第6話 アントの悲劇なる変身
魔法ギルドに異彩の自称最強無敵、悪霊王が世界で初の登場を果たした。
…その、小一時間前ほどまで話は遡る。
「で? どうやって金を稼げってんだい。悪魔さんよ?」
『まあまあ、アント。もっと肩の力を抜きなよぉ~? ちょっと、
「…はぁ?」
アントは仕方なく魔法ギルドをゆるゆると目指しつつ、公衆浴場の熱と湿気で地面の端々が苔むした裏路地の角を曲がり、更に奥へと数十メートルほど進む。
すると、侵入防止も兼ねて建物を囲う灌木に好んで使われている棘の枝葉を持つ低木植物の奥幅数メートルに渡る植え込みが目端に映る。
だが、その棘だらけの茂みの中からガサガサと物音がしているという奇妙な現場に出くわした。
(何だ? 野良猫が間違って屋根から転げ落ちでもしたか?)
『シィー…静かに。よく見ててごらんよ?』
フィアに囁かれるままに、アントは息を殺して凝視する。
すると灌木の中から褌姿の変態…もとい、半裸の不審者がニョッキリと飛び出して奥の建物の壁にまるでヤモリか何かのように張り付くままに、息を荒げているではないか。
(げっ!?)
アントが内心ギョっとしたのは、その突如出現したものがとんだ変質者だったという理由だけではなかった。
その男の身体中にビッシリとある幾つもの群青色の刻印に、だ。
(ヤバイ…あの刻印があるってことは“前科持ち”だ! コの字型の刻印か…? 流石に何の罪状までかは判らないが…
『ふぅ~ん。随分と地上での刑罰も軽くなったもんなんだねぇ? あんな
(……そんなことを今言われてもなあ)
咄嗟にアントはその変質者に気付かれないよう自身も灌木の影に隠れた。
「……っ(関り合いなんぞなりたくないが、アッチも何やら夢中みたいだし。何とかこの場はやり過ご――)『キャアアアー!! 覗きよぉおおお!!』」
「何故バレたぁ!?」
(なあ゛んだァ!?)
匍匐前進を敢行しようとアントが動いたその瞬間。
――一瞬だが、アントの目が金色に輝いたかと思えば、絹を裂くような女の悲鳴がその場に響いたのである。
その声に件の変質者だけでなく、アントもまたほぼ同時に驚愕する。
何故ならば、その悲鳴は同じくこの裏路地を通りかかって居合わせてしまった運の無い女などの口からでは無く……あんぐりと開いたままになっている
そして、アントは確信に至った。
これが――悪魔と契約した“代償”であると!
その突然の悲鳴に飛び上がった半裸男は急いで植え込みの中から脱出しようとしたが、もはや手遅れである。
「曲者っ!」
「卑劣なヤツめ! オーク共の件で街の兵が多く出払ってるとこを狙ったなあ!」
「しまった!? 警備隊だっ!」
(うおおおぉ!?)
男が先程まで夢中で張り付いていた建物の屋上、二階建て以上の高さから二つの影が颯爽と飛び降りて来たから堪らない。
これ以上厄介事に巻き込まれて堪るか!
