第2話 魔法ギルドと巨人とカエルと


 素晴らしい1日が始まったばかりだというのに、既に疲れた顔をした若者がこのロバリバの街で最も人でごった返している建物の中へとコソコソと隠れるようにして入っていく。


 ロバリバのギルド。

 正確にはロバリバの魔法ギルドと冒険者ギルドと商人ギルドが一緒くたになった場所である。

 普通の主だった各要塞では、そんな混沌たる様は稀有な方で、それぞれの部門の細やかな衝突や陰口や罵り合いなどの諸問題を避けるべく独立して存在しているのだが……何事も例外はあるものだ。


 特にこの森と険しい山野と崖に囲まれた小さな辺境の街なら、尚更。


 人口数百人程度の小さな要塞の中で、実にその半数近くがこのギルド関係者である。

 いや、これまた正確に言えば、荒っぽい・・・・事が得意な冒険者達や低位の魔術師がほぼ占める。

 ギルド職員もまたピンキリだが、それでもカウンターでニコニコと作り笑いに勤める若い受付嬢の方が、ギルドを溜り場にする無頼漢よりも高給取りには違いなかった。


 つまり、ロバリバのギルドは高尚な魔法の取り扱いや、ロバリバ近辺の商会大店の在所でありながらガラが悪かった。


 故に、既に1日で使える魔力を消費してしまっている魔法使いの一抹であるこの青年魔術師アントは、それらの輩の視界になるべく入り込まないよう、頭を低くして虫のように這ってカウンターへと向かうのである。



「あら? アント君。おはようございます」

「お、おはよう…ティナ=ティナさん」

「だからティナだけで良いって言ってるんですけど…。もう、三年もこうして顔を合せているんですよ?」

「いやぁ…無理でしょ」



 アントが決まって向かうカウンターの受付嬢が背負子と床の間に隠れながら這って来た情けない男を見つけて、その整った様相を崩して破顔する。



「百姓のせがれ風情が、畏れ多くも提督様からこの地方を任される男爵家所縁の御嬢様を呼び捨てになんてできっこないッス」

「む~。また、そんな捻たこと言って。私は単なる現当主の従姉弟ってだけなんですよ?」



 このギルドでアントと親し気に接してくれる数少ない存在である彼女の名はティナ。

 正しくは、ティナ=ティナ・グールイーター。

 このロバリバとその周辺を領地とするグールイーター男爵家の親類の少女であった。


 そして、アントが初めてギルドを訪れ、魔法適性の調べに立ち会った一人でもある。

 魔法ギルドの職員たる彼女もまた魔術師…つまり、歴とした魔法使いである。

 

 一応、魔法ギルドに籍を置くアントを世話してくれる、まさにアントにとっての生命線であり恩人。

 そんな彼女を呼び捨てになどアントには無理な話であるし、そもそも、下位貴族といえど、その縁者であり、尚且つ未婚である彼女を根っからの小心者であるこの男が愛称で呼ぶなぞ竜に挑むほどの勇気が必要だ。



「すみません。今日のお仕事なんですが…昼まで待って頂けませんか?」

「うん?」

「実はスクロールの搬入が遅れているんです。何でも街道の一部が封鎖されたとかで…その……」

「ああ。俺もその話は流石に聞いてますよ。オークでしょ?」

「はい、そうなんです」



 ティナの表情が翳る。

 その理由はオーク…正確には現在ロバリバの街近くまで来ている他国の混合軍だ。

 軍というよりはゴロツキ達の集団のようなもので、戦争で食っている連中だった。

 

