最強の悪魔法使い~ただし、魔法は1日1時間~
森山沼島
序章 アリンコと悪魔
第1話 アリンコのアント
とある世界の神が未だ地上と天の間を行き来していた混沌とした時代の話だ。
その神々が地上の者達が今や海と呼ぶ女神の涙の上に気紛れに浮かべた幾らかの陸と島には人間がおり、他にはエルフやドワーフや獣人や亜人や妖精やら魔物やら得体の知れない輩などがそれはひしめき合っていたのである。
問題は、神々が予想していたよりもそれらの種族同士は仲が良くなかったことだろう。
神々がそれぞれ好き好きに土と塩とよく判らないものをこねてこさえた者達に、自ら好きに数を増やしたければ増やせと放置して暫く経つと、既に石と棍棒で殴り合いをしていたという。
神々の半分はその様を天空から見下ろして呆れて見捨てたが、もう半分は面白がって眺めることした。
中にはわざと
やがて、更に地上の者達の数が増えてその争いが激化してくると、流石にこれ以上見ておれぬと一柱の知識神が地上に降りた。
現代に至る神々の中でも最も信仰を集めると同じく罵られ、讃えられて日々感謝を捧げられると同じく呪い恨まれる強大な神、ムスペルブルであった。
彼の神は地上の者を意思疎通させる為に“言葉と文字”を先ず教えた。
これにより地上の者達はやっと獣から人となれた。
だが、結局は文明を手にした地上の者達は得物を粗末な石と棍棒から、鋼の武器と鎧に変わっただけで争いは寧ろ大きくなった。
その結果に酷く落胆し、表情を歪めたムスペルブルは他の神々の目を盗んで神の力の一端である“魔法”の業を地上の才ある者達に教えるに至る。
この魔法の力は地上の者達には余りに大きな力であったが…ムスペルブルはこれによって争いを抑止できると思ったのだ。
…だが、そうはならなかった。
「こうして、地上の者には魔法が使える者と、使えない者が生まれ…身分が生まれた。魔法を使い、他を支配する王・魔王・竜が地上を統べ、互いの地を巡ってより激しく争い合うようになったのである。これにより知識を与えることで地上の者の和平を望んだはずの神ムスペルブルは、地上に最も大きな戦乱を招いた――」
「ちょいと、アント! もう仕事の時間じゃないのかい」
居候同然で下宿させて貰っている宿屋の女将に声を掛けられた男が顔を上げる。
やや幸が薄そうな平々凡々とした顔付きで中肉中背の青年だ。
手にしていた子供向けにしては小難しい絵本をラウンジの背の低い棚へと戻す。
「ごめんよ、女将さん。つい、夢中になっちまってね」
「全く…しっかりしておくれよ。今週分くらいはマトモに宿賃を入れて欲しいからねぇ。おっと、そうだった! アント、仕事に出る前に竈に火を入れてくれないかい? 昨日の晩の仕込みで指を切っちまってねぇ」
「喜んでやらせてもらうともさ」
アントと呼ばれた青年は背負っていた背負子を降ろすと、カウンター奥の厨房に慣れた感じで入っていって「よっこいせ」と見た目にそぐわぬ年寄りめいた仕草で竈の前に屈むと指先を薪と
「
そう呟くと、ほんの僅かに指先から不可思議なエネルギーが竈に流れた。
たっぷり数分を置いて、薪の中から燻る煙が立ち上がり竈は思い出したかのように火を孕み始めたのだった。
「ありがとよ」
「いいってことさ。…俺ができる“魔法”なんざこれくらいさ。しかも、
アントは寂し気な笑みを見せて一本立てた自身の指先を見やる。
「なんせ俺の魔力量はたったの“1”だからね。普通は火入れに使うのは
「アント…」
竈の前に屈んで自嘲する青年に宿の女将が複雑な顔で肩に手を置いた。
「世の中、向き不向きがあるもんさ。魔法が使えないからって、人は笑って生きていけるよ。さあ、朝からしみったれてないで仕事に行ってきな!」
「あんがと女将さん…」
****
とある大陸の東部を統べるファーランド王の領地の辺境にて。
その辺境の魔法ギルドがあるロバリバの街の朝はどんよりと曇っていた。
いや、その片田舎の目抜き通りを往くさる青年にとっては、ここ最近の天気なぞ晴れでも曇りでも雨でも雪でも、何なら火の玉が降っても槍が降ってもさして代わり映えしないだろう。
彼がこの街に辿り着いてから早くも遅くも三年の月日が流れていた。
――その者の名をアントという。
そんな片田舎の要塞から更に辺境奥地、徴税官が向かうのすら億劫がるほどの名も無き村から遥々夢見てやって来た若者であった。
この世界には“魔法”がある。
かつて、知識神ムスペルブルが地上にもたらした魔力を操る御業である。
魔力自体はどんなものにもあるとされるが、魔法を使える…いわゆる魔法使いの資質を持つ者はそう多くはなかった。
魔法という絶大な力を盾に権力を築いた歴史ある王族・貴族などと比べると、平民層では百人に一人ほどだろう。
このアントもまた、魔法使いの資質を持つと偶然村を訪れた旅の僧侶に占われた選ばれし者であった。
魔法が使える、使えない者の差は歴然としている。
あらゆる分野で魔法使いという希少な人材が各国・各種族で求められている為だ。
下級に分類される魔法が一つ二つ使えるだけでも、一生安泰に暮らせる。
それどころかその才によっては上位の身分の者から召され、立身出世…平民から歴史に名を残す偉人の話など星の数だ。
よって、アントも村の者達に見送られて魔法ギルドのあるこのロバリバの街までやって来たのである
だが、現実とは残酷である。
魔法ギルドを訪れ、調べを受けたアントに言い渡されのは…才の有無よりも魔法使いとして絶対の指標であり、量と質を司るその魔力量。
非魔法使いからすらやや蔑まれる最低位の魔法使いで数百。
魔法を使えない平民でも百前後とされていたのにも関わらず――
アントの現存、限界成長魔力量…どちらもたったの“1”であったのである。
絶望を通り越し、呆然自失にも似た心持ちとなった哀れな青年は掠れた声で、喘ぐような小さな声でアントに劣らず顔を強張らせていた魔力測定を行った魔法ギルド職員に問うた。
――魔力量が1とは、どの程度のものなのか、と?
困った職員は顔を何度も歪めて考える素振りをして口を開いた。
…仮に。
…仮に生き物に例えるとすれば、そう。
その辺の地面を這う“アリ”と同じ魔力量である、と……。
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