と、アントは覚悟を決めて灌木の中にガサリと転がり込む。
その場に居た他の面々には気付かれずに隠れられたのは薄幸中の幸運だった。
路地裏にスーパーヒーロー着地を決めたのは、銅の色の髪を振り乱し、照り照りのママレード色の肌を出し惜しみなく晒している巨躯の女戦士達。
ロバリバの街にてギルド他方の信頼も篤い自警団、通称“アマゾネス警備隊”の二人組である。
オークとの睨み合いで街の兵まで駆り出されている現状、警戒が手薄になったのを良いことに…そこの半裸男を例に犯罪行為が起こることを懸念して彼女らは巡回中であったのだ。
余程、日頃の行いが悪かったと見える不審者は、あっけなく彼女らに茂みから引っこ抜かれて
「うぎひぃ~ギブ!ギブ!ギブっ!」
「ん? この馬の蹄の刻印の数は! 貴様、さては“覗き百犯”のピープだな? このロバリバの恥晒しの痴漢野郎めッ」
「はん! 痴漢だと? この魔術師ピーピング・ドラゴン様ほどの紳士はこの世に二人もおらぬわぁうぐぐっ…吾輩は生粋の女体信奉者ぞ。婦女子に自ら触れたことなぞ一度もないと魔神ムスペルブルにさえ誓える! は、放せぇ! 吾輩は貴様らのようなダンジョンから発掘された粘土版のように割れた腹筋を持つような美しない者に触れられたくなぞないのだあああ!!」
「「なっ何をぉ~!?」」
流石にその変態からの暴言には黙ってられる乙女はいなかった。
「私らは正真正銘の乙女だぞぉ! コノヤロー!」
「ぐほぉえええええ!?」
「絶賛恋人募集中なんだぞぉ! クノヤロォー!」
「ぐぼへぇ!? っ…………」
大の男と変わらぬ五体に乙女の怒りを漲らせた彼女らは、続けざまに正義のバックドロップとジャーマンスープレックス(※石の床の上で)をお見舞いしてやった。
「フン! 全く失礼なヤツだ」
「それにしても、さっき聞こえた悲鳴を上げた女性はどこだろうか?」
「上から跳び降りた時には近くに誰も居なかった気がするなあ…? 覗かれていた女風呂で誰か勘の良い者が気付いて、声を上げて知らせてくれたに違いない」
「うん。そうだな…! では、さっさとこのクズを牢にブチ込みに行くか!」
ぐったりと瀕死状態になった覗き百犯だとかいう自称魔術師は、彼女らの一方が携えていたポールアックスに手足を縛り吊るされ、狩猟で討ち取った獲物のようにエッサホイサと連行されていってしまった…。
それを見届けたアントがモゾリモゾリと灌木の下から這い出てきた。
「イチチ…っ! 棘がアチコチに刺さっちまったぜ。…それにしても、間近で見たがアレがアマゾネスかあ。おっかねぇ~」
『クックック…なかなかのスリルだったろう? 楽しんで頂けたかな?』
「どこが!? …はぁ~。何だよ、俺に見せたかのってコレかあ? いや、というか焦ったわ! なんだあの声色は!? 女の声じゃないか!」
『ボクは十分君の愉快な姿を堪能できたが……って冗談だよ、怒らないでくれ? 残念ながら、1日三度の代償のタイミングは意図せず完全にランダム――…という設定になってるんだ』
「設定!? いま、おまっ設定って言ったろ!」
『まあまあ。そら。そこの先の茂みに何か“落とし物”があるみたいだよ? 何だか、興味が湧かないかぁ~い?』
「あぁ?」
揶揄う悪魔に囁かれてアントが見やると、目先の棘の枝葉の灌木に何やら引っ掛けられているようだ。
近くに寄って伺えば。
…どうやら、それはローブと杖のようである。
(……コレって、さっき捕まったあの野郎が脱いだヤツじゃないのか?)
『多分そうだろうねぇ~。それを着込んだまま、あの壁まで行くには~ちょっと邪魔だったんだろ。あの変わり者は暫く戻ってこれそうもないね? 勿体ないからアント。君が頂戴すると良い!』
「ええ!? 要らないよ!? こんな趣味の悪いローブと杖なんて」
アントが灌木から剥ぎ取って手にした、ゴテゴテと粗野な装飾のある槐色のローブといい、不気味な青緑色の杖といい。
お世辞にも魔法に精通した者から見たとて、余り趣味がよろしくないと評されそうな品物だ。
『君にはこれから必要なものさ! さあ、着て見せてごらんよ?』
耳元に纏わりつく声が余りに喧しいので、渋々アントは意図も解らずにその悪趣味なローブを羽織る。
「うあ! くせぇー…何だろ? 香か何かを染み込ませてるのか?」
『ほうほう…意外と香料のセンスは悪魔的に悪くないとボクは思うけど?』
(どこがですか?)
