第7話 古墳のお話ですよ

「おはこんばんわ。今回は古墳時代の花形である。古墳について語りますよぉ」



「古墳って墓だろう。それ以上に語ることがあんのか?」



「ありますよ。前期と後期で古墳の形態が違うとか。そもそも古墳って何のために造られたのか。色々と語ることが多いのです」



「古墳って、権力を示すために造られたんだろう」



「テストの解答は其れで良いと思いますけど。そんな理由で納得できます? 言っておきますけど。前回語ったように、此の時代、朝鮮半島の権益を広げるために膨大な兵を送っていました。兵を送ると言うことは、兵に食べさせる大量の食料を必要とします。……果たして、農作業を二の次にまでして古墳を造る必要は何処にあると言うのでしょうか」



「言われてみりゃあ、そうだな」



「結論を先に言いますが。前、中期に造られた大型古墳は溜め池の為に造られたと考えられています」



「溜め池だって?」



「大型古墳を見ると、鍵穴の形に注視しがちですが。……重要なの鍵穴周囲に掘られた穴。つまり濠の方が重要なのです」



「濠ねぇ。どうして、濠が重要なんだ?」



「この掘った濠に河川の水を送ることによって。河川が干からびる時期を見越して、濠に水を溜めたり。また、梅雨の時期に雨水を溜めることで。猛暑の渇水に備え。安定して稲作が造れる仕組みが可能となりました」



「なるほど、濠をそうやって使ってたのか」



「また、紀元250年から700年までは寒冷期であって。河川の冷たい水をそのまま使うと稲が痛み。育たない状況でした。その為、古墳の周囲の濠は広く、浅く、掘られており。日光によって稲作に適した温度にまで温め。温まった濠の水を農業用水として利用することで、寒冷期でありながら稲作を継続できる仕組みを作ったとされています」



「此の時代に、そこまで考えられてたのかよ」



「古墳時代と名付けられたため。古くて非合理な時代と思われがちですが。実際は古墳時代ではなく、灌漑時代です。統一王朝が出来たため、村や集落の垣根を越えて水路整備や拡張が行われ。広大な耕作が可能となりました。これによって、膨大な穀物収集が可能となり。人口が増え。朝鮮半島に支配圏を求めるまで力を付けたとされています。……まぁ、私が語ったことも一説に過ぎません。ただ、権力のためだけに古墳を造ったとなると。此の時代に、必死に生きた人々が軽んじられていると思ったので、一石投じさせて貰いました。まぁ、テストに出ないので今の内容を忘れて貰っても構わないですよ」



「まぁ、一説として頭の片隅に置いておくぜ」



「さて、前置きが長くなりましたが。そろそろテストに出る古墳について語っていきましょうか。……まず、こんな🔑鍵穴みたいな形の古墳を前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と言い。□と△が合わさった形を前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)と言います」



「前方後円墳に、前方後方墳? 覚えにくい名だな。そもそも、なんで前後が入ってんだよ」



「前方後円墳を名付けたのは、江戸時代の儒学者です。儒学者特有の、これは古代中国に由来するものである。なぜなら、うんたらかんたらであって、と、ひたすらに力説した結果。前方後円墳という名になりました。……因みに、あらゆる学者から、その説おかしくね? って否定されましたが。前方後円墳という名前だけが、何故か受け入れられました。後に、明治に来た英国人が、鍵穴式古墳の方が良いんじゃね? と言いましたが。無視されたみたいです」



「その英国人、かわいそうだな」



「無視された。この英国人ですが。実は、日本考古学の父と呼ばれる人物でありまして。数多の古墳の発掘調査を行い。その結果、時代ごとによる古墳の特色を見いだしています」


 

「古墳に時代ごとの特色があんのか?」



「ええ。調査の結果。前期の古墳では、古墳の頂上から穴を掘って遺体を埋葬していることが分かりました。埋葬された場所には石の部屋が創られており、石部屋の中に、木の棺が納められ。副葬品には銅鏡などが納められているのが分かっています」



「丁重に葬られていたって事だな」



「そして、この石の部屋を竪穴式石室と呼び。……石の部屋を造らず。棺を粘土で覆って埋める場合もあって。その場合は粘土槨(ねんどかく)と呼ばれています」



「石の部屋を造る場合と、造らねぇ場合があるんだな」



「その他にも前期古墳では、円筒埴輪と言われる物が古墳周囲に置かれています。この円筒埴輪には底がなく。地面に差すことで固定され。古墳を円筒埴輪で囲むことで古墳内を聖域として保つ役割を担っていたと考えられています」



「埴輪は、その、円筒埴輪って、やつだけがおかれてたのか?」



「いいえ。家を模した、家形埴輪や。盾や鎧と言った武具を示す、器財埴輪も並べれていましたよ」



「色んな埴輪が置かれてたんだな」



「では、次に後期古墳について語りますね。……後期になると。古墳の側面から掘り進め。石の部屋を造って埋葬する。横穴式石室と呼ばれる埋葬に変わりました。また、中期古墳の副葬品には、鉄器の武具が納められるように変わっています」



「一個わかんねぇんだが。なんで、横穴に変わったんだ?」



「竪穴式石室だと、一度埋めたら掘り起こすことのないように堅く封じられていますが。横穴式石室だと入り口を開けるだけで中に入れ。追葬できる仕組みになっています。……余談ですが、遺体が納められる部屋を玄室(げんしつ)と言って暗い部屋を意味し。玄室までの通路を羨道(せんどう)と言います。羨には。墓の地下道という意味がありますよ」



「暗い墓の道って、とこか」



「また、前期の古墳では、副葬品や埴輪まで埋葬者に司祭者的な性質が求められているのに対して。中後期の古墳では武人的な性質を求めらるように変わってきています。埴輪も武人を象った人型埴輪になってますからね」



「遺体に求められる像が変わったってことか」



「そう言うことです。さて、古墳についてのお話はこれぐらいにしておきましょうか」



「あれ、有名な古墳について語ったりしねぇのか。色んな古墳があるんだろう」



「では、少しだけ。最大の古墳は大阪、堺の大仙陵(だいせんりょう)古墳で。奈良の箸墓(はしはか)古墳もすっごくでかいですよ。後は自分で調べて下さい」



「いや、もうちょい語ってくれよ。大仙陵古墳って確か、仁徳(にんとく)天皇とかいう。名前通り、すっげぇ慈愛に満ちた天皇だったんだろう。それに、箸墓古墳は卑弥呼の墓じゃねぇかって噂も聞いているぜ」



「仕方ありませんね。では、詳しく説明しましょう。……大仙陵古墳は仁徳天皇が眠っていると言われており。そして、その大仙陵古墳の近くに、美味しい古墳カレー屋さんがあります。民家っぽいのでちょっと入りにくいのが難点ですが、結構評判が良いのですよ。大阪、堺、JR百舌鳥(もず)駅から徒歩三分です。で、奈良の箸墓古墳……の近くに三輪山本と言うお食事処があって。0.3㎜という究極の細さのそうめんが食べられます。奈良と言えば三輪素麺。是非、箸墓古墳に行く前に究極の三輪素麺を味わってください。さて、古墳の説明はこんなもんで良いですか?」



「よくないよ。全然良くないよ。古墳の説明じゃなくて、近くの食べ物屋の説明してるよね!」



「そろそろ、茹でた素麺が食べ頃だと思うのでこの辺で終わりましょうか」



「素麺ゆでてたの! 絶対に伸びきってるよ! 究極の伸びた素麺になってるよ!」



「良い突っ込みですね。其れでは、素麺を食べますので。まったねぇ」



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