第3話 弥生時代に入りますね

「日本の夜明けは、あけぽよぜよ。さて、今回は弥生時代について語っていきますよ。弥生時代の始まりは紀元前10世紀から紀元前4世紀が始まりとされています」



「弥生時代の始まり、大雑把すぎじゃね」



「次の古墳時代は始まりから終わりまであやふやですから。安心して下さい」



「安心できる要素何一つないよ」



「弥生時代の始まりを大陸の稲作や鉄器が伝わった時期と定めたため。色々と齟齬が生じているのですよね。稲作、鉄器は紀元前10世紀に九州に伝わりましたが、関東に伝わったのは紀元4世紀頃となっています。始まりを色々と悩んだ結果、折衷案としてこの二つの間に弥生時代が始まったことにしよう。と、今の教科書はなってます」



「そんな理由だったのかよ」



「弥生時代の始まりの時期はどうでも良いとして。弥生時代に於いて重要なのは稲作が始まったことですね。これにより大規模な集落が生まれ始めます」



「主食が稲になったってことだな」



「いいえ。弥生時代に入っても狩猟や採集がメインで、足りない分を稲作で補うという形でしたから。……ああ、あと稲作には湿田と乾田の二種類があります」



「文字通りに解釈するなら。湿っている田んぼと、乾いている田んぼってことか」



「ええ。湿田は湿り気のある土地で、稲作は始めやすいが、常に土が水で浸かっているため土地の栄養が回復せず。生産性が低い問題がありました。……そのデメリットを払拭したのが乾田となります。河川から水気のない土地まで水路を掘り進め。水が必要ないときには仕切り板を入れ。河川からの水をせき止めます。こうすることで、土に亀裂が入るまで田を乾かすことが可能となり。土地の栄養を高め。これまで以上の収穫が可能となったのです」



「乾田って良いことづくめじゃねぇか」



「代償として川から水路を引くという、とてつもない労力が必要としますけどね。……ああ、あと、始めの湿田の頃は種をダイレクトに蒔く。直播(じかまき)が取られてました。湿田であるため、田の栄養に偏りがあり。更に適当に蒔いていたため、稲の育ち方がバラバラで、石包丁と呼ばれる鋭利な石で、一つ一つの穂を見て。成長した穂首だけ刈り取っていました」



「一つ一つ見るって。すげぇ面倒そうだな」



「面倒ですよ。ですので、後期の乾田になると。稲を苗まで育ててから。田に植えていく。今の田植え方式に変わりました。これにより、均一した稲の生長が見込まれ。稲が生長すると、鉄鎌で一気に刈り取り。収穫がもの凄く楽に変わりました。……はぁ」



「どうしたんだよ。溜息なんてついて」



「いえ、日本史を語るはずなのに、ひたすらに農業を語っていて。なんの授業なのか分からなくなってきました。……私は、のほほんとした時代より、争いの時代が好きなのです」



「知ってたけど、好戦的すぎだろアンタ」



「まぁ、続けますね。弥生時代になると稲作の収穫量から、富める者と貧する者に分かれ。上下関係が生まれていきます。また、作物が足りなくなった場合は、隣接する村に、お願いしに行き。お願いが断られたら。武器を用いて、奪えるモノは全て奪うと言った。現在の外交でも通じる最先端の交渉を行っていました」



「それ交渉じゃないよね。侵略戦争だよね!」



「弥生時代になると集落があちこちに生まれ始め。食料や人的資源を狙って。争いに発展しやすく。集落の周囲に柵を作ったり、環濠と呼ばれる深い堀を掘って的からの侵入を阻む。環濠集落が生まれ始めます」



「争いの時代に入ったって事だな」



「環濠集落で有名なのは佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。首のない遺体とか、色んな遺体が見つかっている。テーマパークです」



「そんなテーマパーク行きたくねぇな」



「また、生活に不便な山にあえて集落を作り。高地から見渡すことで、敵の襲来を予期する。高地性集落と言うのも造られます」



「稲作に適した土地に住めれば良い、ってわけでもねぇ時代だったんだな」



「そういうことです。……さて、最後に弥生時代のお墓について語って終わりましょうか。弥生時代に入ると。鉄器の普及などによって、大きな穴を掘ることが可能になりました。その為、伸展葬とよばれる。手足を伸ばしたまま埋葬する形に変わっていきます」



「確か、縄文時代は手足を折り曲げた屈葬だったんだよな」



「そうですよ。よく覚えてましたね。また、弥生時代になると葬儀方法もバラエティー豊かになって、支石墓(しせきぼ)、甕棺墓(かめかんぼ)、木棺墓、箱式石棺墓、方形周溝墓と言った多種多様な埋葬が行われることになります。たかが、死体を埋めるだけで、こんなに用語が出てくるだなんて、嫌がらせみたいですよね」



「いや、意味があったんだろう。何か意味があるんだろう」



「まぁ、意味はありますよ。……支石墓は、埋めた遺体の四方に支えとなる巨石を置き。其れを覆いこむほどの大きさの石で蓋をする。ものっすっごい面倒くさい埋葬方式で。甕棺墓は甕と呼ばれる丸っこい壺に遺体を入れて埋葬するやり方です」



「なんで甕に入れるんだ」



「甕棺墓に入っていたのは幼児や子供が多いことから。両親が手厚く葬りたかったからだと言われています」



「いつの時代も親が子を思う心は変わらねぇって事か」



「いつの時代も、全ての親が子を思うとは限りませんけどね。……さて、木棺墓は木の棺桶に遺体を突っ込み。土に埋葬する面白みのない埋葬方式で。箱式石棺墓は木棺が石になっただけです。で、最後の方形周溝墓ですが、これは埋葬する周囲に方形の溝を掘り。埋葬地に複数の遺体をぶち込む埋葬方法です。男女比や年齢層から家族墓とも言われていますね」



「埋葬方式にも意味はあるんだな」



「余談ですが、支石墓と甕棺墓は朝鮮半島からの伝来とされており、九州で広まっています。九州以外では方形周溝墓がメジャーとされています」



「変わった葬儀方法は、九州で使われたって事だな」



「そう言うことです。さて、今回は此処までにしましょうか。稲とお墓しか語った記憶がありませんが。テストによく聞かれるから仕方ありません。まぁ、なんにせよ、次回は邪馬台国のお話に入っていきます。それでは、また。お会いしましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る