第23話 中央と地方の関係ですよ

「では、今回は律令体制に於ける。中央と地方の関係性を語っていきますよ。付いてきて下さいね」



「へいへい」



「日本の場合は、中国の律令体制をほぼそのまま導入したため、すっごくスムーズに地方を統治していますけど。何も分からない状態から統治しようとしたら。ちょっとした拍子で反旗が生じます」



「そんなに地方の統治って難しいのか」



「難しいですよ。王朝交代は基本、地方から生じます。中央の腐敗や異民族の侵攻によって中央が弱体化すると。地方で求心力を持つ者が立ち。その者が中心となって腐った国を打ち倒し。新たなる王朝を開きます」



「そういや、俺の世界でもそのパターンが多かったな」



「日本では国家としての成立が比較的に遅く……と言うか隣国である。中国が異次元の速度で文明を発達させていったため。統治の例として、中国を大いに参考することができました。そして、百を越える国の崩壊の上に成立した。律令体制を学び取り。その体制を日本に取り入れたのです」



「律令って、律が刑法で、令が行政法だったよな」



「テスト的な回答はそうですが。律令の本質は安定した国家運営にありますよ。官僚組織を整備し。中央が送る官吏によって、地方を完全に支配下に置くことが律令体制の目的です。仮に、中央政府が腐敗などによって弱体化しても、地方は中央が赴任した官吏が統治しているため反乱が生じにくく。仮に生じても、他の地方を統治している官吏が中央の命で動き。反乱を抑えることが可能です」



「成るほど。よっぽどのことがねぇ限り、国は崩れねぇわ」



「ちょっと余談になりますけど、中国では数多の王朝交代の末、皇帝の神話性がなくなり。徳がなくなったら打ち倒してもよいという考えになっていますが。日本では、王朝交代がなく。天皇の神話性が非常に強いです。そんな状態で、律令体制を導入した結果。天皇を打ち倒すのは天に刃を向けることである。と言う考えが、地方にまで浸透しました。……また、日本に於いては、地方で不満が溜まっても、民の矛先は地方を統治している国司(中央から送られた官僚)へと向かう為。民の憎しみが天皇と言うより、中央に向くことが殆どありませんでしたね」



「民にとっては天皇は雲の上のような存在ってことか」



「文字通り、天の皇子です。更に言うなら、地方が飢饉になると、天皇が義倉と呼ばれる飢饉に備えて蓄えている食料の解放や、祖調庸と呼ばれる税を免除して施しを与えてきました。……民からすれば、地方を統治している国司は税の取り立てを行う。鞭を振るう嫌な存在であって。反対に、天皇は税の免除や食料と言った。飴を与えてくれる神に近しい存在と認識したでしょう」



「上手くできてんな。これなら地方で反乱が起こっても、天皇を打ち倒そうという発想にならねぇわ」



「因みに、飢饉などによって天皇は義倉の開放や税の免除を命じますが、地方に赴任した国司は、中央に税を送らなくていいと、これ幸いに。税を普段通り、民からむしり取り。義倉の開放で得た食料を全て自分のものにして、生きるか死ぬかの民に高額で売り付けていました」



「国司、鬼畜じゃねぇか!」



「一部の国司の話なのですがね。まぁ、一部と言っても大半みたいでしたが。さて、話を戻しましょうか。……では、日本が律令体制を導入する前は、どのように地方を統治していたかというと。地方の有力者を国造(くにのみやつこ)にして任命して、地方の統治を委ねていました」



「初めは、地方に任せてたんだな」



「ですが、地方に全てを委ねると、新羅と結び反乱を起こした磐井の乱(8話参照)といったようなことが生じます。其れを抑えるために、律令体制が導入されました。中央から送られた貴族が国司として地方を統治するようになり。これまで統治していた国造は、郡司と呼ばれる。国司を支える役職に就きます」



