第3話 小心者は悪魔と出逢う



「はぁ~…」



 相変わらずどんよりとした鉛が張ってあるかのような曇天の空の下、ロバリバの目抜き通りをギルドから引き返して歩くアントの姿があった。


 その手には大振りのバスケットがあった。



「ああ…爺さんに怒られる。女将さんにも…」



 そのバスケットにはとあるロバリバの職人である老ドワーフの弁当が入っていた。

 ただし、先ほど巨人に放り投げられた際に悲劇が起こり…今や見る影もない。


 アントの言う人物は同じ下宿仲間で、朴訥でやや偏屈な職人気質の頑固老人ではあるものの根は優しい。

 が、怒ると熱して赤くなった鉄のようになる人物でもあった。

 そして、普段アントが世話になっている宿屋の女将も…以下同文。


 今朝、宿を出る間際で女将からドワーフの弁当を託されていたアント。


 残念だが、その重要ミッションは失敗した。

 今晩は飯抜きにされると子供のようにしょげるアントは、こうしてトボトボとあてもなく街を彷徨っていたのであった。



「爺さんに代わりの飯を用意するにしても、大飯ぐらいのドワーフに足りるだけの金なんて持ってないしなあ。どうやって詫びたもんか……んん?」



 アントが腕を組んでうんうんと唸っていると、視線の先に何やら気になるものを見つけた。



 いや、見つけてしまった・・・・・・・・

 


 人々が行き来する目抜き通りの十字路のド真ん中に何やらボロ雑巾のようなものがモゾモゾと動いている。



「何だアレ? ……人、か? それも子供かな」



 どうやら、襤褸切れに包まった乞食らしかった。

 通り過ぎていく者達に時折助けを求めて縋りつこうとするも、蹴られ、叩き落とされ逃げられる。



「薄気味悪いヤツだな…失せろ!」

「近づくんじゃねえ! それ以上近付くと叩き斬っぞお!?」

「ひぃ! コッチにこないでくれぇ~!!」


「……何か変だな?」



 何処にでも貧しい者は居るもので、孤児や物乞いなどは別段珍しい存在ではない。

 それを哀れむどころか、汚わらしいと嫌悪する者だって当然いるだろう。


 だが、それにしてはその光景はアントにとって奇妙に思えた。


 単に無視を決め込むか、邪魔なら街の衛兵を呼んで要塞から摘まみ出せば良いのだ。

 

