第5話 悪霊王エクスゾンビ



「良し! これにて契約成立だね! 永劫に・・・よろしく! ボクのパートナー!」

「ちょっと待て! もう、決定なのかよ!? そんなアッサリと…? な、なんかこう。俺の心臓を契約の証に抜き取ったり。変な文字の契約書を無理矢理書かされたりするんじゃ…ないの?」



 あくまでもアントが尋ねた内容は、幼少のみぎりに2年に一度、生まれ故郷の村に来た巡礼神官達の説法で擦り込まれた内容……に、多少子供への躾と色を加えたものの一例であるが。


 そうでなくとも、大半の者が目の前の悪魔と接すればその落差に眩暈を覚えたことだろう。


 呆れて口をあんぐりとやっているアントの前で、晴れて契約を結べたと喜んで地面を飛び跳ねていた悪魔幼女が、その言葉を聞いて大きく嘆息する。



「あのねぇ~…そんなことしたら、君ら人間は即死んじゃうだろ? 何? 君、心臓無くなっても死なない系の人なの?」

「いや、死ぬけど…」

「だるぉ~? それにこの契約は純粋に君とボクとの信頼第一! 君が望めば、ボクがそれを叶える! …それだけのことさ? そもそも、あの羊皮紙と羽根ペンを使う誓約術は嫌いなんだ。僕ら悪魔にすら有効・・だからね。全く…知識神のヤツも余計な入れ知恵をしてくれたもんだよ…」



 どうやら、目の前の悪魔幼女はその契約関連で嫌な思い出があるらしい。



「さて、善が急げば悪魔も急ぐ! 早速、ボクの力をお見せしようじゃないか!」

「え? え? えっ――」



 アントは唐突に自身の背丈の半分ほどしかない悪魔幼女の異様に長い両腕に捕まって抱き締められたかと思えば、次の瞬間には遥か空中へと放り投げられていた。



「幾千の時代で様々な名で呼ばれてきたけど…ボクの名は“メファヒード”。あらゆる――を司る古き悪魔さ。今後の永い永い付き合いを見越して、気軽にメファとでも呼んでくれ給えよ。ボクの愛しい契約者、アント…。クックックククッ……!」




 ****




「うわあぁあああああ!!?!」



「ママぁ~。あのお兄ちゃんあんな道の真ん中で何してるのぉ?」

「あらら……見ちゃダメよ! 近付いたら危ないから、早く家に帰るわよっ!」

「おいおい? ありゃ“アリンコのアント”じゃねえか? いつもの小銭仕事もしてねぇで何やってんだアイツ…」

「昼間っから酔っ払ってんのかね?」

「もう行くぞ。アイツだって人間なんだぜ? 何もかも嫌になる時くらいあるさ。…ほら、見なかったことにしといてやろう」

「お、おう。そうだな…」



「うわああー! うわっ! わああ! わ…あぁ~…?」



 ヒソヒソと道行く人々に遠巻きに“痛い”視線を送られる男が居た。

 公衆の目抜き通りで、無我夢中に手足をバタバタと振り回してのたうち回っていたようである。


 余程激しく暴れていた様子で、近くには彼の唯一の商売道具である背負子がグシャグシャのバラバラの残骸と化していた。



 因みに、魔法ギルドからの借り物である。



「………んっ! んんっ!」



 起き上がったアントは、何度かわざとらしく咳払いをした後、自身の一張羅の埃を両手で叩き落とすと、無残な姿になった3年の付き合いにある相棒を掻き集めて――脱兎の如く、その場から逃げ出した。



「はぁ~…厄日だ…。弁当だけじゃなく、ギルドからの借り物まで壊しちまって…弁償しないと…あ~ぁ……」



 あれだけ恥ずかしい思いをしたのだ。

 アントはもう今日は街の表をマトモに歩ける気はしないと、裏道と裏路地を伝って魔法ギルドへと向かっていた。


 勿論。ティナ嬢に男らしく土下座して、背負子の弁償を待って貰うべく。



「…んお?」



 我が身の薄幸振りに押しつぶされ、まるでゾンビのように歩いていたアントの横顔にフワリと熱気が掛かった。


 顔を上げれば壁を伝うテラコッタ製の太い管から蒸気が静かに音を立てて噴き出している。

 地下に埋設されたボイラーから浴場を経て繋がる排気管であろう。


 気付けば、アントは魔法ギルドに隣接する直営の公衆浴場の裏手近くまで辿り着いていたようだ。



「風呂か…いいな」



 アントは先ほどまで自分がモップ代わりに街の道を清めていたことを思い出した。


 …だが、自身の懐と腰をひとさすりしてから再びゾンビに戻った。



「だが、風呂に入る金なんぞねえ」

『――なるほどぉ! お金が欲しいのかい? いつの世も人の望むことなんて変わらないなぁ~。これも、知識神が通貨なんて流通させたのが悪いんだ』

「うひゃぁー!?」



 薄幸の青年が突如として囁かれた声に驚き、垂直2メートルほど飛び上がる。

 恐らく、明日は酷い筋肉痛となるだろう。



「どこだ! どこにいる!?」

『おいおい…落ち着き給えよ、マイ・パートナー? これから円滑にコミュニケーションを取り合うわけだから、今後は慣れて欲しいんだけどなぁ~。……ほら。落ち着いて……目を閉じて…息を深く吸って……』

「…………」



 何とか動揺が収まってきたアントは仕方なくその声に従うことにした。


 精神統一にも似た呼吸を経て…徐々に意識が深い闇へと沈んでいく……。



『やあ!』

「うわあ!?」



 目の前にあの悪魔幼女が闇から飛び出してきたものだから、堪らずアントは目を見開き現実世界へと戻ってきてしまった。



「はぁ…はぁ…」

『ごめんごめん。ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったね? ボクは君の闇の領域…影の中に居るんだよ』

「影の…中だって?」



 アントは恐る恐る、地面を隔てて向かい合う真っ黒い双子を凝視する。



『まあ、ボクはプライバシーは尊重する方だから安心してよ? それと、悪魔はこうやって脳だけで会話ができるんだ! 言葉だけじゃなく視覚情報だって共有できるんだよ。便利だろう?』

(……の、脳味噌だってぇ?)