『恐らく、あの
(な、なるほど…)
『だが、これは寧ろボクらには好都合さ! 首尾は上々ってヤツだね』
「…? ちょ、ちょっと待て。こんな格好をさせて俺に何をさせる気だ?」
流石に不安が勝ったアントは、口を開いて囁く悪魔に尋ねた。
『言ったろう? 君に綺麗な金を稼ぐ方法を教えてあげるよって。君の恰好もなかなか魔術師
「っ!?」
悪魔メファヒードの蠱惑の囁きに、アントは今迄散々自分を笑った連中を見返す様を幻視する。
…だが、根っからの小心者はこんなチャンスが訪れた時に限ってネガティブになる。
「いや…いや、待ってくれないか。あぁ~…メファ……ヒド? さん?」
『……………。君、失礼だよ? まあ、いずれちゃんと覚えてくれればそれで良いさ。メファで良いよ。 で、どうかしたかい?』
アントは一度大きく息を吐いて吸い、また吐いて暫し間を空けて口を開く。
「自分から言うのも情けないが、俺はこのロバリバの街じゃ…魔法を使えない魔術師。とんだ落ちこぼれってことで名が知れちまってる」
『…ボクはそんな情けない君も好きだけど?』
「……うっさい。コッチは真剣なんだよ! …だから、今更、俺が…俺が魔法をどうこう言ってもギルドの皆はマトモに取り合ちゃあくれないだろう。可能性があるとすれば、この街から離れて……別の、土地でやるんなら…まだしもさ……」
『…………』
次第にアントの声が小さくなっていく。
自分で自分が情けなくて、仕方ないのだろう。
『君と新天地に向うのも悪くない。だが、それはまた近いうちで良いだろうさ! そう心配するなよアントぉ~? ボクの可愛いマイ・パートナー…君にそんな悲しい顔は似合わないぜ!』
「へっ…悪魔に励まして貰える日がこようとはなぁ」
『なにも、アント……
「………へ?」
メファは優しく、優しく幼子に言い聞かせるようにアントに囁く。
無能な魔術師アントではなく。
全く以て、“別人”として稀代の魔術師となって世にその力を示し、思うがままに富と財貨を手にさえすればそれで良いではないか…!
そう、悪魔の魅力的な言葉が嫌らしくアントの耳を舐める。
「いや、無理だ。フードを深く被って誤魔化してもバレるに決まってる…」
『フッフッフッ…ならば、今回は特別に…
アントの影から
その気色悪さに身悶えするアントであったが…――ふと、気付けば手には黒い仮面のようなものがあるではないか。
それは黒檀に僅かにスミレ色が混ざったような色合いの…虫とサルの形相を併せ持つような、これまた薄気味の悪い口元が開いた面覆いであった。
薄っすらと開いた目の部分には不可思議に鈍く輝く水晶のようなものが嵌っている。
素人目に見ても外見は兎も角、それなり…以上の値打ち品には違いない。
「お前……趣味悪いね…」
『本当に失礼な男だね君もっ!?』
悪魔のセンスを疑うアントに対してその贈った当人が影の内から憤慨する。
アントはその悪魔の怒りを鎮めるべく、適当に謝罪の言葉を述べながら仮面を自身の顔へ……近づけた途端に勝手に仮面の方から吸い付いてきたではないか。
「うお! ……って、なんじゃコリャ!? スゲエー!!」
アントの目に仮面越しで映る景色は――まるで別物であった。
何もかもがキラキラと初めて目にする色彩に輝き、幻想的な世界がそこにある。
そもそも、まるで装着した仮面そのものが透明になったかのように全く視界を遮られもしないのにも大いに驚いた。
『フフン! そのボクがイチオシのステキ悪魔アイテムはねぇ~? 色んな便利機能があるんだよ! 先ず、あらゆる魔力の可視化。それに自動鑑定機能もあるんだ! まあ、一番は君への“魔力によらない認識阻害”だね…。その仮面を着けている限り、誰が君を見ても、その声を聴いても…誰ひとりとして、君を“アントと認識できない”んだ…! 凄いだろぉ~? ボクに盛大に感謝しちゃってくれて良いんだぞ♪』
「ほ、本当かよ…! それに魔力の可視化だって? 試しに外して比べっ…てアレ? 取れっ……! …………。なあ、この仮面ってどう外せば良いんだ?」
『おっと! この大悪魔メファヒードとしたことが
「ふあっ!?」
こうして、死霊王エクスゾンビはこの世に産声を上げたのである。
ロバリバの公衆浴場(女風呂)の苔むした裏路地で……。
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