 だのに、誰しもがそれ・・を見て異常なほど…“怯えて”いる様にアントには見えた。


 それから幾ばくか、その光景から目を離せないでいたアントとその乞食らしき者との視線が――合ってしまう。


 薄汚れていたものの、黒ずんだ襤褸の隙間から覗くのは目の覚めるような銀髪と恐ろしいほどに赤く鈍い水銀の瞳。



 美しいアルビノの幼い少女の姿だった。



 思わずアントがそのどこか現実感のない容姿に息を飲む。



 …ニチャア。



「っ!?」



 アントと視線を交わした幼女の口端が喜色に歪み、赤い水銀の瞳がドロリと溶け出す。


 何とか視線を逸らせようとした時にはまるで油虫の如き勢いで足元まで迫ってきていたものだから、堪らずアントは本日二度目の情けない悲鳴を上げてしまうのであった。




 ****



「それで勘弁してくれよ? 俺だって正直、明日の暮らしもわからない……って聞いちゃいないか」



 そう独り言ちる青年の側で一心不乱に銀髪の幼女らしきクリーチャーがバスケットの中身を貪り喰らっていた。



 なんとか薄暗い路地裏にまで逃げ込んだアント。


 が、結局は幼女に捕まってしまい…こうして元はドワーフの弁当であったものを奪われてしまった。


 小心者である彼は、腹を空かせて死にそうな子供を見て見ぬ振りが出来る程に冷徹でも強いメンタルを持つ人間でもなかった。


 それに、預かった弁当を腹を空かせた乞食に奪われたと言い訳もできる。

 視点を多少変えれば、必ずしも嘘ではない。


 と、現実の問題から目を逸らしていた虚しい男がそこに居た。



 ……相変わらず逸らした目線の先にある空は曇っている。



「しっかし、どうしたものか…オークの騒ぎで今日は仕事を貰えないかもだし。下手したら明日以降も……ってもう喰い終わったのかよ?」



 大きなバスケットの中身をペロリと平らげた幼女が銀髪と顔中に食べカスをつけてアントの前に立っている。



「汚ねえな。折角の別嬪が台無しだろ」



 アントは甲斐甲斐しく幼女の面倒を見てやった。その最中、幼女はただ黙ってニコニコとアントの顔を見ていた。


 こうして見てる分には将来傾国の美女になること間違いなしの美少女でしかない。



「しっかし、どうして皆してあんな態度だったんだ? よっぽど何かしたの、お前」

「うむ。捧げ物は確かに受け取ったよ!」

「さ、捧げ物? てか、普通に喋れるの…か…よ……っ」



 ここに来て初めて幼女が口を開いた。

 不思議な声色だった。

 中性的な未熟な幼子のようでもあり、鈴を転がすような若い女の声でもあり、何十何百年と生きた老婆のような声が、まるで空気にすら遮られなかったかのようにアントの頭へと響く。



「…ううっ!(な、なんだこりゃ? 魔法? もしかして、人間じゃなくて亜人の子供か…?)」

「おっと、済まないね? こうして物質界で言葉を紡ぐのは久方振りなものだったから。改めて、君に礼がしたい・・・・・

「…礼?」



 アントは自身のこめかみを揉みながら幼女を見返す。

 先程道端で見た姿とはもはや別物に見えた。



「礼なんて言われてもなあ。そもそも物乞いに払える対価なんて無いだろう? …まあ、俺もそんな声を大にして言える立場じゃあねぇが。…あ! そうだ。それなら俺と一緒に今からドワーフの工房と俺が下宿してる宿屋に行ってさあ、一緒に謝ってくんない? 爺さんもガキには甘いだろうし、女将さんも懐の深い人だから今晩くらい泊めて――」



 気付くと、アントは見知らぬ場所に居た。


 自身が立っている大地が360度どこまでも続いて天と繋がっていて空が無かった。

 言わば巨大な球体の中に居るのだろう。


 だが、この男がそんな風に冷静でいられる訳も無し。

 小心者だから。



「な、ななな…っ」



 歯をガチガチと鳴らし、軽く嗚咽を漏らしながらも正気を保とうとするアントは突如として途方も無く巨大な影に覆われる。


 大地の半分を覆うほどの影を目で追っていけば、それは巨大な異形の怪物の輪郭であった。

 


 アントは一瞬、余りの恐怖に気を失いそうになる。



 ……だが。

 …だが、不思議なことに……その恐怖が次第に和らいでいくことに気付く。


 声だ。

 声が聞こえる。


 ごく最近聞いた覚えがある。

 どんどんと声が近付いてくる。


 まるで理解が追い付かないが、アントは黙って声の発声源の到着を待つことにした。


 まるでこの広大な球体内では世の理を無視しているようで、その声が近付き、影の根本・・の姿を視界に捉えるほどに、恐ろし気な影は氷が急速に溶けていくように小さくなっていくのである。



「あー良かった、良かった! 逃げずにちゃんと待っててくれたんだね? やはり、ボクの眼に狂いはなかったようだね。やっぱりボク、君をとっても気に入っちゃったよぉ~」

「……何者なんだ?」



 今度こそ目の前に立った者は先ほどの幼女とは別の異形そのものであった。


 その美しい顔と銀髪とあの赤い水銀の瞳はそのままだったが…。


 額からは数対の捻じれた獣の角。


 下半身は黄金の羊毛で覆われ、棘の尾をくねらせ。


 背中からはコウモリにも似た禍々しい黒い被膜の両翼。


 獣の両腕は自らを三度は抱き締めれそうなほど異様に長く。


 小さな口には不釣り合いな鋭い二本の牙が覗く。

 

 そして幼い幼女が決して持ちえない妖艶な笑みがあった。

 


「ん? このボクの姿を見てもピンとこない? あちゃ~…最近の地上の者は信仰をかなり疎かにしてる証拠だなぁ。うん、まぁそこは仕方ないか。……ボクはねぇ、“悪魔”だよっ!!」

「………は? あ、あくまぁ!?」



 その言葉にアントが後退る……が、まるで先を読んでいたかのよう自称悪魔の幼女が顔が触れそうなほど一瞬で肉薄していた。



「ねぇ、君? ボクと契約して“悪魔法使い”になってよ!」



 幼女の赤い水銀の瞳が淫靡な笑みと共にドロリとまた溶けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る