第22話 奈良時代の外交ですよ
「こんこん、こんばんわ。今回は奈良時代の外交について語っていきますよ」
「奈良時代のこの国って、何処と外交してたんだ」
「一番の大口先は唐ですね。白村江の戦い(12話参照)の後は険悪な仲になりましたが、唐が新羅との関係が悪化した結果。敵の敵は味方理論で唐との関係が修繕され。遣唐使が再開されました」
「何はともあれ。関係が改善されたんだな」
「日本の言い分的には唐の文化を学びに行く為に、遣唐使を送っているのであって。朝貢しているわけではない。と言っていますが、実質的には朝貢ですね」
「朝貢ってなんだっけ? 古墳時代に聞いたような、聞かなかったような」
「朝貢とは、贈物を持って中国の皇帝に挨拶しに行き。中国の皇帝は貰った贈り物以上の物品を返すことで大国の威厳を見せる。古来中国の外交方式です。朝貢を受けた国は中国の属国としての地位と金印を授かり、中国の庇護下に入ります。この庇護下に入ることを冊封(さくほう)と言います。……因みに古代の日本は冊封を受けていました。勿論、覚えてますね」
「……忘れたっていえばどうなる?」
「殴れば記憶が戻ると。どっか書物で読んだ気がするので、よっこいしょ」
「教卓持たないで! それ片手で持てる重さじゃないよ!」
「まぁ、冗談は置いといて。古代の日本では後漢の光武帝から漢委奴国王と刻まれた金印を授かったり。卑弥呼の時代に魏から親魏倭王の称号を貰ったりして。大国の威光を盾に、戦乱状態の日本を纏めようとしていました」
「ああ、あったなそんな話」
「日本が統一された古墳時代では、武、すなわち雄略天皇は朝鮮半島の支配権を有利にするため。中国から地位と称号を授かり。冊封を受けていました」
「覚えてる覚えてる。だから、そろそろ……教卓おろそっか」
「よいしょっと。……雄略天皇の時代までは、日本は冊封を受けてましたが、二百年を超えても大陸が統一されないことに、ヤマト政権は中国の凋落を見て取り。朝貢を打ち切った為。冊封も自然消滅します」
「要するに、武を最後に朝貢や冊封は途絶えたんだな」
「そういうことです。ですが、推古天皇の時代になると、混乱状態だった中国は隋によって統一され。日本は挨拶として久方ぶりに使者を派遣します。……そして、二度目の使者を送った際。日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致すと言った。自らを天子と称する書簡を渡し。中国から王の認定を貰う必要はないと冊封拒絶の意思を示しました」
「あの文に其処までの意味があったのか。だが、そんなこと言って、中国の皇帝は怒らねぇのか。とどのつまり、小国の臣下と見做していた奴が、王を名乗り始めたんだろう」
「無論、煬帝(隋の二代目)はブチ切れますが。朝鮮半島を支配下に置きたい思惑があったため。一先ず、日本の無礼を赦します。こうして、日本は冊封には入らないが。遣隋使と呼ばれる留学生を学ばせてもらう代わりに朝貢する、といった形式に落ち着かせます」
「朝貢するが、冊封には入らなかったんだな」
「ええ。そして、隋は知っての通り、すぐに滅び。唐に変わりますが。唐が成立当初から政権基盤が揺れ動いており。あまり敵対国家を増やしたくないため。日本に対しては隋と同じ対応を行い。遣唐使を受け入れ。冊封に入らないことを黙認しました」
「時世がかみ合ったから。すんなり独立できたってことか」
「因みに、隋、唐の都は長安(ちょうあん)と呼ばれる地でして。遣隋使、遣唐使は都のある長安まで向かいました」
「長安に、都がおかれた理由とかあんのか?」
「古来より、長安周辺は政治の中心であった為、法令が行き届きやすく。安定して税の確保が出来ました。その為、殆どの王朝は長安に都を置いています」
「俺でも長安に都を置くだろうな」
「因みに余談ですが、日本の平城京と平安京は長安の都をパクっていますよ。……アジアを代表する大都市ですので。その広大さと壮観さに遣隋使、遣唐使は目を奪われ。天皇や藤原氏に伝えると、パクろう、パクろう。と話が進み。長安をパクった都。平城京、平安京が造られました」
「二度もパクる程、すげぇ都だったんだな」
「でしょうね。それじゃあ、話を戻しますよ。……遣隋使で有名なのは小野妹子や高向玄理(たかむこうのげんり)、旻(みん)でして。遣唐使で有名なのは、犬上御田鍬(いぬがみのみたすぎ)です。犬上御田鍬は隋が滅んで置いてけぼりとなった旻を回収して日本に持ち帰った人です」
「そういやそんなこと語ってたな」
「遣唐使は白村江の戦いの後、一時中断しますが、すぐに再開し。藤原仲麻呂の乱を鎮めた。吉備真備と聖武天皇の母親である藤原宮子を看病した玄昉が遣唐使として唐の文明を学び。日本で活躍しています」
「吉備真備も遣唐使だったのか。つうことは、やっぱり優秀な奴が選ばれるんだな」
「ええ。とりわけ、遣唐使の中で優秀だったのは、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と言う人物でして。当時と言うか、今から振り返っても頭がおかしいほど難度の高い試験、科挙に外国人でありながら合格し。また、詩も優れており、中国を代表する詩人、李白や王維との親交もある人でした」
「すっげえ頭がいいのは分かった。で、ずっと唐にいたのか」
「いいえ、年を取って日本に帰国を目論みますが海で遭難します。そして、亡くなったと報告を聞いた友人の李白は慟哭の詩を残すほど悲しみました。……まぁ、亡くなったのは誤報で、生きていたのですけどね」
「生きてたのかよ!」
「漂流した先の現地民に襲われながらも、なんとか唐に戻りますが、日本に帰る気力がなくなり。そのまま唐で官僚として余生を過ごします」
「死ぬ少し前まで、故郷を慈しんだだろうな」
「まぁ、そんなこんなで唐と日本の関係は比較的良好でした。で、朝鮮半島はと言うと、新羅は唐と先に説明したとおり緊張状態に陥っており。こんな状況で日本に攻められたら厄介であるため。なりふり構う余裕もなく。日本に従属する形で関係修繕を目論みます」
「海を隔ててることが、日本に大分有利に傾いてんな」
「また、朝鮮半島北部では、高句麗が滅んだあとに渤海(ぼっかい)と呼ばれる国が、高句麗の人々や周辺民族によって建国されており。唐から冊封も受け。一大国家として花開きます」
「渤海は、唐の冊封を受け入れたか」
「ええ。新羅牽制のために大国である唐の庇護を受けました。渤海が唐の庇護下に入った為、新羅は攻めることが出来ず。硬直状態が続きます。また、渤海は日本に使節を送り。日本に従属する形式で国交を結びました。元々は、新羅を牽制するための軍事的な国交だったのですが、民間の交流が活発となり、貿易が主軸へと変容しましたね」
「まぁ、平和が一番だろう」
「ってな感じで、奈良時代の外交は唐、新羅、渤海がメインと言うお話でした。では、後は次回としましょう。次は奈良時代の中央と地方の関係についてです。それじゃあ、まったねぇえ」
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