代では仏教が興隆し。南都六宗と呼ばれる学派が生まれ。日本に於いても仏教の解釈や研究が始まります」
「受け入れるから、取り入れるに変わったんだな」
「YES。で、そんな、華やかな仏教文化の傍らで。民衆らは天武天皇が行った数度の都移転を補うための税、そして無償労働が命じられ。与えられた口分田を捨て。戸籍のある地から他国へと逃げる浮浪(ふろう)が多発していきます。また、都を建設する無償労務から逃亡(とうぼう)し、地方豪族に庇護してもらう者たちが多発しました」
「まぁ、当然だわな」
「逃げた者の税を補うため、戸籍に登録された民衆に更に税を課します。膨大なる課税によって民衆は生活が出来なくなったため、寺院や貴族の土地を借りて耕作し。収穫物の1/5を賃祖(ちんそ)として渡していました。ですが、これだけ税を取り立てても国が回らないため。墾田永年私財の法によって、開墾した都の保有を認め。開墾地から税を徴収しようと目論見ます。開墾されたこの土地を、税の掛かる土地。輸祖田(ゆそでん)と言います」
「国も民も余裕ねぇ状態に陥ってんな」
「民が生きるか死ぬかの状況で、聖武天皇は「東大寺にでっかい大仏を造るぞ! (∩´∀`)∩」と言い始めます。民は何言ってんだこいつ? と、思いますが口にできることもなく。国が徐々に傾き始めます。……地方では、お金が回らないため。橋の修繕や道路の整備が行われることもなく。国が腐っていく中、一人の救世主が現れます」
「救世主だって?」
「行基(ぎょうき)と呼ばれる僧が、民衆を諭し。国がボイコットした治水や橋の整備を行い。地方から国を立て直そうとしたのです」
「すげぇ奴がいたんだな」
「官僚たちはその素晴らしい功績を聞き。居ても立ってもいられなくなって……」
「中央に招いて。恩賞を与えようとしたんだな」
「いいえ。国を惑わす私度僧(官の許可なく層を名乗った者)だ。捕まえろ! ってな感じで、牢獄に閉じ込めました。ちなみに、私度僧を名目で捕らえられたのは、奈良時代では行基だけですよ」
「どんだけ腐ってんだよ!」
「行基を捕らえましたが、仏教によって国を立て直すというのが噓偽りないとわかり。また、聖武天皇がその噂を聞くと「会いたい、めっちゃ会いたい。仏さまが送ってきてくれたすっごい人だよ。さっさと会わせて (´艸`*)」ってな感じで行基ラブ勢になり、行基が東大寺の大仏造りの主導者となります」
「すっげぇ俗物に見えんだけど聖武天皇」
「ものすごい俗物ですよ。俗物じゃなければ正倉院なんて造りませんからね。まぁ、そんなこんなで東大寺の大仏造りに行基が参加すると、聖武天皇の時と打って変わって。民衆たち一丸となって手を貸し始め。規格外な労働力と、膨大な鉱物が東大寺に集結します。ですが、残念なことに行基は東大寺が完成する間際にて亡くなってします」
「大仏の完成が見えなかったのか。もう少しで完成したっていうのに」
「言っておきますけど、東大寺に大仏が完成しても。本当の完成ではありませんよ」
「どういうことだってば?」
「そもそも行基が私度僧として罰せられたのも。名乗ろうと思えば誰でも名乗れたのが問題だったのです。行基しか罰せられていないことからわかるように。朝廷が認可した僧と、私度僧を見分けるのが難しく。長年放置されていたのです」
「すっげぇザルだったんだな」
「その点、中国では僧は免許制になっており。十人の師から戒律を授かった弟子だけが僧になれる仕組みになっていました。中国を参考に、日本でも免許制を導入しようとしますが。そもそも日本には戒律を受けた者がおらず。中国から戒律を受けた僧を呼ぶ必要が生じたのです」
「ほうほう」
「艱難辛苦(すっごくつらい状況)を乗り越えて、鑑真(がんじん)と呼ばれる人が弟子を連れて来日して頂き。亡き行基が建てた東大寺にて日本の僧や聖武天皇、そして妻の光明皇后(光明子)にも戒律が授けられます。そして、此処に初めて本当の意味で仏教が伝わります。……聖武天皇は、海難により数多の弟子を失い。失明しても日本に来た鑑真に礼を尽くし。鑑真の為に唐招提寺(とうしょうだいじ)を建設します。また、鑑真は死ぬまで日本におり。日本に仏教を広めるため。救われぬ者たちを救うため。死ぬ最後の時まで祈りを捧げました」
「すっげぇ僧もいたんだな」
「さて、最後に光明子が造った施薬院(せやくいん)、悲田院(ひでいん)について語って終わりましょうかね。光明子は夫の聖武天皇と同様に仏教を深く信仰しており、貧しい病人を治癒する為の施設。施薬院を造ります。この施設では治療が行われて薬が処方されていました」
「おお、いいことするじゃねぇか」
「施薬院の噂が広がると。孤児が集い始め。この孤児を託児する施設。悲田院を建設します。……まぁ、貴方の言った通り、良いことをしているのですが。夫を窘め。無駄な遷都や寺院、大仏造営を抑えた方が、生まれる孤児も貧困者も少なかったでしょうがね」
「まぁ、そうなんだが、そうなんだけど」
「そんなこんなで仏教が深く信仰され始めると。奈良時代には神と仏は同一であるという神仏習合の考えが根付きます。と言ったところで、今回は終わりにしましょうか。次回は、奈良時代の文芸や国史について語りますね。次で奈良時代は最後ですよぉ。それじゃあ、まったねぇ」
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