第11話 フィクションとリアルの距離間
「一会先生! 早く早く!」
「わ、分かったから、大声で先生呼びはやめてくれ」
俺と鈴原は最寄り駅で集合した後、電車に乗って栄えているショッピングモールがある駅に移動した。
学校の奴に出くわすんじゃないかとキョロキョロする俺に対して、鈴原は周囲を気にする素振りを一切に見せずに俺を呼ぶ。
そんな大声で呼ぶ必要はないだろ。
……ほら見ろ、先生なんて呼ぶから周囲の人たちがチラチラこっちを見てるじゃないか。
俺は周囲の視線に耐えながら、自動改札を先に通った鈴原との距離を詰める。
鈴原は何が楽しいのか、俺が追いつくと満面の笑みを俺に向けてくる。
やめてくれ。眼鏡で隠しきれていない可愛い顔で無垢な表情を浮かべるなよ、ドキドキするだろうが。
鈴原はそんな俺の心情など知らない様子で、口角を上げたまま歩きだす。
俺は鈴原の後ろ姿を眺めてから、少しだけ後ろを歩き出す。
「ん? 一会先生?」
「な、なんだよ、鈴原さん」
「むっ」
鈴原は後ろを歩く俺に振り向くと首を傾げる。そして、俺が『鈴原さん』というと、むくれた表情になる。
「……すずさん、なんでしょうか?」
「そうですよ、すずさんです」
鈴原は納得したように頷いたが、その首は未だに傾いたままだった。
それどころか、完全に足を止めて俺をまっすぐ見る。
「一会先生。なんで私とこんなに距離空けてるの?」
「いや、べつにそんなに距離空いてないだろ」
俺は二人の間にできた距離から目を逸らして、早口気味にそう言う。
「いやいや、三歩後ろを歩いておいて、その発言は奥ゆかし過ぎると思うけど?」
鈴原は俺との距離を冷静に分析しながら顎に手を置いて、むむっと考えこむ。
「あ、そっか。ごめん! 私がうっかりしてた!」
鈴原はそれからしばらくして、思い出したようにぽんっと手を打つ。
そして、ポケットからスマホを取り出すと、素早い仕草で画面を表示させてその画面を俺に見せる。
やばい、嫌な予感しかしない。
「『モブ彼』のデートを再現するんだもんね。このシーンはしっかりやらないとだったよ!」
鈴原が見せてきたのは『モブ彼』のデート回。
ダサい服を着て駅にやってきたヒロインの静原玲が、主人公とショッピングモール目指して歩き出すシーンだ。
まさに、今の俺たちの状況と一致するシーン。
そして、その後の二人のやり取りについては画面をスクロールすることなく、俺はしっかりと覚えていた。
「……これを実演しろと?」
俺が顔を引きつらせてそう言うと、鈴原は喜ぶようにパァッとした顔でこくんこくんと激しく頷いていた。
ただの一シーンでそんなに盛り上がるって、鈴原は俺のファンか何かなのか。
いや、そうだった。鈴原は俺の小説のファンだったんだな。
『モブ彼』のデートの再現のために、ダサい服を着て駅にやってきた鈴原の本気を見せられては、ここで俺が日和るわけにはいかない。
ちくしょう……覚悟を決めるか。
俺は溜息を漏らした後、小さく咳ばらいをしてから顔を上げる。
「『距離取り過ぎだろ。これじゃあ、会話もろくにできないぞ』」
『モブ彼』の主人公になりきって、俺はそんな言葉を口にする。
……やめてくれ、鈴原。キラキラした目で俺を見ないでくれ。恥ずかしくなるから。
俺がじっと視線を向けると、鈴原はハッとしてからオドオドした様子で視線を俺から背ける。
「『そ、そんなこと言っても、男女の距離とか分からないですよ。私にとっては、これが普通なんです』」
鈴原、もっとボリューム落してくれ。周りの人が何かしてんのかってちらちら見てるからっ。
「『やれやれ、意識しすぎなんだよ。そんなんじゃ先が思いやられるな』」
俺は周囲の人が見えないように目をつむってから、一歩二歩と鈴原との距離を詰める。
「『いいか、パーソナルスペースは大事だ。でもな、陽キャは男女問わず距離は近いんだよ』」
近づいた時に不意に鼻腔をくすぐる甘い香りに、鼓動が速まるのを感じる。
俺はその鼓動の速さを無視しながら、勢い任せに言葉を紡ぐ。
「『拳一個分くらい距離を空けておけば、問題はない。異性が相手でもそのくらい空けておけば、何も変に意識されることなんか――』」
「っ」
俺が勢いに身を任せるように目を開くと、すぐ目の前に鈴原がいた。
身長差的に鈴原は自然と俺を見上げる形になり、俺を上目遣いで見つめていた。
夏の暑さのせいか、鈴原は朱を差したように頬を微かに赤く、その熱が瞳を微かに潤ませているように見えた。
無視しようとしていた鼓動の音は、俺の意思に反して跳ね上がる。
え、いやいや、拳一個分って近すぎないか?
ていうか、まて。そんなに見つめないでくれ。目が離せなくなるから。
ブーッ。
「「っ!」」
一瞬漂いかけた青春の香り。
それは一瞬のことで、鈴原のスマホのバイブ音によって俺たちは現実に引き戻される。
「えっと、うん。隣なら一個分でも気にならない、かも、ね」
「ん? ああ、おう、あたぼうよ。ずっと隣の話をしていた」
俺は少し言葉がおかしいなと思いながら、慌てるように鈴原の隣に立つ。
えっと、拳一個分だから――いや、普通に近くね?
「『モブ彼』の再現だからね! うん、何も問題はないよ! ね?」
「……ああ、そうだな」
問題ないよな、さっき以上に顔が赤いこと以外は何も問題はない。
あと俺の心音がうるさいこと以外はな。
うん、これは問題あるわ。あとで小説の方を直しておこう。
そう思って俺がもう拳数個分距離を空けようとすると、鈴原が俺のTシャツの裾をきゅっと掴む。
「も、もう少しだけ待って。その、慣れるから」
……そういうところだぞ。
顔を背けて耳を赤くしている鈴原を見て、俺は静かに胸をきゅっとさせるのだった。
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