『お。その調子、その調子! ボクとしても君にはなるだけ幸福・・になって貰いたいからねぇ~。こうやって時折、助言をしようと思ったわけさ! いやぁ~こんな尽くす悪魔、他にそうはいやしないよぉ~?』

(……助言?)



 アントは汗を掻きながら口をモゴモゴさせて必死の形相である。

 この現状を何とか打破せねば、一般人には見えない存在(悪魔)と会話する本当にアブナイ男だと周知されてしまう。


 そうなれば、流石にあの慈悲深いティナ嬢といえどもアントを見放すかもしれないのである。

 いや、それが普通の対応だろう。



『アント! 君はどうやらちょっぴりだけ…懐が寂しい・・・ようだね? そいつは良くないな! うん!実に良くないよ!』

(……ウザイ奴だなあ)

『そこで! ボクの出番というわけだ。…君の切実なその願い・・……叶えてあげよう』

「え? 金を出してくれるの?」



 まさかの悪魔からの提案に素で口に出してしまう万年金欠魔術師のアントだった。


 思わず、自らの両の掌の上にキンキンギラギラの金銀財宝が湧いて零れ落ちる光景を思い浮かべてしまった。



「あ~あ~…君も愛い奴だねぇ~? ボクの魔法を以ってすれば、それも可だけど。突然無から湧きだした出所不明の財貨は思ったよりも面倒なことになるよぉ~? 小心者の君が、将来的に罪なき民衆や、延いては国の財政を混乱させちゃっても…いいのかなぁ~?」

「うっ…」



 そもそも大金を手にしたことなどないアントには良く判らない話ではあるが、何となく面倒臭いことは察した。



『ボクが君に真っ当に綺麗な・・・金を稼ぐ方法を教えようじゃないか!』

(……やっぱり、悪魔に騙されて破滅していく未来しか見えない気がする)




 ****




 所変わって、昼を過ぎた頃の魔法ギルドにて。

 朝ほどの喧騒は最早無い。

 早朝に張り出された依頼書の目ぼしいものは既に剥ぎ取られ、他のギルドの繁忙時刻もまた同じく八割方は夜明けから昼までなのだ。


 寧ろ、いつも以上にギルド内は閑散としていたのだが…その理由は別にある。



「ふーむ。ギルドから魔術師を調達できなかったか…」

「申し訳ありません、隊長」



 先程、悪足掻きとばかりにとある女魔術師に声を掛けたが故に、その実兄であるカエルに杖で殴られ気絶していた迂闊な傭兵が、頭にできたタンコブをさすりながら様子見に来た傭兵隊長と他の団員達に頭をペコペコと下げていた。



「隊長。こうなったら、魔術師よりも戦士を募った方が良いのでは? 少しでもコチラの数を多く見せた方が…」

「いいや。あの数相手では、ロバリバ市民に鎧兜を付けさせ立たせても足らんよ。…それに、耳聡いベテランほどさっさとこの街から離れてやがる。俺だってあの“六本指”の女男爵様から前金を受け取ってなきゃサッサとオサラバしてたさ?」

「「…………」」



 ロバリバ内外の情報がいち早く集められるギルドでは、この街に迫りつつある件のオークの混合軍との“開戦の可能性あり”という凶報に緊張感が徐々に高まっていた。


 他国から移動してきた烏合の衆が、攻め込んでくる……という事は安易にロバリバ側の“戦況不利”を物語っているに等しかったからである。


 非戦闘員のギルド職員の大半が既に帰されていた。


 未だ職務でギルドに残っている看板受付嬢、ティナ=ティナ・グールイーター女史もまた窓から望む変わらずどんよりと曇った空を眺めながら、今も各地を巡って兵を集めに奔走する従姉イトコと……あの頼りなくも、密かに同情から始まった想いを抱いてしまったている青年魔術師の姿を思い浮かべては、無事を祈る。



「コング殿の助力を得られれば良かったのだが。仕方あるまい。一度陣地までもど――」

 


 苦渋の表情の傭兵隊長がそう顔を上げたその時。

 突如として閉め切られていたギルドの正門が勢いよく開け放たれたのである。


 何事か?とその場に居合わせた者達がそちらに目をやれば、そこにはひとりの男が仁王立ちしているではないか。


 ……しかし、何とも珍妙な恰好だった。


 獣の骨や羽根をあしらった、一般的には趣味がよろしいとは言えないえんじ色のローブに身を包み、深くローブを被っている。


 手にはこれまた薄気味歩い、小動物の頭蓋を先端にあしらった青緑色の杖を持ち。


 ……顔は虫ともサルとも判別つかない異形の面覆いで口から上の素顔を隠していたのである。



「何者だ、アイツは?」

「ま、魔術師だろうか…それにしても不気味だな…」



 ザワザワと傭兵やギルドの面々が騒ぐ最中、その異相の魔術師らしき男は何ら臆することなく数歩…ギルドの中へと進み出た。



「我こそは、古今無双! 最強無敵の魔法使い! ――…悪霊王、エクスゾンビである!!」



「「…………」」



 突如現れた、最強無敵の悪霊王に皆が言葉を失い凍り付いたのは…言うまでもない。

 


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