「国造りの反抗とかなかったのか。中央の貴族がいきなり上司になるんだろう」



「国司は、中央からの金品や大陸の知識と言った。様々な贈り物を国造りに授け。また、郡司と呼ばれる末代まで保証した官職を授けたため。国造は中央の提案を受け入れ。郡司として国司に従います」



「揉め事なく受け入れたんだな」



「国司が赴任すると、国司が政務を行う役所、国衙が造られ。国衙が存在した地区を国府と呼ぶようになります。郡司も群家と呼ばれる役所を造りました。こうして、国司は事務、郡司は実務と言った感じで支え合って、地方運営を行い始めました」



「上手いことやってんだな」



「国司と郡司が整うと。中央と地方の情報伝達の為、都から国府に続く道を整備し。16キロごとに駅家(うまや)を造っています。駅家には馬がおかれており。役人の馬の乗り継ぎや食料の支給、宿泊が可能となっていました。また、この駅家の使用における権限を持つのが天皇となっており。……地方で反乱などの火急の際、天皇の意思を地方にまで伝えるため。天皇だけが所持を赦された。駅鈴を使者に貸し与えると。駅鈴を持った使者は、天皇の代弁者として、駅家を介して各地の国司に状況を伝え。地方の国々を纏め。反乱に対処することが可能となっています」



「ほうほう」



「天皇の駅鈴は地方を纏めるに当たって絶大なる信用と威厳があり。それ故に、奈良時代では天皇の決裁印である印璽と並ぶ権威を持っていたのです。……以前に話した、藤原仲麻呂の乱では、軍事の最高責任者であった藤原仲麻呂ですらも、駅鈴がないために、どの地方でも徴兵や軍を動かすことが出来ず。孤立無援のまま討たれています。駅鈴には、軍事を担った者ですら覆せない。絶大なる権限を持っていたのです」




「駅鈴が天皇大権って、前に言ってたが。そういう事か」



「しょうゆうことです。因みに、東北や九州南部は朝廷の支配下に入っていなかった頃は、異民族として認識しており。東北の人々を蝦夷(えみし)、九州南部の人々を隼人(はやと)と呼称してました」



「蝦夷に隼人ねぇ」



「当初は放置していましたが、7世紀半ば頃から、律令国家をより広い地域まで成立させるために東北の蝦夷を屈服させるため動きます。斉明天皇(天智天皇の母)の時代には、日本海側に渟足柵(ぬたりのさく)、磐舟柵(いわふねのさく)を構築しました。柵と書いてますけど、正確には城柵と呼ばれる防衛拠点で砦のようなものですね」



「その柵を拠点にして攻めていったってことか」



「その通りです。斉明天皇の時代、阿部比羅夫(あべのひらふ)と呼ばれる人物が将として任命され。渟足柵、磐舟柵を拠点に。蝦夷の領土を支配下に置きました。ちなみに、この人物。この活躍が認められ、中大兄皇子(天智天皇)に白村江の戦いに死んでこい(行ってこい)と言われて、前線に行かされてます」



「副音声、逆ぅ!」



「まぁ、そんなこんなで斉明天皇の時代に蝦夷の領土に踏み込み。元明天皇の時代には蝦夷の征討が更に進み。日本海側には秋田城と言う政務の場が建築され。出羽国がおかれます。また、聖武天皇の時代になると太平洋側まで勢力圏が伸び。多賀城が築かれ陸奥国が置かれます。陸奥国では抵抗が激しかった為、軍事拠点である鎮守府が設置されましたね」



「蝦夷の人々は、朝廷に対して快く思ってなさそうだな」



「思うわけないでしょう。勝手に統治者を気取って支配下に置こうとするのですから。蝦夷の人たちは自由を求めて抗い。朝廷は其れを抑え込もうと弾圧し。強引に支配下に置きます。そして、この支配は平安時代に爆発する、と言ったところで今回は終わりましょうか。次回は奈良時代の仏教文化です。それじゃあ、まったねぇ」

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