 他国との国境が近しいこの辺境では時折このような、敢えて・・・戦を誘うかのような挑発行為を行う者達が出没するのである。

 上手く戦に持ち込めば、要塞の糧や女を奪えるだけでなく…どこかの国への士官も叶うやもしれない。

 他種族の排斥が強い国でなければ、仮に自国を攻めてきた輩でも場合によっては抱き込むことは別段珍しくはないことだった。



「にしても、オークって亜人? それとも獣人の方?」

「あーと…獣人種の方らしいですよ」

「なら食い物と金が目的か」



 アントが顎に手をやって唸る。

 この世界でオークと呼ばれるものには2種類いて、緑色の肌と巨体を持つ亜人種と二本足で立つ猪のような獰猛な姿の獣人種が広く知られている。

 どちらも鼻息の荒い戦闘民族であることは同じだが、前者ならばなかなか厄介なことになっていた可能性があった。

 亜人種のオークには女が生まれないので、男のみという変わった種族形態であるが故に他種族の女を求めて争う為である。

 かと言って、“女は宝物、何よりも女を大切にする”という種族間を超えて紳士な彼らは、獣人種よりも理知的であると言えるかもしれない。

 交渉次第では、数人の娘と引き換えに庇護を得ることができる為、意外とオークと協力関係にある人間の村や要塞が多かったりなんかしたりもする。


 思案顔で誤魔化しているが、アントが胸の内で安堵していたのはそういう理由だ。

 少なくとも、戦が起こったとてロバリバの民が目の前の少女を捧げることは無いだろう。


「まあ、“六本指”の女男爵様が兵を集めに駆けずり回っておられるだろうからな。戦になんてならないだろうけど。俺は出直すとしますよ」

「ごめんね? アント君」

「いいってこと」



 魔法が使えない魔法使いにできる仕事などギルドの小間使いのような雑事だけだ。

 アントが主に請け負える仕事は呪文を書き込む前の白紙のスクロールを街の工房や商店に卸したり、魔力を使い切った廃棄される魔石の運搬くらいのものだ。

 

 そんな魔法使いでなくともできる仕事だが、アントは糊口を凌ぐ為にギルドの魔術師や冒険者に情けないヤツだと笑われながらも、「仕事を貰えるだけ有難い」と村に帰る気力も無くしてこのロバリバで暮らしていた。



「退け。アリンコ」

「うわー!」

「アント君っ!?」



 突如としてアントの姿が消える。


 いや、上に持ち上げられた・・・・・・・のだ。


 アントは自分の首よりも太いかもしれない親指と人差し指で摘まみ上げられていた。

 フンと鼻を鳴らした身の丈4メートルを超える巨人がアントをまるで捕まえた猫のように横のカウンターの上に雑に放り投げた為、落下地点に居合わせた職員と冒険者から悲鳴が上がる。



「ぐえっ」

「ちょっと、コングさん!」

「フン。ちっとも前が空く気がしなかったんでな? この依頼書の受付を早く済ませてくれ。コッチは忙しいんだ」



 その所業をやってのけたのは巨人族の血を引く巨漢魔術師コング。

 この辺境では間違いなく五指に入る魔術師である。


 黒い紋様が彫り込まれたスキンヘッドを掻きながら悪ぶった様子も無い。



「へへんっ! アリンコの癖して麗しのティナ=ティナ嬢と親し気にしてるからでゲス!」

「コング様と兄貴の言う通りでガス!」



 巨人の足元でピョンピョンと跳ねるマントと杖を持った人間大のカエルが二匹。

 

 その巨人の子分を気取るフロッグキンという獣人魔術師の姉妹だ。

 兄は正に人の言葉を喋るイボガエルという醜い姿であるのに対し、妹は肌色こそカエル色だが無駄に容姿は整っており、そのマニアックな風貌から一部の者から絶大な人気を博しているとかどうとか。


 ティナが居るカウンターの上に依頼書をジャンプしながら叩きつけたカエルがカウンターの上で腰を抜かしていたアントを続けて嘲る。



「ゲコゲコ! そもそも魔力量がたったの“1”しかない奴がこの魔法ギルドに良く恥ずかしげなく顔を見せられるもんでゲス! ゲコ自分ならとっくに故郷の沼に逃げ帰って大人しく虫でも取って(※フロッグキン的には畑を耕して、くらいのニュアンス)暮らしてるでゲスよぉ」

「……っ」



 アントの顔が歪み、ギルドのアチコチで嘲笑が漏れ出す。

 “アリンコのアント”はこのロバリバではちょっとした有名人だ。

  

 ――無論。良い意味で、ではないが。



 更に調子づくカエル魔術師。

 流石にティナの額に青筋が立ち、密かにカウンター裏に隠している自身の短杖に手を掛け、隣の職員がその様に顔を青くして慌てたタイミングでそれを頭上・・から制止する者がいた。



