第四章 奈良時代ですよ

第16話 奈良時代に入りますよ

「どうも、ふーぎです。今回から奈良時代に入っていきますよ。準備はOKですか?」



「へいへい」



「さて、前回、持統天皇と藤原氏が結託し。天武天皇と持統天皇の子供に皇位継承を目論みましたが。二人の子は二十代半ばで早逝した為、其の子が産んだ子供。つまり、持統天皇の孫に皇位が移るように動きました」



「となると、孫が成人するまで持統天皇が、天皇の位を維持しなきゃいけねぇのか」



「そう言うことです。因みに、此の時代の天皇になる条件として、三十歳以上が慣例となっていまして。持統天皇の孫が6歳だったので。少なくとも24年以上は天皇の座を死守する必要がありました」



「先がなげぇな」



「持統天皇も、この時代では高齢に当たるため。慣例に従う余裕なく。藤原不比等と共に無理を押し通して。孫が15歳になると天皇の位を孫に授け。孫は文武(もんむ)天皇として即位します」



「文武天皇は慣例を破って即位したんだな」



「持統天皇は文武天皇の即位を見届けると数年で崩御し。これからは文武天皇の時代がやってくる……こともなく。文武天皇も直ぐに早逝し。その結果、文武天皇の母、元明(げんめい)天皇が即位することになります」



「えっ、もう亡くなったの! 何もしてなくね?」


「いえ、色々してますよ。文武天皇がやったことで有名なのは、大宝律令の制定ですね。まぁ、実際は持統天皇が孫の功績を造るために。自分の功績を譲ったと言った方が正しいですが」



「まぁ、そうだろうな。つうか、どうして文武天皇が亡くなって母親が天皇になるんだよ。なんか前例とかあんのか?」



「前例なんてありませんよ。息子から母に天皇の座が移るとか前代未聞の話ですからね。つまり、其れぐらい切迫していたのですよ。……元明天皇は文武天皇の子。つまり、孫(聖武天皇)に天皇の位を譲ろうと考えていまして。持統天皇同様に其の座を死守しようとします。そのためには、周囲の反発や反論を、あーあ、聞こえません。って言いながら両耳を閉じる必要がありました」



「えらい反発があったんだな」



「周りの反発が余りにも五月蠅いので、新しい都を建て。其処に逃げようと話が進みます。その結果、建てたばかりの藤原京を捨てて新たな都、平城京へと移動しました。(710年)納豆美味しい平城京ですね。もぐもぐ、もっきゅん」



「どっから出したの其の納豆。っうか、食べんのはやっ!」



「平城京は唐の都である長安(ちょうあん)を模して造られていまして。条坊制(じょうぼうせい)と呼ばれる。碁盤の目のように道路が整理していました。また、城門から天皇の政務の場である大極殿(だいごくでん)へと繋がる道を朱雀大路(すざくおおじ)と呼び。横の道幅だけで73メートルもある。すっごく広い道が造られました。こんなに大きいのですよ」



「道の横幅が大きいことに、なんか意味あんのか」



「朱雀大路の大きさと長さは。国力を現しており。外交使節を迎える際に此の国の強大さを見せつけることに繋がります。また、賊軍が現れた際。天皇が直々に討伐の命を与え。軍がこの朱雀大路を通ると、なんか格好いいです」



「まぁ、格好良いだろうが、最後の理由、雑すぎんだろ!」



「因みに、この朱雀大路の東側を左京と呼び。西側を右京と呼びます。東なら右だから、右京じゃないかと思うでしょうが。天皇が住まう平城京から見て、右になるので。平城京の図をひっくり返したら。東が左京、西が右京となります」



「天皇の住まう方角から見て、左京、右京となると」


「そう言うことです。また、左京、右京には国が設置した市が造られており、市司(いちつかさ)が纏めているのですよ」


「市場を官僚が取り仕切っていたと」



「で、平城京で重要なのは銅銭を広めようとしたことですね。元明天皇の時代には和銅(純銅)が発見され。これはめでたいとなって、元号を和銅と改元されました。そして、この和銅から和同開珎(わどうかいちん)と呼ばれる銅銭が造られ。和同開珎を広めようとしたのです」



「通貨を造ったのはわかったが、そう簡単に広がるか? 俺も通貨を造ったことがあるが中々、広まらなかったぞ」



「おお、流石、経験者。詳しいですね。奈良時代も貴方の世界と同様。中々浸透しませんでした。その為、官僚、貴族には一定以上の通貨を備蓄した者には一階級昇格させると言う。蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)を711年に発布し。また、民間にも広まるように調や庸を京まで運ぶ使命を持つ運脚が、和同開珎を持っていたら。立ち寄られた諸国の国司、郡司は穀物の売買をしなければならないと定めました」



「運脚を介して、民間でも広めようとしたのか」



「まぁ、そんなこんなで律令国家体制の維持に奮闘した元明天皇ですが。孫(聖武天皇)が15歳となったため。前例に倣って、天皇の座を譲ろうとするのですが……孫(*'ω'*)/後の聖武天皇がこんな感じで。すっごく頼りなく優柔不断であったため。大丈夫かコイツ? となって、自身の体調もよろしくなく。試行錯誤の上、未婚、35歳の自分の娘、元正(げんしょう)天皇を即位させます」



「未婚、35歳の説明いる?」



「元正天皇が即位すると、天武天皇の血統を引く、長屋王(ながやおう)を優遇し。天武天皇系列の勢力を巻き返します。これによって不安定だった政権基盤は固まり始め。藤原不比等も長屋王に後事を託し。長屋王は希望ルンルンの目で政務へ励んでいくのです」



「あんたが言う。希望ルンルンって嫌な予感がすんだが」



「まず、長屋王は口分田不足を解決しようと。民に食料を与えて十日間、開墾の労役に付かせる。百万町歩の開墾計画を定めます。当時の日本の開墾された土地が80万町歩と言われていたので。とんでもない開墾目標を定めました。まぁ、余りにも非現実的すぎてスローガンだったや、理想主義の王莽(おうもう)と言われてますね」



「王莽ってだれ!」

*王莽(中国、新の皇帝。理想主義を追い求め。国を破滅に導いた天災。後に後漢を創る。ラノベ主人公、光武帝によって倒される。王猛と呼ばれる読みが一緒な五胡十六国時代の英傑もいるが、こっちは国を復興させた天才)



「上手くいかなかったので反省し。翌年に三世一身法を定め。開墾したら三代まで所有を認めると改変しました。因みに、百万町歩の開墾計画の所為で、理想主義者と言われがちですが。律令の不備や不正を正そうとも動いており。存外、優秀な人物であったと言われています。……実際、災害、飢餓に備えて各地の保存食を増やしたり。疫病が流行ったら、其の地域に治療薬や食料を配布したりして。民の為に奔走していましたから」



「周囲から浮く位、真面目だったんだな」



「さて、これ以上語ったら長くなるので、後は次回にしましょう。次回、長屋王、死す。背後に微笑む、藤原四兄弟。犯人は一体どの四兄弟だ。をお送りしますね」



「次回予告で答えでてんじゃん。犯人、藤原四兄弟じゃん!」



「まったねぇ」

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