「軽く二千を超える魔力量を持つコング様の――ゲピョお!?」

「…煩わしいぞ。ドルマ」

「兄貴ィー!!」



 巨人の指先で潰されてしまったカエルこと魔術師ドルマの頭部から長い舌と大きな目玉が零れ落ちんほどに飛び出したので、堪らず周囲の者からまた違うベクトルの悲鳴が上がる。



「他者を貶める暇があるなら修練に励め。余り俺の目障りになる真似ばかりしていると、その内うっかり・・・・踏み潰してしまうかもしれんぞ。…俺は先に行く。愚かな兄の面倒はお前が見るんだ、いいな? アスパラ」

「は、はいでガスぅ」

「「…………」」



 魔術師以前に圧倒的な力を持つ存在に言葉が出ないギルドの面々を残して巨人は出入り口へと向かう。

 各ギルドではあらゆる種族に対応すべく、比較的その辺は幅広く・・・してある。

 多少窮屈ではあろうが、コングも何とか潜り抜けられる程度には。


 

 そんな折に、大声を上げながら一人の武装した男がギルドへ入ってくるではないか。



「頼もう! 私は傭兵団“ヒポグリフの蹄”の者だ! 諸君らも知っていよう? このロバリバに薄汚いイノシシオーク共の軍勢が迫りつつあることを! 我が団は睨み合いの場にて魔術師の助けを借りたくて馳せ参じた! どなたか名誉と勇気ある魔術師殿は居られぬか!」



 開口一番そうギルド内に響く声で叫ぶのだった。



「男爵の兵じゃなくて…傭兵団の使いだぁ?」

「なんだよなんだよ? 睨み合いに魔術師が要るくらいコッチ側が“不利”ってことじゃねえのかよ」

「おいおい、こりゃあいよいよオーク共と一戦おっ始めちまうんじゃねーの」

「……逃げっか?」



 その声にギルドに居合わせた冒険者その他が眉をひそめて囁き合う。

 


「おお!? そこにおられるは名高い大魔術師コング殿ではないか! どうだ貴殿の力をお借りできぬだろうか? さすればオーク共も尻を見せて逃げ帰ることだろう」

「…………」



 どうやら傭兵団の使いは当初アーチ門だと思っていたものが巨人の脚であることに気付いた様子である。

 ここぞとばかりにその巨人に助力を願い出た。

 確かにコングの力を以ってすれば……その場の観衆たちですら、容易いような気すらした。


 しかし、顎の髭を何度か摩った後に口を開いた言葉は意外なものであった。



「断る」

「な、何故だ! この要塞の危機なのだぞ!?」



 顔を赤くする小綺麗な身なりの傭兵に向ってズイと巨大な強面が近付けられる。



小人・・のくだらん喧嘩などにかかずらっていられるものかよ。貴様らはいつの時代もそうやって気の良い巨人族を利用するばかりだ。それに、ギルドの魔術師に強制できるのはそれこそ“王”以上の階級のみ。お前は…何様のつもりだ? 頭が高いぞ・・・・・。さっさとそこを退け。…それとも、このまま俺に踏み潰されたいか?」

「…………」



 巨人の威圧に敵うはずもない傭兵が床に転がるようにして飛び退く。


 コングは不機嫌そうに鼻をフンっと鳴らすとギルドを出て行ってしまった。


 因みにほぼハイハイで、だ。

 それに別に傭兵団の使いを威圧した訳ではなく、単にギルドを出る為に仕方なく屈んで両手両足を床に突いただけである。



「~っ…ゲコぉ!(ズポンッ) ……はぁ~。死ぬかと思ったでゲス。…カエルで良かった」

「兄貴、大丈夫でガスか?」



 完全に凹してしまった頭を引っ張り上げたカエルとそれを心配する妹ガエルは、登場時とは打って変わって大人しくティナとの依頼受注のやり取りを交わす。

 その後は速やかにコングの後を追って飛び跳ね去って行った。


 去り際に妹のアスパラに懲りずに声を掛けてしまった傭兵が兄ガエルに「ゲコの可愛い妹に気安く話し掛けるじゃねぇでゲス!」と杖で殴られて昏倒させられていた。



「はぁ。何だか大事になってきちゃいましたね? ……アレ? …アント君?」



 やっと一息つけたティナが周囲を見渡した時には、既に彼女が探す青年魔術師の姿は何処にもなかったのだった。






 

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